2020年02月24日
チャペクの児童文学補遺(二月廿一日)
エルベンの『花束』について調べていたときに発見した「cesko store」では、「日本でのチェコ文学翻訳の歴史」という浦井康男氏の書かれた文章も手に入る。これもダウンロードして読んでみたら、国会図書館のオンライン目録では確認しきれない情報があれこれ出てきた。
一番衝撃的だったのは、『労働婦人アンナ』という、いかにもな題名のチェコの作品の翻訳が、すでに1930年に刊行されたというもの。訳者は神近市子で出版社はアルス。作者はイバン・オルブラフトで、この人の名前はどこかで見たことがあると思って確認したら、案の定、第一共和国の時代にチェコスロバキアの一部だった現在のウクライナの地方で活躍した義賊を描いた作品で有名な作家だった。それが、題名からして「Anna proletářka」というばりばりのプロレタリア文学を書いているとは、予想外もいいところである。
国会図書館で念のために調べると、日本語訳は、神近訳のほかにもう一つあって、1967年に大沼作人訳が『プロレタリア・アンナ』として、共産党の出版部門ともいうべき新日本出版社から刊行されている。大沼作人は結構地位の高い共産党員だったようなので、共産党公認の翻訳が求められていたのかもしれない。ただ、この本、読んだことはないけど二度も翻訳されるほどの作品なのかね。個人的には義賊を描いた作品のほうが読みたい。ブルジョワに対抗する義賊もプロレタリアートの仲間じゃなかったのか?
二つ目の衝撃は、中野好夫のチャペクの『Devatero pohádek』の初訳がすでに戦前に刊行されていたというもの。そのときの題名が『王女様と子猫の話』だというのだけど、国会図書館には所蔵されていないようである。こんなときには日本中の大学図書館を横断する形で蔵書の検索ができる「CiNii」が使える。大学図書館ではないが、近代文学館が所蔵しているようである。書誌によれば、刊行は1940年で出版者は第一書房。
浦井氏によれば、この最初の中野訳は、チェコの地名や人名をイギリスのものに置き換えた英語訳からの翻訳だったため、チャペクの童話の登場人物たちは、英語の名前で、イギリスで生活していたらしい。それをチェコのものに改めたのが1962年だというから、戦後岩波から出た1952年の初版ではまだイギリス版チャペクで、改版の際にチェコのものに改めたということになりそうだ。
最後は『ダーシェンカ』の話である。国会図書館で確認できる『ダーシェンカ』の初訳は戦後の小松太郎のものなのだが、すでに1934年の段階で秦一郎の翻訳『だあしゑんか、子犬の生ひ立ち』が出版されているという。日本語のウィキペディアの「カレル・チャペック」の項には、秦訳は1938年に高陽書院から出版されたと記されている。訳者はともかく年号が合わない。
それで調べていったら金沢にあるらしい喫茶店「珈琲屋チャペック」というお店に突き当たった。ここに「珈琲屋チャペックの本棚」というページがあって、『小犬日記』という本の写真が載せられて解説がついている。それによると、秦訳はまず1934年に『だあしゑんか、子犬の生ひ立ち』と題して、昭和書房から出版され、その後1938年に高陽書院から『小犬日記』と改題の上で再刊されたということのようだ。
別のページには日本で刊行された『ダーシェンカ』の表紙が並べてあるなど、筋金入りのチャペクファンだからこそ、喫茶店にまで「チャペック」と名付けたのだと納得させられた。また栗栖継訳の『チャペック戯曲集』が金沢の十月舎から出た事情が書かれたページもある。個人的にはそれよりも、「1」とついていながら「2」が出なかった事情の方が気になるのだけど、書けない事情があったのだろう。とまれ、こんなところにも金沢が日本の中でも特にチェコとの交流が盛んな街であることが見て取れるのである。
2020年2月21日24時。
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