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2020年07月28日
コスマス年代記(七月廿五日)
日本の古代の歴史についての基本史料というと、当然『古事記』、『日本書紀』の名前が挙がるのだが、チェコでこの二つに相当するものが、本日のテーマの『コスマス年代記』である。これは12世紀にプラハのキリスト教関係者のコスマスという人物が、当時の教会の公用語だったラテン語で記したもので、イラーセクなどの後の歴史文学の書き手も、チェコの伝説や初期の歴史については、多くをこの本に拠っている。当然、与太チェコ史に書き散らすチェコの君主についても文章のネタもととなった子供向けの絵入りの本や雑誌の記事も本をただせば、この年代記に行き着くわけである。
読んでみたいと思ったことがないと言うと嘘になるが、ラテン語で書かれているというのはチェコ語以外の外国語がまったくできない人間にはハードルが高すぎた。チェコ語訳も出ているのだろうけれども、教会の人間が書いたとなるとキリスト教に都合のいい記述や、聖書からの引用などもあるに違いない。それなら、イラーセクというフィルターを通したものの方が読みやすくて、精神衛生上もよかろうということで、すんなり諦めた。イラーセクの『チェコの伝説と歴史』なんて、日本語訳でも読めるようになっているわけだしさ。
以上が、『コスマス年代記』に対するスタンスであり、誤りもありそうな認識だったのだが、木曜日に何日かぶりにメールをチェックすると、『チェコの伝説と歴史』の訳者の浦井康男氏の名前でメールが届いていた。何だろうと思って開けてみると、以前エルベンの『花束』の日本語訳を入手した「cesko – STORE」からのメールだった。無料でもダウンロードの再にメールアドレスの入力を求められるから、運営者の浦井氏の名前でメールが届いたのだろう。
一読して驚いた。『コスマス年代記』の翻訳を進めていて、そのうちの第一部が完成したからPDF化して、無料で提供するとのこと。イラーセクの歴史小説『暗黒』の次が、コスマスとはさすがというかなんと言うか。イラーセクの別の歴史小説が出ないかなと期待していただけど、これはこれでものすごくありがたい。浦井訳って注釈が詳しいので、純粋な文学作品だと注釈はうるさく感じることもあるのだけど、この手の歴史的な文章を読む際にはありがたい。
早速、「cesko – STORE」に行ってダウンロード。前回もそうだったかもしれないけど、電話番号の入力でチェコのものが入れられず、国際番号を着けたら桁が多すぎで、省いたら桁が少なすぎるらしく、結局実家の番号でごまかすことになってしまった。それにしても、このお店、教科書だけは有料でそれ以外は無料になっている。読本は中身を確認してからじゃないとなんとも言えないけど、コスマスとエルベンの翻訳なら、有料でも買うと思うんだけどなあ。外国のクレジットカードが使えればだけど。
それはともかく、まだ冒頭の「はじめに」の部分しか読んでいないのだけど、ここに書くことがなくなった。『コスマス年代記』に興味があるなら、「cesko – STORE」に行ってダウンロードしてこの「はじめに」を読めば、知りたいことはほぼ知れるはずである。そこにこちらが生半可な知識であれこれ書いても、屋上屋をかけるどころか、恥をさらして終わるに違いない。
とはいえ、これで終わっては我が文章ではないので、ちょっとばかり与太を飛ばしておこう。「はじめに」によれば、『コスマス年代記』は三部に分かれているという。ということは、日本史における『古事記』に対応すると考えてよさそうだ。コスマス以前にチェコの歴史が登場する国外で成立した年代記が、多少とはいえ存在するというのも、日本の歴史が中国の歴史書によって始まるのと似ていると言えば言える。こんなことを考えると、ちょっとチェコの歴史が身近に感じられるような気がしなくもないかな。
ということで、チェコの神話的な伝説の時代からの歴史を知りたい場合には、まずイラーセクの『チェコの伝説と歴史』を読んで、『コスマス年代記』に手を伸ばそう。『チェコの伝説と歴史』も今なら、まだ手に入るようだしさ。
2020年7月26日11時。
2020年03月24日
冷戦期のチェコSF 『世界SF全集』(三月廿一日)
この希代の全集に関しては、チャペクのSF作品を紹介したときにも取り上げた。栗栖継訳の『山椒魚戦争』の初出がこの全集の第9巻(1970年刊)だったのである。この全集の刊行の始まりは1968年だというから、版元の早川書房が1959年に「SFマガジン」の刊行を開始して、日本のSF作家だけでなく、読者の育成が始まってから10年経っていないことを考えると、なかなか大胆な企画である。
ただ、日本人の読者はと言うべきなのか、出版社はというべきなのかわからないけれども、全集が好きだったのだ。戦前の戯曲全集や、プロレタリア文学系の全集にチャペクの作品が収録されたことはすでに紹介したが、戦後もさまざまな文学全集が刊行されて、図書館に入れられたのはもちろん、一般の家庭でも意外なほど購入していたようである。古本屋で買った本の蔵書印から労働組合で購入したなんてものもあったなあ。かくいう我が家にも、両親はどちらも文学なんてベストセラーを読むぐらいで、あまり感心のない人だったが、集英社かどこかの刊行した世界文学全集があった。読んだ形跡のない巻がほとんどで、いつの間にか押入れにしまいこまれていたかな。
不思議なのは、あくまで個人的な印象だが、全集好きとは言っても、世界文学全集はよく見かけるのに、日本文学全集は、古典を除くとほとんど見かけないことと、一般の人で日本の文学全集を個人で購入したのを見かけたことがないことである。1970年代というのは、出版社にいた知人によると、この手の大部の叢書を所有していることが一種のステータスになっていたから、文学全集だけでなく、日本の歴史やら世界の歴史なんかの、いわば歴史を全集的に扱った叢書も、今からは考えられないほど売れていたらしい。
言ってみれば、この早川書房の『世界SF全集』は、日本のSFが誕生し拡大していく時期と、文学全集が売れていた時期が、うまく重なったことで実現した企画だったといってよさそうだ。どのぐらい売れたのかは知らないが、これで早川が経営危機に陥ったという話も聞かないから、それなりの成功を収めたのではなかろうか。
念のために大体の内容を説明しておくと、1巻から26巻までは海外SFの長編作品が収められているが、一人一巻ではなく、二人以上で一巻となっている巻もある。チャペクの9巻もエレンベルクと一緒だし。その後、27巻は安部公房の作品集で、28巻から30巻までが日本のSF作家の長編を収めたもの。小松左京と星新一だけが一人一巻で、30巻は筒井康隆、眉村卓、光瀬龍の三人の作品が収められる。
31巻以降は短編集で、3冊目の33巻に、ソ連東欧篇ということで、チェコスロバキアの作家の作品も収録されているのである。ただし当時の東欧諸国の作品がすべてあるわけではなく、ソ連が力関係から言っても当然で圧倒的に多く10篇、続いてポーランドが5篇、チェコスロバキアが4篇。最後にルーマニアとブルガリアが1篇ずつという構成になっている。ハンガリーとユーゴスラビアはどこに行ったんだ? 東ドイツもないか。
とまれ、この『世界SF全集』の第33巻に収録されたチェコの作家の作品は、原典が確認できなかったチャペクの「飛ぶことのできた男」と、前回紹介したネスバドバの「クセーミュンデの精薄児」の2篇に加えて以下の二つ。
@バーツラフ・カイドシュ/栗栖継訳「ヴォラフカのセロリ」
訳者名は日本語版のウィキペディア、以下の作者の説明はチェコ語版による。カイドシュもネスバドバと同様、本業は医師だったようだ。生まれは第一共和国時代の1922年、ビロード革命直後の1990年に亡くなっている。翻訳者としても活躍し、ラヴクラフトの作品もいくつか翻訳している。
この作品の原題は「Volavkovy celery」で、1970年刊行された『Invaze z vesmíru(宇宙からの侵略)』に収録されている。ボラフカというと囮を意味する言葉が思い浮かぶのだが、所有形容詞が使われていることを考えると人名なのかもしれない。
カイドシュの作品は、もうひとつ翻訳されていて、同じ『Invaze z vesmíru』から「Drak」が深見弾の訳で「ドラゴン」と題して、『東欧SF傑作集』下(東京創元社、1980)に収録されている。
Aイバン・フォウストカ/深見弾訳「炎の大陸」
作者のフォウストカは、本業はジャーナリストで、ムラダー・フロンタ紙などで活躍したらしい。その一方で俳優としても活動していたというが、劇場中心の活動だったのか、出演作品を見たことはない。生まれたのは1928年で亡くなったのは1994年のこと。
作品の原題は「Plamenný kontinent」で、1964年刊行の『Planeta přeludů(幻影の惑星)』。子供向けのSF作品で、この作品も含めて4篇の短編が収められているようだ。子供向けで、しかもSFなら読めるかもということで、本屋で探してみようと思う。
2020年3月22日22時。
2020年03月20日
冷戦期のチェコSF ネスバドバ(三月十七日)
コロナウイルス関係に疲れたので、またチェコ文学の話に戻る。チェコテレビでは、学校に行けない子供たちのための教育番組を急遽始めている。ただ、現時点では体操とか工作なんかが多いようである。チェコテレビは子供向けの番組を放送するチャンネルDを誇っているけれども、ここではいわゆる教育番組は放送していない。そう考えると、日本のNHKの教育放送って稀有の存在なのかもしれない。
それはともかく、今から考えるとちょっと以外にも思えるが、冷戦の時代にソ連を初めとする、いわゆる東側のSF作品が高く評価され、かなりの数の作品が日本語に翻訳され出版されていた。代表格としてはポーランドのスタニスワフ・レムの名前を上げることができるだろう。読んだことはないけど、「泰平ヨン」シリーズなんて、題名からして驚きである。
我らがチェコの場合には、レムほどの大物のSF作家は存在しないが、何人かのSF短編がいろいろなアンソロジーに収録されている。SF的な作品も書いた大物作家なら、チェコにもカレル・チャペクがいるんだけど、執筆した時代は冷戦どころから第二次世界大戦前だからなあ。
一人目は、冷戦期のチェコスロバキアで最高のSF作家と目されていたというヨゼフ・ネスバドバ。チェコ語版のウィキペディアによれば、1926年にプラハで生まれ、医師、精神科医として仕事をする傍らで小説の執筆をしていたようだ。小説だけでなく戯曲や、映画の原案も手がけていたようで、「Zabil jsem Einsteina, pánové!(アインシュタインを殺しちまったよ)」とか、「Pane, vy jste vdova!(旦那、未亡人なんですかい!)」がこの人のアイデアに基づくものだった。知らんかったぜ。
@千野栄一訳「アインシュタインの頭脳」(『現代東欧幻想小説』、白水社、1971)
日本で最初に紹介された作品は、1960年に刊行された短編集『Einsteinův mozek』に収められた同名の短編で、以下Cまではこの本からの訳出。内容は分からないけど、アインシュタインを題材にした映画との関連性が気になる。『現代東欧幻想小説』、どこかの出版社で再刊してくれんかな。ということで「復刊ドットコム」で確認したら15票しか入っていなかった。これじゃあ復刊は無理だなあ。興味のある人向けにリンクを貼っておく。
https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=15156
A訳者不明「クセーネミュンデの精薄児」(『世界SF全集』第33巻、早川書房、1971)
SFの高度成長期だったのだろう。『世界SF全集』なんて今ではとても考えられない企画である。文学全集自体がほぼ無理かな。この全集の33巻は「現代短編集ソ連・東欧篇」と題されているのだが、個々の作品の訳者名が国会図書館のオンライン検索では確認できなかった。原題は「Blbec z Xeenemünde」、チェコでは映画化もされているようである。でも、うーん、「精薄児」かあ。現在なら差別用語として言葉狩りの対象になりそうだな。クセーネミュンデは、原題からすると架空の地名か。
B栗栖継訳「ネモ船長の最後の冒険」(『異邦からの眺め』、早川書房、1981)
ネモ船長というのは、例のジュール・ベルヌ作の『海底二万里』の登場人物だろうか。原題は「Poslední cesta kapitána Nema」。『異邦からの眺め』は海外で編集されたアンソロジーを翻訳したもの。最初から文庫版で刊行されたようだ。チェコの作品はこの一篇だけしか収録されていないが、東側の作品が多いのかな。「復刊ドットコム」でのリクエストは7票だけ。
C平野清美訳「裏目に出た発明」(『チェコSF短編小説集』、平凡社、2018)
現在でも手に入る唯一のネスバドバ作品が、平凡社ライブラリーに収録されたこの作品。原題は「Vynález proti sobě」。電子書籍化もされているみたいだから、買って読んでみようかな。非常事態宣言で職場に出なくてもよくなったというか、出るなって言われてるし。古くはSFかという疑問はあるけど、ハシェクから、今でもときどきテレビで見かけるオンドジェイ・ネフの作品まで入っている。ネフというと、なぜだか、サッカー解説者のルデク・ゼレンカの顔が思い浮かぶんだけど、似てるのかなあ。
『チェコSF短編小説集』
D深見弾訳「ターザンの死」(『東欧SF傑作集』下、東京創元社、1980)
次は、1958年刊の同名の短編集に収められた作品。これも映画化されている。深見弾は旧共産圏のSF作家の作品を積極的に翻訳紹介した人である。ロシア語からの翻訳なのかな。著者名表記が「ネズヴァードバ」となっているのがちょっと残念。『東欧SF傑作集』は2003年に復刊されているが、残念ながら現在ではすでに絶版で入手できない。「復刊ドットコム」でのリクエストは8票だけ。
『東欧SF傑作集』下 絶版
E団精二訳「吸血鬼株式会社」(『時のはざま』、早川書房、1977)
F深見弾訳「吸血鬼株式会社」(『遥かな世界果しなき海』、早川書房、1979)
わずか2年の間を置いて同じ出版社から刊行された短編集に、別の訳者による翻訳が収録されたという珍しい例になっている。別の出版社の本ならあってもおかしくないと思うのだけど。海外で編集された短編集二冊にたまたま同じ作品が収録されていたということか。原典は「Upír ltd」で1962年刊の『 Výprava opačným směrem(反対側への遠征)』に収録されている。
とまれ『時のはざま』は、「ワールズ・ベスト」と題された全4巻のシリーズの第1巻。「復刊ドットコム」の解説によれば、当時権威のあった年間傑作集の翻訳らしい。アメリカで編集されたものかな。訳者の団精二は、あの荒俣宏の筆名の一つ。この名義で翻訳したのは、ファンタジーだけじゃなかったようだ。
もう一冊の『遥かな世界果しなき海』は、ポーランドを中心にしたソ連、東欧の作家のアンソロジーのようである。この深見訳は、1981年刊の『世界カーSF傑作選』(講談社文庫)にも収録されている。「吸血鬼株式会社」でカーSF? うーんわからん。
G栗栖継訳「絶対機械」(「SFマガジン」第23巻2号、早川書房、1982.2)
残念ながら雑誌掲載だけで単行本には収録されなかったようだ。原典は「Absolutní stroj」で『 Tři dobrodružství 』(1972)所収。
次はやり方をちょっと変えよう。
2020年3月18日24時。
2020年03月16日
田才益夫訳のチェコ文学〈チャペク以外〉(三月十三日)
2000年代に入ってチャペク専門の翻訳者と化した感のある田才益夫氏だが、90年代の半ばから、2000年代の初頭にかけては、何冊かチャペク以外の作品の翻訳も手がけている。中には何でこの人の作品をと驚くようなものもある。
最初の作品はパベル・ヘイツマンの『鋼鉄の罠』で、有楽出版社から1996年に刊行された。有楽出版社は実業之日本社の子会社で、この本の販売も実業之日本社が担当している。実業之日本社の小説というと新書版のジョイノベルズが思い浮かぶのだけど、外国文学の翻訳も出版しているとは思わなかった。
作者のパベル・ヘイツマンは、チェコ語版のウィキペディアによれば、1927年生まれの作家で、冒険小説、歴史小説、推理小説を得意としているという。共産主義の時代、プラハの春の後の正常化の時代には、その思想性から秘密警察の監視の対象となったため、作品を出版する際にはさまざまなペンネームを使用していたらしい。この『鋼鉄の罠』も、もともとはミロスラフ・ノイマンという別人名義で出版されたようである。歴史小説とか読みたいのだけど、邦訳は残念なことにこの一冊のみ。
➀パベル・ヘイツマン『鋼鉄の罠』(有楽出版社、1996)絶版
二番目に訳されたのはイバン・クリーマの短編集である『僕の陽気な朝』で国書刊行会から1998年に刊行されている。国書刊行会というと、手元にある藤原定家の日記『明月記』の版元なので、何でチェコ文学? と言いたくなるのだが、よくよく記憶を探ってみれば、今でもカルト的な人気を誇るアメリカの怪奇作家ラヴクラフト(節を曲げて「ヴ」を使う)の作品を刊行したり、西洋のマニアックな文学潮流や思想関係の本を、採算度外視(という印象を与える)で刊行する出版社だった。チェコ文学の翻訳、それも日本では知られていない作家の翻訳を刊行しても何の不思議もない。あれ、大学時代に持っていた『玉葉』もここだったかな。いや、あれは奥付のない海賊版だったような気もする。題名も微妙に違ったし。
Aイバン・クリーマ『僕の陽気な朝』(国書刊行会、1998)
クリーマの作品の刊行は、小説だけではなく、評論集が2003年に刊行されている。これは田才訳のチャペク作品を熱心に刊行している青土社が版元で、その名も『カレル・チャペック』。原典は『Velky věk chce mít též velké mordy』で、邦題とは全く違うのだが、チャペクについての評伝であるのは間違いない。無理して直訳すると「大きな時代は大きな殺人を求める」とでもなろうか。
➂イバン・クリーマ『カレル・チャペック』(東京、青土社、2003)
三人目はパベル・コホウト。この人は、もともとクンデラと同じくバリバリの共産党員だったのだが、プラハの春の民主化運動とその弾圧の過程で、共産党と決別し弾圧される立場となった。プラハの春の際に発表されたいくつかの文書の作成にもかかわっているし、憲章77の関係者でもあり、旧チェコスロバキアの民主化運動の中心人物のひとりであった。その後、国の許可を得て1978年にウィーンに滞在していたところ、滞在期間終了後も帰国が許されなかったらしい。亡命というよりは国に追い出されたという形である。
翻訳されたのは、『Hvězdná hodina vrahů』(1995)で、邦題は『プラハの深い夜』。舞台は確かプラハだから、日本語の題名にプラハが出てくるのはそれほど問題ではないのだが、問題はチェコと言えばプラハを表に出さないと売れないと考える出版社の考え方である。版元は早川書房で刊行は2000年。内容はナチスドイツによる占領の最後の何週間かを、推理小説的に描いたもの。ちょっと恐怖を感じさせるような描写もあったような気がする。
Cパベル・コホウト『プラハの深い夜』(早川書房、2000)絶版
田才訳の『プラハの深い夜』は、残念ながらコホウト作品の初訳ではなく、小説としては、1993年に、恒文社から大竹国弘訳の『愛と死の踊り』が刊行されている。こちらも第二次世界大戦の末期が舞台になっていた。
訳者の大竹国弘氏は、同じく恒文社から1980年に刊行された『チェコスロバキアの民話』の訳者として知っていたが、実は文学作品以外に大量のスポーツやゲーム関係の本の翻訳をベースボールマガジン社から出している人でもある。そもそもスポーツの歴史や戦術、練習法や、ゲームの紹介などに関して、チェコスロバキアで出版されたものが、1970年代に日本語に翻訳されて、刊行されていたなんて意外以外の何物でもない。残念ながら購入できるものは一冊もないのだけど、見てみたい気はする。
ちなみに田才氏は、浦井康男氏によれば、自らのHPで『チェコ文学史』という書物の翻訳を公開しているらしい。興味のある方は探してみるのもいいかも。
2020年3月13日24時。
2020年03月14日
田才益夫訳のチャペク2(三月十一日)
承前
以上七冊のエッセイ集の刊行の合間に『童話全集』が刊行される。中野好夫の英語からの翻訳『長い長いお医者さんの話』に収められた9編を含む全11編の童話の翻訳である。中野訳とは題名からかなり違っている。内容は変わらないだろうが、細かい部分で違いが出ている可能性は高い。
K『カレル・チャペック童話全集』(青土社、2005)
エッセイ集の刊行が終わると、短編集の刊行が始まる。収録された作品を確認すると、多くはすでに翻訳のある『ひとつのポケットから出た話』(栗栖訳)、『ポケットから出たミステリー』(田才訳)、『外典』(石川訳)などに収められた短編が三巻に再編集されたもののようである。一冊目だけはチェコ語の原題が上がっているので、チェコで編纂されたものかもしれない。
L『カレル・チャペック短編集』(青土社、2007)
M『赤ちゃん盗難事件』(カレル・チャペック短編集2、青土社、2008)
N『ありふれた殺人』(カレル・チャペック短編集3、青土社、2008)
この短編集三冊の刊行と前後して、『クラカチット』と、成文社から飯島訳が刊行されている『流れ星』が出版される。
O『流れ星』(青土社、2008)
この後しばらくの沈黙を経て、2016年に現時点で最後の作品が刊行される。チャペクの最後の作品とされる『ある作曲家の生涯』だが、訳者もこれを最後の翻訳にするつもりだったのだろうか。
P『ある作曲家の生涯 : カレル・チャペック最後の作品』(青土社、2016)
版元の青土社では、品切れになっていない田才訳のチャペクの作品をまとめて、14冊セットの販売も行っているようだ。セットだから割安になっているかは未確認。
ここに紹介した青土社刊の田才訳で絶版になっていないものを数えて、数が合わないと思った人、それは正しい。セットの中には、伴田良輔訳の『ダーシェンカ』愛蔵版も含まれているのである。もともと90年代後半に新潮社から二分冊で刊行された伴田訳は、後に一冊にまとめられヴィレッジブックスから刊行されたが、既に絶版。2015年に愛蔵版として青土社から刊行されたものが現在でも手に入るのである。
つまりは田才訳の『ダーシェンカ』は存在しないことになるのだが、田才訳が存在しないチャペクの作品は、他には『山椒魚戦争』と『絶対子工場』ぐらいしかない。せっかくだから青土社から田才益夫訳『カレル・チャペック全集』なんて20巻本ぐらいで出版されないかな。買うとは言えないけど、欲しいぞ。
せっかくなので田才益夫訳の他の作家の作品についてもまとめようと思う。それはもちろん次回である。
2020年3月11日24時。
チェコが非常事態宣言を出して国境の閉鎖を決めたら、他の国も次々に同じような対策を発表し始めた。チェコの対策の細かいことはまた明日。
2020年03月12日
田才益夫訳のチャペク1(三月九日)
小説、エッセイを問わずカレル・チャペクが書いたものはすべて翻訳したのではないかと言いたくなるような様子で、チャペク作品の翻訳刊行を進めている田才益夫氏だが、最初に出版されたのは、すでに紹介した『クラカチット』(楡出版、1992)である。再刊された青土社版が現在でも手に入る。
@『クラカチット』(青土社、2008)
続いて1990年代半ばのチャペクブームの最中に、社会思想社から二冊のエッセイ集の翻訳が刊行されている。『コラムの闘争 : ジャーナリストカレル・チャペックの仕事』(1995)と『カレル・チャペックの闘争』(1996)である。前者は国会図書館のオンライン目録では、チェコ語の原典が『Na břehu dnů』(1966)とされているが、原題とはかけ離れた邦題である。本国でも没後に出版されたもので、チャペク本人がつけた題名ではないからそこまでこだわることはないか。この二冊はどちらもすでに絶版で手に入らないが、前者はhontoに書影がなかったので、後者の書影だけ上げておく。
A『カレル・チャペックの闘争』(社会思想社、1996)絶版
1998年には『マクロプロス事件』(八月舎)が刊行されているが、すでに絶版。後に『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006)に収録された。この『戯曲全集』には、兄ヨゼフとの共作も含めすべてのチャペクの戯曲、全八作が収められている。
B『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006)
2001年に刊行された『ポケットから出てきたミステリー』(晶文社)も残念ながら絶版で手に入らない。前編にあたる『ひとつのポケットから出た話』(栗栖継訳、晶文社、1997)は現在でも手に入るようなのが不思議である。昔から読み継がれている本の強みということだろうか。ただし、個々の短編が、後で取り上げる『短編集』に収録されている可能性は高い。
C『ポケットから出てきたミステリー』(晶文社、2001)絶版
2004年から2007年にかけては、青土社から次々にエッセイ集の翻訳が刊行される。中にはチェコ語の原題が付されているものもあるが、大半は訳者によって取りまとめられた作品集のようである。いずれも「カレル・チャペックの」という枕のついた題名に統一されているのが特徴で、装丁においてもある程度統一感が考えられている。
D『カレル・チャペックのごあいさつ』(青土社、2004)
E『カレル・チャペックの日曜日』(青土社、2004)
F『カレル・チャペックの新聞讃歌』(青土社、2005)
G『カレル・チャペックの映画術』(青土社、2005)
H『カレル・チャペックの童話の作り方』(青土社、2005)絶版
I『カレル・チャペックの愛の手紙』(青土社、2006)
J『カレル・チャペックの警告』(青土社、2007)
長くなった、いや書影が多くなったので以下次号。
2020年3月10日10時。
2020年03月10日
チャペクのエッセイなど(三月七日)
コロナウイルス関係の話が続いてしまったけれども、久しぶりに最近続けているシリーズに戻ろう。日本語に翻訳されたチェコ文学の紹介である。今回もまたチャペクの作品。
動物文学とも児童文学とも分類できた『ダーシェンカ』を除けば、カレル・チャペクの戯曲、小説以外の作品で、最初に日本語訳されたのは、『Zahradníkův rok』(1929)である。「Zahradník」は「園芸家」と訳されることが多いが、作家のチャペクの趣味の一つは園芸だったようだ。動物を飼ったり写真を撮ったり、当時の人としては多趣味な、多才な人だったのだろう。
園芸、というよりは庭弄りは、チャペクに限らずチェコの人たちにとっては重要な趣味の一つである。共産党政権化でさえ、都市の住民の懐柔のために、郊外や田舎に別荘地を整備ししていたらしいし、別荘に手が出ない人向けには小屋付きの庭が準備されていたという。週末になると別荘や庭に出かけて畑仕事をしたり庭弄りをしたりというのが、都市部に住むチェコ人にとっては理想の生活だったのだ。
田舎に住んでいる人は大抵大きな庭付きの家に住み、一番奥には鶏を飼い、その手前で野菜を育てたり、果樹を育てたりしている。自宅の庭で取れた、否、庭に落ちた果物を拾い集めて発酵させ、蒸留所に持っていくのがスリボビツェなど自家製の蒸留酒の本来の造り方である。スリボビツェを造るのはモラビアが中心で、ボヘミアの山間部の出身のチャペクが造っていたかどうかは知らないけど。
そんな、庭好きのチェコ人の特性が、第二次世界大戦以前にもさかのぼることを証明するのが、チャペクのこの著作なのだが、実はチェコ人だけではなく、オーストリア、ドイツなどの人々にも同じような傾向がありそうである。チェコ中にチェーン店を持つ園芸用品の専門店は、ドイツ系のものばかりだし、旧神聖ローマ帝国全域に広まる趣味と考えたほうがいいかもしれない。ヨーロッパ全体というのは話の都合上考えないことにする。
日本語訳の刊行は、国会図書館で確認できる限り以下のものがある。
@ 小松太郎訳『園芸家12カ月』(誠文堂新光社、1959)
小松太郎訳としては、『世界少年少女文学全集』(東京創元社、1958)に収録された「ダーシェンカ」に続くものということになる。チェコ語ではなく、英語かドイツ語からの翻訳だったはずである。ドイツ語だったかな。小松太郎ってドイツの児童文学者のケストナーの作品もいくつか訳していたような気もする。
この小松訳は、1975年に中央公論社から再刊され、96年には中公文庫に収録された。その後改版され、現在でも手に入るから息の長い翻訳作品である。この文庫版の刊行と同時期に恒文社から「エッセイ選集」の刊行が始まり、以後続々とエッセイ集が刊行されることになる。その中には日本で翻訳者が収録する作品を選んで編集したものも多い。
A飯島周編訳『園芸家の一年』(カレル・チャペック<エッセイ選集> 4、恒文社、1997)
もともと「エッセイ選集」の一冊として刊行されたこの飯島訳は、2008年には新装版として単独で再刊され、2015年にはチャペクのエッセイを積極的に刊行している平凡社ライブラリーに収められて現在でも手に入る。
B 栗栖茜訳『園芸家の十二ケ月』(東京、海山社、2013)
価格:2,200円 |
1996年から刊行が始まった「カレル・チャペック<エッセイ選集>」(恒文社)には以下の作品が収録された。
1飯島周編訳『チェコスロヴァキアめぐり』(1996)
原題は『Obrázky z domova』でチェコ語版のウィキペディアによれば、チェコスロバキアでの刊行は、1953年。第二次世界大戦後に編集されて刊行されたもののようだ。「小説選集」とは違って「エッセイ選集」は親本はすでに絶版になっているが、2007年に筑摩文庫から「カレル・チャペック旅行記コレクション」の一冊つとして再刊された。こちらも紙の本は手に入らないが、電子書籍版(2010)が今でも購入できる。
2飯島周編訳『イギリスだより』(1996)
原典は1923年に刊行された『Anglické listy』。飯島訳は、雑誌「ユリイカ」(青土社)の1995年12月号に一部紹介されている。これが初出といえば初出。その後筑摩文庫版(2007)とその電子書籍版(2010)が刊行されたのは『チェコスロヴァキアめぐり』と同じ。
また伊藤廣里訳『イギリス便り』が2001年に近代文芸社から刊行されているが、英語訳からの翻訳である。出版社の性質を考えると自費出版に近いものだったのかもしれない。
3飯島周編訳『犬と猫』(1996)
チャペクが亡くなった1939年に刊行された『Měl jsem psa a kočku』の翻訳は、同年に石川達夫訳『チャペックの犬と猫のお話』が河出書房新社から刊行されている。売れ行きも悪くなかったのか98年には文庫化されている。一方飯島訳は再刊されることはなかった。
4飯島周編訳『園芸家の一年』
5飯島周編訳『スペイン旅行記』(1997)
原典は、1930年刊の『Výlet do Španěl』。その後筑摩文庫版(2007)とその電子書籍版(2010)が刊行されたのは『チェコスロヴァキアめぐり』と同じ。
6飯島周編訳『新聞・映画・芝居をつくる』(1997)
原典は『Jak se co dělá』(1938)。「エッセイ選集」6冊の中で、現在新本、電子書籍の形で手に入れることのできない唯一の作品となっている。ただし、他のチャペックのエッセイ選集の中に、一部が収められている可能性はある。
筑摩文庫の「カレル・チャペック旅行記コレクション」には、さらに以下の二冊が収められ、現在では電子書籍で入手可能になっている。
飯島周編訳『オランダ絵図』
飯島周編訳『北欧旅行記』
飯島周編訳のチャペックのエッセイ集は、平凡社ライブラリーに以下の二冊が収められており、どちらも現在では電子書籍版が手に入る。
飯島周編訳『いろいろな人たち : チャペック・エッセイ集』(1995)
飯島周編訳『未来からの手紙: チャペック・エッセイ集』(1996)
田才訳のチャペク作品についてはまた稿を改める。
2020年3月7日24時。
2020年02月25日
90年代のチャペク(二月廿二日)
1990年代に入るとチャペクの再評価が行なわれたのか、次々に、特に90年代の後半には、未訳の作品が次々に刊行され、チェコ関係の本を買いあさっていたこちらの財布に大きな打撃を与えてくれた。特に「小説選集」「エッセイ選集」と題されたそれぞれ6冊のシリーズが刊行されたのは、内容が一般読者受けする「売れそうな」作品ではなかっただけに大きかった。
この90年代のチャペクの翻訳ブームの原因を考えてみると、一つには、19989年に没後50年を迎えて著作権の保護期間が切れたことがあげられるだろう。音楽の世界でも著作権が切れた途端に演奏回数が増えるなんて話を聞いたこともあるし、翻訳の世界でも似たような事情はありそうだ。もちろん、ある程度知られた作家で、評価も高い作家でなければ翻訳はされても刊行は続かないだろうけど。そうなると、1989年に岩波文庫から刊行された千野栄一訳の『R.U.R.』がチャペクブームに先鞭をつけたといってもいいのかもしれない。
とまれ90年代に入って最初に翻訳されたチャペク作品はSF的な『Továrna na absolutno』である。金森誠也訳『絶対子工場』が刊行されたのは、1990年のことで、チェコ語の原典からの翻訳ではなくドイツ語からの重訳であった。出版社は、木魂社というあまり知られていない会社だが、簡単に絶版にしない良心的な出版社のようで、90年代後半にチェコ語の勉強を始めた後でも、注文して取り寄せることができた。この作品の翻訳としては、後に平凡社から飯島周訳『絶対製造工場』(2010)も刊行されている。こちらはチェコ語からの翻訳である。手に入れてはいないけど。
二つ目は『Krakatit』で、1992年に田才益夫訳『クラカチット』として、大手ではない楡出版から刊行されている。これも刊行後数年たってから購入して読んだ。この田才訳は青土社から2008年に再刊されているので、現在でも手に入りそうである。
読んだのはすでに廿年ほど前のことなので、正確な内容は覚えていないが、『絶対子工場』も『クラカチット』も、軍事転用のできそうな新技術を開発した技術者と、その技術をめぐる物語だったと記憶する。それが核兵器の登場を予言しているのではないかとかで評価されていたようだ。個人的には戯曲の『R.U.R』や、あれこれ話を広げ過ぎた感のある『山椒魚戦争』より面白かったと思うのだが、どちらが面白かったかと言われると答えに窮する。
どちらかの作品では、読んでいる最中に語りを信じていいのか、書かれていることが小説内の真実なのか、主人公の思い込み、妄想なのか、わからなくなるような記述に、不安を感じながら読んだ。この不安も読書の醍醐味の一つである。
そして、1995年からは、成文社が「チャペック小説選集」と題して、これまで全訳されたことのないチャペクの作品を六冊連続で刊行してくれた。ラインナップは以下の通り。
第1巻
石川達夫訳『受難像』(1995) 原題『Boží muka』
第2巻
石川達夫訳『苦悩に満ちた物語』(1996) 原題『Trapné povídky』
第3巻
飯島周訳『ホルドゥバル』(1995) 原題『Hordubal』
第4巻
飯島周訳『流れ星』(1996) 原題『Povětroň』
第5巻
飯島周訳『平凡な人生』(1997) 原題『Obyčejný život』
第6巻
石川達夫訳『外典』(1997) 原題『Apokryfy』
このうち、短編集『Boží muka』の一編「エレジー」(千野栄一訳)が、白水社が1971年に刊行した『現代東欧幻想小説』に収録されている。この本、1990年代には新刊で手に入らなかったのはもちろん、古本屋でも見かけることはなかった。今から考えると、存在を知らなかったのが残念な一冊である。
また、『Apokryfy』の抄訳が、「『経外典』から」(千野栄一訳)と題して、岩波の雑誌「ヘルメス」第23号(1990)に掲載されたようだ。収録された短編の翻訳としては、栗栖継訳「アルキメデスの死」が、『世界短篇文学全集』第10巻(集英社、1963)に、関根日出男訳「聖夜」が、『世界短編名作選 東欧編』(新日本出版社、1979)に収録されている。
hontoで確認したら、この「チャペック小説選集」のうち、第4巻の『流れ星』と第5巻の『平凡な人生』が品切れで購入できなくなっていた。ただし、『流れ星』のほうは、2008年に青土社から出版された田才益夫訳『流れ星』がまだ手に入るので、読むことは可能である。
長くなったのでエッセイ集の話はまた次回ということにする。「チャペック小説選集」とほぼ同じ時期に、「エッセイ選集」も全6巻で刊行が開始されて、今とは逆で本を買う金はあっても読む時間がない生活をしていたので、全部購入したはいいものの、読み通さないままいわゆる積読本になってしまったのだった。これもまた読書家の楽しみの一つである。
2020年2月22日24時。
2020年02月24日
チャペクの児童文学補遺(二月廿一日)
エルベンの『花束』について調べていたときに発見した「cesko store」では、「日本でのチェコ文学翻訳の歴史」という浦井康男氏の書かれた文章も手に入る。これもダウンロードして読んでみたら、国会図書館のオンライン目録では確認しきれない情報があれこれ出てきた。
一番衝撃的だったのは、『労働婦人アンナ』という、いかにもな題名のチェコの作品の翻訳が、すでに1930年に刊行されたというもの。訳者は神近市子で出版社はアルス。作者はイバン・オルブラフトで、この人の名前はどこかで見たことがあると思って確認したら、案の定、第一共和国の時代にチェコスロバキアの一部だった現在のウクライナの地方で活躍した義賊を描いた作品で有名な作家だった。それが、題名からして「Anna proletářka」というばりばりのプロレタリア文学を書いているとは、予想外もいいところである。
国会図書館で念のために調べると、日本語訳は、神近訳のほかにもう一つあって、1967年に大沼作人訳が『プロレタリア・アンナ』として、共産党の出版部門ともいうべき新日本出版社から刊行されている。大沼作人は結構地位の高い共産党員だったようなので、共産党公認の翻訳が求められていたのかもしれない。ただ、この本、読んだことはないけど二度も翻訳されるほどの作品なのかね。個人的には義賊を描いた作品のほうが読みたい。ブルジョワに対抗する義賊もプロレタリアートの仲間じゃなかったのか?
二つ目の衝撃は、中野好夫のチャペクの『Devatero pohádek』の初訳がすでに戦前に刊行されていたというもの。そのときの題名が『王女様と子猫の話』だというのだけど、国会図書館には所蔵されていないようである。こんなときには日本中の大学図書館を横断する形で蔵書の検索ができる「CiNii」が使える。大学図書館ではないが、近代文学館が所蔵しているようである。書誌によれば、刊行は1940年で出版者は第一書房。
浦井氏によれば、この最初の中野訳は、チェコの地名や人名をイギリスのものに置き換えた英語訳からの翻訳だったため、チャペクの童話の登場人物たちは、英語の名前で、イギリスで生活していたらしい。それをチェコのものに改めたのが1962年だというから、戦後岩波から出た1952年の初版ではまだイギリス版チャペクで、改版の際にチェコのものに改めたということになりそうだ。
最後は『ダーシェンカ』の話である。国会図書館で確認できる『ダーシェンカ』の初訳は戦後の小松太郎のものなのだが、すでに1934年の段階で秦一郎の翻訳『だあしゑんか、子犬の生ひ立ち』が出版されているという。日本語のウィキペディアの「カレル・チャペック」の項には、秦訳は1938年に高陽書院から出版されたと記されている。訳者はともかく年号が合わない。
それで調べていったら金沢にあるらしい喫茶店「珈琲屋チャペック」というお店に突き当たった。ここに「珈琲屋チャペックの本棚」というページがあって、『小犬日記』という本の写真が載せられて解説がついている。それによると、秦訳はまず1934年に『だあしゑんか、子犬の生ひ立ち』と題して、昭和書房から出版され、その後1938年に高陽書院から『小犬日記』と改題の上で再刊されたということのようだ。
別のページには日本で刊行された『ダーシェンカ』の表紙が並べてあるなど、筋金入りのチャペクファンだからこそ、喫茶店にまで「チャペック」と名付けたのだと納得させられた。また栗栖継訳の『チャペック戯曲集』が金沢の十月舎から出た事情が書かれたページもある。個人的にはそれよりも、「1」とついていながら「2」が出なかった事情の方が気になるのだけど、書けない事情があったのだろう。とまれ、こんなところにも金沢が日本の中でも特にチェコとの交流が盛んな街であることが見て取れるのである。
2020年2月21日24時。
2020年02月19日
エルベンの昔話(二月十六日)
チャペク以前の、チェコスロバキアが独立する以前に活躍したチェコの文学者というのは、それほど多くないのだが、その中でも重要でよく知られている一人がカレル・ヤロミール・エルベンである。エルベンは1811年に生まれ1870年に没した19世紀を生きた作家だが、ドイツのグリム兄弟のように各地の伝説、民話や民謡を収集して集成したのが最大の業績と言っていいだろうか。
自らもそれらの伝説や民話を基にした作品を発表しており、中でも一番有名なのは、1858年に刊行された詩集『花束(Kytice)』である。詩集とは言っても、われわれ日本人が一般に考える詩とは違って、物語を詩の形で語る「バラダ」と呼ばれる文学形式の作品で、『古事記』を叙事詩などということもあるのと同じか。ちょっと違うなあ。古代ギリシャの『イーリアス』が詩の形式で書かれているヨーロッパ文学の伝統に連なるということにしておこう。
この難解だと思われる物語詩の『花束』を、すべてのチェコ人が読み通したことがあるとは思えない。日本の『源氏物語』なんかと同じで、作品の題名と内容は知っていても読んだことはないという人が大半なのではないかと疑っている。内容を知っている人が多いのは、学校での勉強のおかげもあるけれども、2000年に公開された映画の影響も大きい。
映画は詩集に収められた13編の詩のうち7編を映像化したもので、映像の美しさでも話題を呼んだ。実際に見ての感想は、映像の美しさにごまかされがちだけどよく考えてみたら恐ろしいというもの。エルベンの集めた民話も、日本でも「本当は怖い」として話題になったことのあるグリム童話と同じく、恐ろしさをはらんだものだったのだろう。
これは、昔話が、単に子供たちを楽しませるためだけのものではなく、言うことを聞かない子供たちを怖がらせて、言うことを聞かせるという機能を持っていたことを考えると当然だといえる面もあるのかもしれない。特にモラビアの怪優ボレク・ポリーフカが顔も見せずに演じる「Polednice」には、はっきりとは描かれない結末も含めて怖気が立つ。ポリーフカに限らずロデンとかザーズボルコバーとか出演者も贅沢なのだけど、一回見ただけでは気づけなかった俳優もいる。
この映画を見て、原作である詩集を読みたいとは思えなかった。以前19世紀にオーストリアで編集されたチェコ語の教科書に載っていたコメンスキーの手紙を訳したことがあるのだけど、表記も現在とは微妙に違っていたし、ほんの短いものでしかなかったのに、えらく大変だった。『花束』も微妙に古いチェコ語で、しかも形式が詩となると自分にどこまで理解できるだろうかと考えてしまう。ある程度は理解できるにしても最後まで読み通せるとは思えない。
それで思い出したのが、チェコ語関係の知人が日本語訳があるはずだといっていたことだ。国会図書館のオンライン検索で出てきたエルベンの作品は以下の三つ。
橋本聡訳「婚礼のシャツ(幽霊の花嫁)」
(『文学の贈物 : 東中欧文学アンソロジー』、未知谷、2000)
木村有子訳『金色の髪のお姫さま : チェコの昔話集』
(岩波書店、2012)
阿部賢一訳『命の水 : チェコの民話集』
(西村書店東京出版編集部、2017)
このうち最初のものだけが『花束』所収の一篇で、映画版にも登場した。『文学の贈物 : 東中欧文学アンソロジー』には、他にも読んだことのないチェコの作家の作品が翻訳されていて、ほしいと思わなくもないのだけど、送料とチェコ以外の作品の方が多いことを考えると、二の足を踏んでしまう。知人が言っていたのは全訳のはずだということで、検索してみるとこんなページがでてきた。
イラーセクの著作の翻訳で知られる浦井康男氏のチェコ語関係の本を、「STORE」といいながら多くは無料で提供しているサイトのようだ。最初に挙がっている『露語からチェコ語へ』のシリーズは、キリル文字すら読めない人間には使えないけれども、下のほうに柴田匠訳『花束』がある。無料だけど登録が必要なのでちょっと悩んで、登録してダウンロード。
序文に目を通したら、13編のうち4編をドボジャークが交響詩に仕立て上げて、そのCDのブックレットに関根日出男訳が収録されているという。日本のチェコ音楽関係者には、熱心な人が多くて、オペラなんかの台本だけじゃなくて原作が翻訳されていたりもするのだ。その多くは書籍や雑誌に収録されることなく、音楽ファンの目以外には触れないままになってしまう。もったいないことである。
この柴田訳の『花束』は、その関根訳4編と、上記の橋本訳のある計5編は既訳のものを収録し、それ以外の8編を新たに翻訳したもののようだ。私家版とはいえこんな形で関根訳が陽の目を見るのは素晴らしいことである。あとはどこかの奇特な出版社が刊行に踏み切ってくれれば言うことはないのだけど……。
2020年2月16日24時。