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2019年12月25日

大学入試改革なんざやめちまえ4(十二月廿二日)



承前
 ということで、今回は後者の「元外交官が嘆く、英語教育改革の愚 センター試験の「読み」重点は正しい NHKラジオ英語講座で磨ける能力とは」についてである。内容にはおおむね賛成するし、最後を除いて特に批判するようなこともないのだけど、何ともいやみな、英語で落ちこぼれた人間のコンプレックスを刺激してくれる文章である。今ではチェコ語が「ぺらぺ」ぐらいにはなっているので、それほど気にならなかったけど、最初にチェコに来たころ、大体何となくわかる程度の意思疎通はできるというレベルの英語で苦労していたころに読んだら、むかっ腹を立てて改革派に賛成してしまったんじゃないかと思った。記者の記事のまとめ方の問題だとは思うけど。

 とまれ、読む力をつけるのが外国語習得の基本だというのは正しい。読んで理解できないようなことを、聞いて理解できるわけがないし、書いたり話したりなんてのも無理な話である。勉強法で気になるのは、最初は英語の発音がカタカナ英語だったけど、NHKのラジオ講座を聞いていたら矯正されたという部分で、これは大半の人には難しいだろうと思う。
 チェコ語でも、他人のことは言えないわけだけど、かなりチェコ語がよくできる人でも、教科書のチェコ語の文にふられたルビの影響で、カタカナ発音が残っている人、特に「ti」を完全に「チ」と発音している人は多い。ただし、それが問題だというつもりはない。子音が連続しているところでついつい母音交じりに発音したり、RとLの発音が微妙だったりしても、使っている言葉が正しく文法にも大きな問題がなければ、それなりに通じはするのだ。

 前の文章にも言えることだけれども、何のために外国語、特に英語ができるようにならなければならないのかという視点が欠けている。この人は外交官として活躍したというから、文法だけでなく発音まで正しい英語を使うのが望ましかったのだろうが、そもそも正しい英語の発音ってのはどこを規範にするのだろう。我が少ない英語での経験に基づいてもイギリス、アメリカ、オーストラリアなどなどそれぞれに違った理由で聞き取るのが大変で、実は一番聞き取りやすかったのがドイツ人の英語だったと言う落ちがつく。
 チェコ語に関して言えば、最初は通じればいいであまり細かい発音は気にしていなかったのだが、師匠にチェコ語を習うようになってからは、師匠のような発音でしゃべりたいというのが目標になった。特に発音の矯正をしたわけではないけれども、師匠と話すときには師匠の発音を真似て話す努力はした。そのおかげで、聞き取りやすいとは言ってもらえるようになったが、完璧には程遠い。去年のサマースクールの発音矯正のクラスでは結構だめだめだったし。最近師匠と話していないのが、原因だと考えている。文法の面でもチェコ語を研究するつもりはないから、現在では使われなくなった古い文法の勉強はしなかったし、これからもする気はない。こんなのはたまに出てきたときに、これはあれだねとわかればそれで十分なのである。読んでいる場合には意味は類推できるし。

 それから、大正期から続く英語の学習法が間違っていないのだというのにも、限定的だけど賛成する。明治大正、下手すれば江戸時代に英語を学んだ人たちの中に、現代でも通用するレベルで英語ができる人がいるのは確かだし、訳読を中心とした勉強法というのが正統的で、正しい英語を身につけるために必要だというのには賛成する。
 ただし、この手の勉強法が合わないと言う人がいるのもまた当然のことだし、教科書で読まされる文章に魅力が欠けて、読む意欲がわかないことが多いのもまた事実である。だから、センター試験の英語は変える必要がないと言うのには賛成できても、英語の授業がこのまま、もしくは、我々が勉強したときのままでいいというのには、ちょっと同意しかねる。黒田龍之助師もどこかに書いていたように、面白い文章はえてして難しいというのも事実だから、バランスが大切なのだろうけど。

 地方の公立の進学校の底力を称賛しているように読めるのも大賛成である。仮に田舎の高校の進学率が低いということがあるとしても、それは教育力が低いことは意味しない。田舎から出たくないと考える生徒たち、出したくないと考える親たちがいて、私立のいわゆるFランクの大学に行くぐらいだったら、浪人するか就職するかした方がましだという価値観が残っているからである。多分今も残っていると思う。うちの田舎にもレベルの低いといわれる私立大学があったけど、そこに行った同級生は一人もいない。
 交通の便の悪さならともかく、教育のレベルが低いとかいう理由で地方の高校を哀れむなんて、現実を知らない都会の人間の思い上がりに過ぎない。仮に今後大学入試の改革をするというなら、地方の高校の先生で歯に衣着せぬ物言いのできる人を助言者として採用するべきだろう。そうしないと、地方のため野という美名のもとに、地方の負担が増加するだけである。我が高校時代の英語の先生なら、今回の改革案についてぼろくそにけなすだろうなあ。

 最後にどうしてもこの人の意見に賛成できないのが、試験改革を企てているのが、英語の勉強に失敗した人じゃないかというところで、これはどう考えても自分は英語が得意だという人が、苦手な人に対して余計なおせっかいを焼いているとしか思えない。英語が苦手な人は、大学受験の英語を何とか乗り切れればそれで十分なのであって、こっちの方法で勉強すれば英語ができるようになるとか言われても、英語のいらない分野に進むからと関心を示さないだろう。海外旅行程度であれば受験英語の搾りかすでも何とかなるわけだし、嵐はやり過ごすに限るのである。

 二つの文章を読んで不満だったのは、母語である日本語と外国語の関係に無頓着だったことで、日本語でできないことが外国語でできるわけがないのである。日本語でもまともな文章が書けない人間に、英語で書けなんていったところでできるわけがない。それは作文に限らず、話す方も同じであって英語教育をどうこうする前に国語教育を改めるべきだと思うのだけど。
 改革推進派にしろ、反対派にしろ英語が得意な人たちにはこの視点が絶対的に欠けているのが、最大の問題である。国語を軽視するから英語どころか日本語すらもおぼつかない総理大臣やら、新聞記者やらが横行することになるのだ。
2019年12月22日22時。










posted by olomoučan at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年12月24日

大学入試改革なんざやめちまえ3(十二月廿一日)



承前
 地方の高校生に同情的なことを語っているが、勘違いも甚だしい。地方の受験生が都会の受験生に対して不利な点としては、受験に時間と金がかかるというのに尽きる。東京の受験生ならピンからキリまでいろいろな大学をいくつ受けても、受験料以外に必要な金額は微々たるもだろうが、田舎の学生がそんな受験をしようとすれば、毎回東京に出るなり、長期的に東京に滞在するなどするしかなく、かかる金額は大きなものになる。
 その意味で共通一次やセンター試験がそれぞれの県で受けられるのはありがたいことである。ただ、これにも県内格差があって、会場から離れたところの受験生は前日からホテルに滞在するなどしなければならない。うちの高校もバスツアー組んでホテルに二泊した。年に一度の試験だからありがたいと思えるけど、それに加えて英語の検定試験を受けるために会場まで、場合によっては何回も行かなければならないというのでは、大きな負担になる。それとも民間の英語検定試験を受験者のいるすべての高校で実施させるつもりだったのだろうか。

 仮に地方と大都市の受験生の間にある格差を解消したいというのなら、最善の方法は受験にかかる費用を少しでも軽減してやることである。そんなこともしないで入試制度だけ変えて、地方のためにとか言われても、地方を馬鹿にするなとしか思えない。本来であれば受験業者の模擬試験を受けるのにも、会場のある都市まで出て行かなければならないところを、高校で受験できるように業者と交渉したりして、不利にならないようにしていたのも、田舎の高校の先生たちであって、政治家でも官僚でも、改革好きの理論家でもなかったのである。

 さらに新試験を12月に実施する計画だったというのも、よく文部省の高校教育を担当する部署から文句が出なかったなあと感心してしまう。都会の高校と違って田舎の高校生にとって、地元の大学以外の受験は、受験旅行といわれるほどに手間がかかる。同じ大学を受験する生徒が多い場合には、高校の先生が引率する受験ツアーが組まれるほどで、その準備に手がかかるのと受験対策が行なわれるのとで、高校三年の三学期というものは、田舎の進学校には存在しない。
 形式上定期試験はあったけれども、受験日程の関係で受けられない生徒も多く、大学へは内申書が提出されており重要ではないということもあって、それまでとは打って変わって適当なものだったらしい。自分では受験に出ていて受けていないので知らないのだけど、とにかく高校三年の三学期には本当の意味での授業も試験も皆無だったと言っていい。一月は共通一次のための対策ばかりだったし、それが終われば個別に二次試験、もしくは私立の受験対策で、自習+先生への質問的な授業ばかりだった。自宅で勉強すると称して登校しなくても全く問題にされなかった気もする。それどころか推薦で決まった奴は邪魔だから来るななんて雰囲気もあったし。来るなと言われて高校の代わりに自動車学校に通うなんてのもいたなあ。

 そんな状態で12月に一次試験を移したら、高校の完全受験対策予備校化が早まって、へたすりゃ二学期の初めから通常の授業をなくして受験対策ということになりかねない。最初は自重するだろうけれども、そのうちずるずると早まっていくに違いない。そうなると高三の二学期、三学期の分の学習内容を一学期までに詰め込まなければならなくなり、先生や生徒達の負担は増加する。以前に比べれば勉強すべき内容が減っているとはいえ、大変なことは大変なのである。

 この記事では、自分の学校の学生たちを自慢して、外国から来た先生の英語の講義でも問題なく理解できていると語っているけど、問題はその理解のレベルである。英語がよくできるのであれば、英語が理解できるというのはそのとおりだろう。ただ、その内容をどこまで深く理解できているのかというと、それは英語の能力ではなく個々の学生の知識と理解力による。講義に発表原稿が配られるという前提で言えば、文法は適当だけど聞けて話せるという学生よりも、話しや聞き取りは苦手だけど文法的なことはよくできるという学生の方がはるかに深く正しく理解できるはずだ。
 そして大学での学習に必要な理解というものが、深く正しい理解であることは言うまでもない。特に英語の文献を読まなければ研究ができないような分野であれば、読むのも聞くのも大体わかるという能力よりも、聞き取りは苦手だけど読めばほぼ完璧に理解できるというほうが将来の研究に役に立つのは火を見るより明らかである。もちろん、読むのも聞き取るのも両方高レベルでできるのが理想だろうが、それは受験生に求めるべき能力なのか。それなら、大半の大学は閉鎖されるべきだということになる。卒業生でさえそのレベルに到達しないのだから。英語の能力だけで学生を評価するこの人の姿勢も大問題なのだけど、ここではおく。

 個人的な経験から言わせてもらえば、外国語が聞き取れないというのは、耳の問題以上に語彙の問題が大きい。見たこともない知らない単語を耳で聞いたところで理解できないのは自明のことである。これは現地に滞在したところで意識して勉強しなければどうにもならないことである。特に英語のように表記と発音に大きな違いがあり、発音の地域差も大きい言葉の場合には、その単語を知らなければ類推のしようもない。高校生の語彙に関して勉強の仕方に問題があるとすれば、試験によく出るといわれる単語を、出やすい順番に集中的に覚えようとするところだろうか。ただ、これも試験が変わったからと言って、変わるものでもあるまい。

 結局、この人の批判で賛成できるのは、センター試験の問題は重箱の隅をつつくような、どうでもいいことを問うものが多いというものだけである。ただし、これも制度を変える理由にはならない。この手の批判は共通一次の時代からなされていて、試験の後に問題を検討した先生たちも頭を抱えて何人かで話し合っても、恐らくこういう理由でこれが正しいのだろうという結論しか出せないものが、英語は知らないけど世界史や国語で毎年のように出題されていた。センター試験が始まるときにはこういう出題はなくすなんてことをいっていたと思うのだけど、結局変わっていないわけである。ならば制度を変える前に、運用の仕方、問題作成の仕方を変えるのが順番というものである。

 ということで大山鳴動して鼠一匹、今回の改革とやらの試みが失敗に終わったのは、当然であり今後の受験生にとっては、幸せなことである。ふう。怒りを抑えつつ書いていたら当初の予定よりもはるかに長くなってしまった。いや、これで終わりではなく、もう一方の記事にも噛み付くのだった。それはまた次回ということで。
2019年12月21日24時。










posted by olomoučan at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年12月23日

大学入試改革なんざやめちまえ2(十二月廿日)



承前
 さて、読んでむかっ腹を立てた一番の理由は、田舎の公立の進学校のことを何もわかっていないくせに、批判しそして悪用しようとしていた点にある。現場を知らない人が観念だけで作り上げた改革がうまく行くわけがないのである。田舎の公立の進学校というのは、いい意味でも悪い意味でもとんでもない存在で、扱いを間違えたらとんでもないことになるのだが、この人の考える新制度では導入されたら遅かれ早かれ大問題が勃発していただろうことは、田舎の公立の進学校の出身者として確信を以て断言できる。

 改革の目玉の一つだった英語の試験に民間の試験を導入するという案は、地方の高校生と都会の高校生の間の機会格差が大きすぎることで批判されていたわけだが、改革を推進する人たちは、これを地方の高校の英語の先生たちに試験の監督などの業務を押し付けることで乗り切ろうとしていたらしい。素晴らしいアイデアであるかのように自画自賛しているけれども、正気を疑う。
 地方の公立の進学校というところは、大抵は文武両道を掲げて部活動にも力を入れているところが多い。全国大会を目指さなないような場合でも、勉強以外に部活に力を入れるのは大切だと考えているのだ。ということは、部活の顧問を任されている先生が多いということになる。さらに高校三年生になると、今ではそれほど回数は多くないだろうけれども、受験産業の提供する模擬試験を土日を使って学校で実施することもある。当然試験監督は先生たちである。

 かつて東京の大学に入って先輩の都立の先生に都立高校では研究日と称して、一日学校に出なくてもいい日があるという話を聞いて驚愕したことがある。当然土日の模試なんてありえない。うちの高校の先生たちなんて、授業で使う教材の準備や、試験の採点なんかに使う時間を確保するのにも苦労していたというのに、うらやましい話である。たださえ、自由に使える時間に差があるのに、民間の英語の試験まで追加されたのでは、働き方改革などなくても、高校側から反対の声が上がるのは当然である。この記事では取り上げられていないけど、日教組などの労働組合が賛成に回るとも思えない。
 しかも、対象となる民間の試験は一つではないというではないか。受験できる回数の差も問題にされていることを考えれば、この英語の先生たちの(強制)ボランティアで試験を実行するというのがいかに現実離れしているかは明白である。確かに田舎の高校の先生たちに、「生徒のため」だという殺し文句でお願いをすれば、大抵は引き受けてくれるだろうが、それで本当にいいのか。

 その「生徒のため」というのも、大きな問題になる。田舎の公立の進学校の存在意義、すくなくとも先生たちにとって最も重要な存在意義の一つは、いかに多くの大学合格者、特に国立大学の合格者を出すかということである。最近はもうそんなことはないと信じたいけれども、我々のころは、内申書に記入する成績や、欠席日数の改竄が普通に行われていた。すべては生徒たちが大学に合格するためなのである。最近も知り合いの日本の大学の先生から、入試の際に怪しい内申書を見かけることがあるなんて話を聞いたから、今でもやっているところはあるはずだ。
 そんな「生徒のため」がモットーの地方の高校の教員がテストの実施を引き受けるということは、ものすごく大きな危険をはらんでいる。コメントをつけた方も書かれているが、問題が漏洩する、問題を見て似たような問題で練習をさせるなんてことが起こらない保証はない。というよりは、発覚して問題になる将来しか予想できない。いや、答案の改竄だってありかねないというのが、田舎の進学校の出身者の正直な感想である。

 卒業した田舎の公立の進学校にはいろいろ問題もあって、ふざけるなと反発したところもたくさんあるけれども、生徒を大学に合格させるためだったら何でもやるという点では、これも気に入らないことの一つだったけど、完全に信頼している。そんな先生たちに大学入試の合否にかかわる試験の運営を任せるなんてのは、「猫に鰹節」ということわざそのものの状況である。教育委員会? 同じ田舎で価値観が同じなんだから、見て見ぬ振りどころか、積極的に加担するに決まっている。

 それから、田舎の進学校の授業が、センター試験対策のためにゆがめられているというようなことも語っているが、これも少なくとも我々のころにはありえなかった。普通の授業は授業でちゃんとカリキュラム通りに行なうのだ。授業時間数が所定のものよりも多くてその分詳しい説明がなされていたのかもしれないが、それは決して受験対策ではなかった。受験対策は受験対策で別に行うのが田舎の流儀である。だから英語に関して民間のテストが導入されれば、その対策は行なわれるだろうが、指導要綱も変わらないのに、正規の授業が変わることはありえない。
 それで、うちの高校では、進学を希望する生徒は、特に三年生になると朝の授業が始まる前に一時間、最終授業が終わった後に一時間、毎日二時間の課外とか補習と呼ばれる受験対策の授業を受けさせられていた。放課後の補習は一年生から実施されていて、原則として普通の授業を担当する先生が補習も担当していたから、生徒達の授業数も凄かったけど、先生たちの担当する授業数もまた大変な数になっていたのである。

 教育実習で都会の私立高校に行って、毎日の授業数の少なさにうらやましく思うと同時に、自分の担当する授業の少なさに、高校時代の先生たちに申し訳ないという気持ちを抱いてしまった。少なくともうちの高校の先生たちの授業は、真面目に受けていればそれだけで大学に合格できるレベルのものであったし、それに補習がついていたわけだから、これで受験に失敗したら申し訳ないというぐらい面倒を見てもらえたのである。
 当時は反発ばかりしていたけれども、今から考えると高校時代にあれだけ勉強したからこそ、大学に入って専門的な勉強を始めた後も、講義を聞いたり専門書を読んだりして、まったく理解できないということはなかったし、必要に応じて質問していくこともできたのである。高校で日本史を履修しなかったせいで、古典文学や歴史書を読む際に苦労はしたけれども、単なる苦労ですんだのも高校までに基本的な知識をあれこれ身につけていたおかげである。
以下次号
2019年12月21日21時。










posted by olomoučan at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年12月22日

大学入試改革なんざやめちまえ(十二月十九日)



 当初から問題しかないことを指摘され、批判されてきながら、首謀者たちが自らの思い込みのみで推進してきた内容が、実施が近づいて日本中に知れ渡った結果、総スカンを食って、その反感の強さに監督省庁である文部省がビビッて延期を決めたというのが、こちらが理解する今回の大学入試改革とやらをめぐる騒ぎの経緯である。

 タイミングよく、改革推進派と反対派の書いた対照的な記事を読んだ。最初に読んだのは、推進派の文章で、「大学入試改革が頓挫か キーマンが明かす「抵抗勢力の正体」」というインタビュー記事。「週刊ポスト」なのか、そのネット版なのか、とにかく小学館の提供する記事である。インタビューを受けているのは、記事の説明がかなり意味不明だけれども、実際に文部省で大学入試改革の旗振り役を担っていたという大学教授。それはともかく東大と慶応大の教授を兼任なんてできるのかね。
 もう一つは、反対派の「元外交官が嘆く、英語教育改革の愚 センター試験の「読み」重点は正しい NHKラジオ英語講座で磨ける能力とは」という、こちらは談話をまとめた体裁の、「週刊朝日」の記事である。話し手は世界各地で外交官として活躍した人物で、当然英語には堪能なようである。

 後者は題名からして、大学入試の英語について語っているのは明らかだが、前者も大学入試改革と言いながら、大半は英語の問題に割かれている。どちらも、多分に手前味噌的なところがあるのは確かだけど、どちらが説得力があるかと言われると、自らの学習と仕事の経験をもとに、英語の入試を変える必要はないと断言する後者である。
 前者も自分の経験と言えば経験と言える部分はあるけれども、「こんなことを言う人もいた」と具体的な人名も人数も出さずに、「だから問題なかったんだ」と言われても何の説得力もない。そもそも、どうして高校生卒業前の人間が日本の大学で勉強するために、英語で話したり書いたりできる必要があるのかが全く説明されていない。それなしに改革と言われても、説得力はない。

 実は、前者の記事を読んだ時点で、むかっ腹を立てたのがこの話を書くきっかけなのだが、最近ネタに詰まっていることもあるし、両方の記事、とくに前者にいちゃもんを付けていこうと思う。一読して、仮に「週刊ポスト」の記事を信用できるなら、今回の大学入試改革の中心人物がこのような浅はかな考えしか持っていなかいなのだから、失敗に終わった(願望も含めて断言しておく)のも当然だという印象しかもてなかった。
 この記事も一見、大学入試改革推進派の記事のように見えるけれども、これを読んで改革は継続するべきだと思う人などいたのだろうか。むしろ、改革推進派のふりをして、その駄目っぷりを暴露して、廃止に追い込むための記事に読めてしまった。発表している媒体が小学館の週刊誌だから、そんな難しいことは考えずに、ただ面白そうだから推進派の話を載せてみようというところだろうけど、支援のつもりが見事な攻撃になっている。

 文中に受験生がかわいそうだとか何とかいう発言があるが、この人にはその原因を作ったのが自分だという反省が全くない。反対派を批判したい気持ちはわかるけれども、責任者なのなら受験者に対するお詫びから入るのが普通じゃないのか。この人もまた、自分の正しさを信じ込める幸せな人なのだろう。そして目的が手段を正当化するという極めて左翼的な思考の持ち主のように見える。誰だ、こんなのに大学受験の改革を任せようと決めたのは。
 そもそも題名に「抵抗勢力」なんて言葉を使っている時点で、言葉を選んだのは編集者の仕事かもしれないけれども、記事の内容を読めば、思考法方がこの言葉で象徴されるものであることは明白で、ここにもいまだに小泉政権の成功を忘れられないエピゴーネンが存在したかと、そんなのが大学教育に携わっているのかと暗澹たる気分になる。小泉元首相が残した最大の負の遺産がこの敵を設定して執拗に攻撃することで味方を増やすという政治手法じゃないかと思うのだけど。使いこなせたのは小泉首相しかいなかったわけだし。

 とまれ、抵抗勢力に認定されているものの中に、旧民主党勢力である野党とマスコミが入っているのにあれっと思った。今回の大学入試改革というのは、もともと民主党政権の肝いりで始まって、自民党政権になってからも実害はないからと放置されていたものが、予想外に世論の評判が悪いことに気づいた自民党がはしごを外したことで崩壊したのだと認識していたのだが、違ったのだろうか。政治家の動きはともかく、一般の人の話をすると、野党支持者よりも、むしろ与党の自民党支持者の方が、今回の改革に反対しているような印象を受ける。かく言うこちらも、元心情左翼とはいえ、日よってリベラルなどと自称する旧民主党勢力を支持しているつもりは全くない。かといって自民党を支持するところまでは落ちきれないでいるけど。
 この中心人物の経歴の説明にも、誇らしげに民主党政権で文部省の高官を務めたことが書かれているし、民主党政権で改革の担当者を始めて、その後の自民党政権でも同じ役割を続けたように読める。そもそも、入試改革自体が、文部省が大蔵省から金を引っ張り出すために適当にでっち上げたものだと考えれば、自民党が始めたものでも民主党が始めたものでも大差ないし、こんな人物が責任者になったのもむべなるかなということになるのか。
 以下次号
2019年12月20日22時。










posted by olomoučan at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年12月12日

またまた納得できないこと(十二月九日)



 アフガニスタンで中村哲医師が亡くなれて数日、氏の業績を讃える記事や、追悼のための記事などをむさぼるように読んできた。ものによってはヤフー・ニュースのコメントまで目を通したのだけど、どうにも釈然としない気分になることが多かった。その業績の大きさに比べて、無名に過ぎはしないだろうか。いや、業績自体が過小評価されている嫌いもある。ご本人は評価なんかどうでもいいと仰るだろうけど。

 ニュースの下のコメントには、亡くなったニュースで存在を知ったという人たちが、中村氏について日本人の誇りだというようなことを書いているのをしばしば見かけた。この人たち、仮に生前から氏の活動について知っていたら、活動を支援するために寄付をしたりしたのだろうか。『オバハンからの緊急レポート』の著者のオバハンなら、そんなことを書くより支援のための寄付をくれなんて言いそうだけど、中村医師はどうかな。
 ただ、中村医師のことを日本人の誇りだなんていう言い方をする人たちには、支柱を失って今後の活動の継続がどうなるのか予断を許さないペシャワール会を支えるために、会員になるなり、寄付するなりしてほしいところだ。会員が1万5千人という記事を読んだ記憶があるけれども、あれだけの活動を支えるには少なすぎる。中村氏を日本の誇りと呼ぶということは、中村氏のおかげで自分が日本人であることを誇りに思えるということでもあるわけだから、それぐらいのことはしてもバチは当たるまい。

 ジャーナリストを自称する人たちも、あれこれ追悼する記事を書いていたが、我田引水、牽強付会で自分の主義主張に無理やり結び付けているものも散見されたし、ひどいのになると読んでも何が言いたいのか理解できないものや、中村医師の死と結びつける必要性を感じないものも結構あった。その辺はこのブログで書いたのも他人のことは言えないのだけど、個人が片手間に日本語力の維持のためにやっているようなブログと、プロのジャーナリストを自認する人たちの書くものを比べちゃいけない。
 福岡の西日本新聞の記事が、中村医師の功績を伝えて一番詳しかったのは当然だろうが、もっと大きな視点から業績を評価してもよかったのではないかとも思わされた。せっかくの郷土の偉人なのである。しかもあれだけのことを成し遂げた方なのだから、ペシャワール会の活動を継続し拡大していくことは、世界の未来を救うことにつながるぐらいのことは書いても、問題ないと言うか、まごうとなき事実である。

 最近、日本は難民を受け入れないとか、二酸化炭素の排出量を減らす気がないとかで、環境団体や人権団体、その意向を受けたEUなんかに非難されているわけだけれども、中村医師の活動を、これが日本が世界に提案する問題の解決法だとして提示して、ヨーロッパ規準の押し付けを拒否するなんてことを主張する政治家は出てこないだろうなあ。
 一言で言えば、荒廃するアフガニスタンの荒野に緑の農地を復元させた中村氏の活動によって、十万人単位の難民予備軍が救われたわけだ。中には一度難民となって避難しておきながら帰郷した人もいるに違いない。これはアフガニスタンという国にとっても、その国の人々にとっても日本が難民を大量に受け入れるよりもはるかに価値のあることだ。国土の荒廃だけでなく、人材の流出も防ぎ、しかも食料の生産量まで増加したわけなのだから。

 現在のヨーロッパの支援は、難民キャンプに集まった人々に対して食料などの生活必需品を配布しておしまいというものが主流になっている。それが不要だという気はないが、それだけでは将来はない。だから将来を夢見てヨーロッパに、特にドイツに向かう人が多いわけなのだろうが、ヨーロッパにおける夢は所詮幻想に過ぎない。幻想であることに気づいた元難民たちが、イスラムの過激派に走ってテロに手を染めるという悪循環が成立してしまっている。
 その意味で、チェコのバビシュ首相が難民の受け入れの割り当てを拒否して、ヨーロッパが難民を無制限に受け入れるのは、難民密輸組織を喜ばせるだけだと主張しているのは正しい。そして、難民問題を解決するためには、ヨーロッパで受け入れるのではなく、母国で生活が成り立つような支援をする必要があるというのも正しい。問題は具体的にどうするのかがでてこないところにある。

 地中海で船に載せられた難民達を救うことに存在意義を見出している人権団体も、中村医師のように、アフリカの大地に仕事を作り出して、難民や、難民になりかけている人たちに仕事を与えるような支援をすればいいのにと思ってしまう。ヨーロッパに向かう難民を保護することよりも、難民を出さないようにすることの方が大切だと考えるのが自然じゃないのか。それができれば保護の必要もなくなる。
 中村医師たちの支援の形は現在のものに比べてはるかに困難なことは言うまでもない。ただそういう支援をすることが、中近東、北アフリカに混乱を引き起こす原因を作った欧米の責任というものである。困難さだけではなく、いろいろな勢力の思惑が入り混じって、なかなか実現できないという面もあるのだろうが、日本が先頭に立って、EUの国々なんかに支援のあり方を変えていくように提案するぐらいのことはできるはずだ。チェコはもろ手を挙げて賛成すると思うし。

 環境問題に関しても、中村医師の活動が解となりうる。いわゆる地球温暖化の原因が、人間が排出する二酸化炭素だったとしても、人口が増え続けている以上、人間の活動量が増え続けている以上、人間が排出する二酸化炭素の量をゼロにするどころか、減らすことも難しそうである。それよりも、光合成で二酸化炭素を酸素に変えてくれる植物を増やして、相対的な二酸化炭素の増加量を減らすことの方が現実的に思える。二酸化炭素の濃度が上がれば光合成の効率も上がって植物の成長がよくなるってのは高校の生物で勉強した事実である。
 現在世界中で進みつつある砂漠化という現象は、すでに1980年代には問題になっていた。それを放置した結果が、現在の二酸化炭素濃度の上昇につながっているのではないのか。古くからの砂漠の緑化は難しくても、かつて緑のあった砂漠化しつつある土地であれば、水さえ確保できれば再度緑化できるというのを示したのも中村氏たちの活動の成果である。日本政府はこれを日本の二酸化炭素対策の柱にすればいいのに。
 例の国ごとの二酸化炭素の排出量にしたって、ただ単に工場や発電所の排出する二酸化炭素量だけでなく、その国の森林や、田畑で育てられる植物などが吸収する二酸化炭素の量と相殺して実質的な排出量を算定した方が、本当の意味での対策が立てやすくなると思うけど。現在二酸化炭素排出量をゼロにすると大騒ぎをしているのを見ていると、胡散臭さしか感じられない。環境問題をビジネスにしてぼろもうけを企んでいる禿鷹連中の影が見え隠れするような気がする。

 今回、中村医師の訃報を機に、これまで感じていながら、うまく言葉にすることができなかったEU主導の難民対策や、環境保護対策へのどうしようもない違和感の正体が見えてきた。その意味では納得できたのだけど、中村氏についての記事に納得しきれないものがあるというのは残ってしまう。記事を読むたびに、理想を目指しながらも現実を忘れない素晴らしい人だったのだと思わずにはいられない。オバハンが全面的に無条件で尊敬するというようなことを書いていたのも納得である。
2019年12月10日24時。









posted by olomoučan at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2019年11月30日

「桜を見る会?」(十一月廿八日)



 最近、ネット上で見る限り、日本では「桜を見る会」とかいうのが問題になっていて、マスコミと野党が大騒ぎしているようだ。理解できないのは、左翼系の野党がこの疑惑を追及することで何をしようと考えているかで、もし、この程度の疑惑で自民党の政権を倒せるのであれば、冷戦終結前に何度も政権交代が起こっていたはずである。本気で政権の獲得を目指しているのであれば、別なやり方があるだろうにと、かつての心情左翼としては思わざるを得ない。

 今のままでは、有権者に、批判するのが存在価値である共産党と同一視されてしまうだけである。政権批判に関しては共産党のほうが年季が入っている分、旧民主党勢力よりも的確だし説得力もあると考えると、共産党以下の存在になってしまいそうである。民主党の成れの果てと呼ばれるのもむべなるかなの迷走ぶりに見える。
 この件で、安倍首相を弁護する気はない。首相が政治を私物化しているのは、すくなくとも私物化している部分があるのは確かだろう。問題は私物化しない政治家が存在するとは思えないことで、仮に安倍首相と野党の政治家の間に違いがあるとすれば、それは私物化しているか、していないかという根本的な違いではなく、どの程度という量の差、質の差でしかない。だから、どんなに批判をしても、目糞鼻糞のののしり合いの域を出ないのである。

 しかも、調査の結果明らかになった事実ではなく、なんだか怪しいという疑惑で失脚させようというのは、スターリン主義時代の共産党政権内の権力闘争を思わせる。チェコでも野党が強硬にバビシュ氏の辞任を求めていたが、あれは警察が刑事事件として捜査を開始したからであり、EUがバビシュ氏のアグロフェルト社との関係を問題だと認定したからである。
 こういう基礎的な事実があるから、そのあとの単なる疑惑での辞任要求にも説得力がないわけでもなかったのである。それでもANOとバビシュ氏への支持が下がらないのは、既存の政党の政治家がバビシュ氏と同じようなことを繰り返してきたことを有権者が知っているからに他ならない。日本の野党も有権者に同じように見なされているのだろう。

 旧民主党は自民党のひどさにつけ込むことに成功して政権を獲得したものの、実務能力のなさが露呈して政権を失うことになった。有権者としては、同じ腐っているなら、批判するだけで現実的な実務能力のない民主党より、自民党の方が多少はましだと判断しているのだろう。そうなると本気で政権獲得を目指すのなら、実務的な政権運理能力があることを有権者に示さなければならないはずだ。そして、それは些細な疑惑を針小棒大的に拡大して批判することでは達成できない。今のままでは、共産党を除く左翼が消えてしまうということにもなりかねない。
 左翼系の野党がするべきことは、安倍首相の桜を見る会と、民主党時代の桜を見る会を比較して、民主党時代の方がましだったと主張することではない。そんなことをしたって、水掛け論に終わるのは目に見えている。数の多寡も、どんな人が呼ばれたかも本質的な違いならないし、批判しようと思えば、どうにでも批判できるものである。

 そんな不毛なことをする暇があるなら、左翼の好きそうな言葉でいうと、建設的なことをしないと意味がない。チェコ語で「ブドバテルスキー」という形容詞があることを知ったとき、建設的な議論なんていうときの「建設的」という言葉は、実は共産党政権化の東側で使われていた言葉が左翼によって翻訳されて日本語でも使われるようになったのではないかと思いついたのだけどどうだろう。

 話を戻そう。桜を見る会に関して建設的な対応というと、吉田首相が始めたときの経緯から、初回から今年の会にいたるまでの招待された人や、その数などを調査して、政府が主催する会として、問題がないかどうか分析した上で、今後どうするべきかを検討することだろう。左翼側独自の提言をまとめてもいいし、自民党に共同であるべき桜を見る会について話し合うことを提案してもいいだろう。それができれば、有権者も多少は左翼の野党を見直すと思うのだけど。
 左翼っての、右翼以上に、自分たちに甘いところがあって、目的は手段を正当化するなんて論拠で、正しい目的を持つ自分たちの行為は棚に上げて、間違った目的を持つ政敵の行為はぼろくそに批判する。それを改めて、民主党政権時代にやったことの反省と、これも左翼が好きな総括をする必要もあろう。桜を見る会なんて例の事業仕分けの対象になって、廃止なり縮小なりされていてもおかしくないのに、どうして継続されたのかというのも知りたいところである。

 今の安倍政権がひどいというのは確かだろう。ただ、野党を見ていると、政権交代が起こったからといってマシになるとも言い切れないのが日本の一番の問題だと言ってもいい。チェコのバビシュ政権と状況は非常に似ている。野党よりはマシという一点で、与党の支持が下がらないのである。政権交代が起こるかかどうかはともかくとして、左翼が立ち直らない限り日本の政治状況がよくなることはありえない。個人的には、リベラルという言葉使うのをやめるべきだと思う。日よってそんな言葉使うから、共産党までリベラルだという意味不明な言説までが登場して、一般の有権者だけでなく支持者まで混乱させているのだから。
 まとまりがつかないけど、今日の戯言はここまで。
2019年11月29日23時30分。


昨夜ネットがつながらなくなったため、今朝更新。






タグ:日本 左翼
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2019年11月15日

続々温故知新(十一月十三日)



 歴史的な文脈にいれて解説されたものを読みたいというのは、他にもあって、その一つは、一時期大騒ぎになっていた神戸かどこかで発覚した(起こったとは言わない)教員間のいじめの問題である。報道も教育委員会の対応も、あたかもこれが新たな問題でもあるかのような印象を与えて、何を今更と言いたくなってしまった。
 校内暴力や子供の間のいじめが顕在化して社会問題になっていた1980年代の時点で、教育関係者の中には、「子供のいじめが亡くならないのは当然だ。指導する教師の間にもいじめがあるのだから」と主張している人がいた。子供たちのいじめも発生した当初は、教育委員会や文部省では隠す方向で対応していたはずだから、教員の間のいじめもなかったことにされた可能性は高い。

 中学の頃の国語の先生が、この手の問題に関しては結構あけっぴろげに話をする人で、子供のいじめを鶏のけんかにたとえていた。鶏は群の中で上から順番にしたの者をいじめていって一番弱いのが死んでしまうというのだ。それに付け加えて、教員の間にもいじめのようなものだあるんだと語っていた。職員室に行ったら、自分の机が消えていたとか、会議の予定を教えてもらえなかったとか、この先生から聞いた話だったかどうかは記憶があいまいだけれども、具体的ないじめの内容も聞かされた。
 学校の先生の中にもガキみたいな人がいるんだなあとあきれ、先生だからという理由で尊敬するのではなく、自分の目で判断して尊敬できる先生だけを尊敬するという生意気なガキになるきっかけを与えてくれたことになるから、この先生も尊敬に値する先生だった。当時はすでに年配で威厳のある人だったからいじめられてはいなかっただろうけど、若いころは先輩に生意気だといじめられていてもおかしくないタイプの人ではあった。ただこの先生ならやられたら、やられた以上にやり返すだろうとも思っていたけど。

 80年代に顕在化しかけてなかったことにされた、教員間のいじめが90年代以降どのような経緯をたどったのか、検証して報道するようなマスコミはないのか。80年代には、子供のいじめ問題に絡めて、教員間のいじめについて指摘していた新聞記事もあったと記憶する。その新聞社では、記事にするしないはともかく、ある程度取材はしたはずなのだから、それを元に歴史的な変遷をたどってこそ、問題を放置し続けた文部省や教育委員会にたいする批判が有効なものになる。

 各地の教育委員会の出たらめっぷりについても、書くべきことはあれこれあるだろう。個人的にも教育委員会許すまじと思わされた一件がある。高校一年の頃の校長先生は最高だった。この人の元で三年間高校生活を送れていたらと思わせるような、素晴らしい方で、我々の入学と同時に転勤してきたから、本来であれば、最低でも我々が卒業するまでは校長を続けるはずだったのに、赴任して一年後に退職されてしまった。次に来た校長が最悪で、そのクソのおかげで一年の頃の校長先生のすばらしさが浮き彫りになったという面もある。
 大学に入ってから、その校長先生の自宅を訪問する機会があったので、退職された事情を聞いてみた。うちの高校に定年まで勤めるという約束で赴任したのに、教育委員会から転勤するようにという圧力をかけられたのに怒って、ふざけるなとケツをまくって定年まで二年を残して辞めちまったんだと仰っていた。
 転勤を求められた理由というのが、県の教育委員会の有力者の一族のぼんぼんが、母校であるうちの高校で校長をやりたいとごねて、その望みをかなえるためだったというのも、我らが校長先生が腹を立てる理由だったようだ。その新しいののせいで、校長先生だけでなく、そいつが高校生だったころからうちの高校に在任していた名物先生たちがみんな追い出されてしまったというのも、我々在校生の怒りに火をつけた。そのせいで萎縮してしまった先生たちもいたし。転勤させられるのを恐れない先生たちと、新しい校長の悪口で盛り上がったのはいい思い出ではある。

 それで、最初は話が無駄に長いだけで特に目立つようなこともしていなかったそいつが、突然管理教育を強化するような方策を打ち出したときに生徒達の中から反対運動が起こって、ちょっとした騒ぎになったのだった。ただ、その騒ぎの責任を取らされたのは新しい校長ではなく、一緒に転勤してきた教頭で教育委員会の閑職に飛ばされたのだった。ふざけんなで、大学受験のために校長の署名が必要な書類が出て、個人的に頼む必要があったときには、受験を諦めようかとさえ思うぐらい嫌なやつだった。節を曲げて頼みには行ったけど、言葉だけで頭は下げなかったのは、せめてもの抵抗だった。卒業式に出られないように入試の日程を組んだのもこいつから卒業証書をもらいたくなかったからだったって、アホなガキだったなあ。
 そんなこんなで、人生というものの現実を見せ付けられて、青臭い正義を唱えているだけではどうしようもないということを教えられたのだった。それでも、今でもあいつだけは許せねえと思い出すことがあるから、我ながら執念深いというかなんと言うか。

 話を元に戻そう。今回の件で、実際にいじめを働いた連中が批判されるべきなのは当然だけど、それ以上に糾弾されるべきは、教育委員会であり、文部省であるはずだ。現場の教員が病んでいかざるを得ないような小学校の労働環境を改善することの方が、大学入試動向とか、指導要領なんかよりはるかに重要ではないのか。ちゃんとしたレベルの大学に入れるかどうかは、小学校でどれだけちゃんと勉強できるかにかかっているのだし、大学生の質を上げたければ、初等教育のレベルを上げることが大切になってくる。そこで先生が病んでいたら……。
 あれ、またなんか変な方向に行ってしまった。
2019年11月14日22時。








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2019年11月14日

温故知新続(十一月十二日)



 昨日こんな題名で文章を書き始めたのは、今の日本に、特にマスコミの報道に欠けているのが、この温故知新的な態度ではないかと思ったからだった。目の前のできごとに大騒ぎしてみせて、話題を作ることしか考えていないから、過去のことなどどうでもいいのだろう。読者としては、歴史的な文脈の中に入れたときに、どんな意味を持つのかという視点での記事を読みたいのだけどね。

 最初に、このことに気になりだしたのは、タピオカとか言う食べ物? だっただろうか。日本で流行っているという話を読んで、またどこかの会社が、どこかの国から、日本にもすでに似て異なるものの存在する食べ物を、今までになかった新しいものとして導入したのが、たまたま当たったのだろうと考えていた。その後、十年ぐらい前にもブームがあったなんて話をちらっとどこかで読んで、雑誌や新聞の記事ではなくて、個人の書いたものだったと思うけど、これもよくある、過去のブームの再来だったのかと理解した。
 そんなときに、朝鮮戦争の野戦病院を舞台にしたアメリカのドラマ「メッシュ」を見ていたら、タピオカが登場したのである。朝鮮戦争当時、日本が米軍の補給基地としての役割を果たしていたことを考えると、当時すでに日本に入っていたとてもおかしくはない。ブームになったかどうかはわからないけど。タピオカについて書くときにいちいち日本への伝来の歴史を書くなんてことは無理な話だろうが、これまでのブームと今回はどう違うのかなんて記事は見かけなかった。あまり興味のあることではないから、見落としの可能性もあるけどさ。

 そして、以前にも書いたけれども、東京医科大学の入試不正の疑いや、裏口入学が報道されたときも、過去の事例と比較するような記事は皆無だった。裏口入学なんて、80年代、90年代には、週刊誌なんかでも結構取り上げられていたのだから、そのときと、この東京医科大学の件がどう違うのか、もしくは変わっていないのかなんてことを知りたかった。ここの大学はOB回が窓口になっていてとか、国会議員のだれそれが枠を持っていてなんて、結構具体的なことが書かれていたと思うんだけどなあ。
 そういう大学入試の歴史的な流れを知っていれば、これまで文部省がどのように大学入試を改悪してきたかという観点から、センター試験に代わる新しい試験の導入についても批判できるはずである。この件に関しては、大学関係者からは怨嗟の声しか聞こえてこないけど、認可と補助金を握られている以上、正面から批判できないらしい。こういうときこそ、マスコミの出番となるはずなのに、文部省の情報操作に踊らされて、まともな批判ができていないのだから情けない。

 そもそも、一次試験に記述式の問題なんかいらないのだ。学生に思考能力とそれを文章にまとめる能力を要求する大学は、二次試験でやればいいだけの話である。文部省がセンター試験を商売の種にしようとして、一次試験だけで合否を決めるとか、私立でもセンター試験を利用して合否を決めるとか、意味不明なことを始めたのがいけないのである。
 センター試験だけでいくつもの大学を受けられるということは、一見、受験生にとって有利な制度のように見えるけど、一つ失敗したらおしまいと考えると、センター試験にかかるプレッシャーが過大なものになる。逆に二次試験があったり、別試験だったりすれば、センターで失敗しても取り返しがきくという気楽さがある。新テストも、それだけで合否を判定する私立大学の参加も見込んでいるのだろうけど、自分が受験生だったら、そんな大学は受けたくないなあ。

 目玉となっていた民間の英語試験を利用するという、責任放棄としか理解できない案も、現時点では延期になったようだけど、本質的な批判なんて見かけなかったし。そもそも高校を卒業した時点で、英語でペラペラ喋れる能力がいるのかって話である。外国語の学習においては、読み書きがしっかりできていれば、喋れるかどうかは、語学能力以上にコミュニケーション能力に左右されるはずだ。それに喋れても、話の中身が天気の話とか、道案内とか、わざわざ話さなくてもいいようなことしなないなら、そのために英語を勉強するなんて時間の無駄である。
 もちろん英語を専門とする学生は別だけど、日本文学や日本史を専攻する学生には、英語で話すための努力をする時間があるなら、古文漢文を原文で読んだ方がはるかに意味がある。専門的な知識が十分にあって、初めて大学生が英語で話す意味が出てくるのである。いや、話さなくてもいい。専門分野について論文を書けるようになればそれで十分である。どうせ、英語を専門に学んでいる連中には叶わないのだから、必要なときには通訳を頼めばいいことである。問題は英語で情報を発信できないことではなく、発信するべき内容が存在しないことにある。
 入試制度を変えたところで、この問題が解決するとは思えない。大学生の英語のレベルが下がっているとかいうのだって、実は大学が増えすぎて学生の平均レベルが落ちた結果じゃないのか。センター試験をやめるなら共通一次を復活させた方がましである。

 考えが煮詰まらないまま書いたら、自分でも意味不明なものが出来上がってしまった。読んでくれた方には申し訳ないことである。
2019年11月13日22時。









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2019年11月13日

温故知新(十一月十一日)



 十一月十一日は、聖マルティンの日で、チェコのワイン業界がフランスのボジョレ・ヌーボーを真似て始めた聖マルティンのワインの発売はこの日から始まるはずなのだけど、今年はすでに先週の金曜日からホルニー広場などに直売のスタンドが設置されて販売が始まっていたようだ。それでいいのかなんて疑問は無駄である。チェコなんだからそれでいいに決まっている。
 去年か一昨年かは、11月11日の11時11分に販売開始なんて、時間まで厳密に決めていたことを考えると、えらくいい加減になったものである。現在ほど大々的になる前も、適当というか、各販売店で勝手にやってたような記憶もあるから、元に戻ったと考えることもできるのかな。このように、現在の出来事を理解するのに、過去の出来事を参照して参考にするのを温故知新という。うーん、我ながら無理のありすぎる書き出しだなあ。

 とまれ、この四字熟語の前半を、「故きを温め」と訓読するか、「故きを温ね」と訓読するかという問題はあっても、その意味するところは明らかだろう。そして、温故知新で思い出すものと言えば、国学者の塙保己一である。小学校だったか、中学校だったかの、確か国語の教科書にこの人の簡単な伝記が紹介されていて、その存在と座右の銘だったという四字熟語、温故知新を知ったのだった。
 盲目でありながら超人的なまでの意欲と記憶力で国学者として一家を成した塙保己一には、正確にはその業績には大学に入ってからお世話になった。古今の国書を集めて類従し校訂した上で、「群書類従」として上梓したのも保己一の業績である。『小右記』愛読者としては、『小野宮年中行事』が読めるというだけでも、「群書類従」と保己一には感謝の言葉しかない。
 続編として「続群書類従」「続々群書類従」も刊行されていて、現在ではデジタル化されてジャパンナレッジで閲覧できるのだけど、個人向けのサービスでは利用できず、大学図書館などの法人で契約しているところでしか閲覧できないのが残念である。気になったのが、このコンテンツの提供元が八木書店になっていることで、『小野宮年中行事』の収録された巻は、続群書類従完成会から刊行されていたと記憶する。

 確認したら続群書類従完成会は2006年に倒産し、出版事業を八木書店が引き継いだらしい。八木書店というと古書店としてのイメージが強く、出版社としては機構本のイメージしかなかったから、意外だった。『小右記』の前田本を影印判で出版しているのは、イメージどおりだけど。堅実出版活動をしているという印象だった続群書類従完成会の倒産は、日本の学術出版の行き詰まり振りを象徴しているのだろう。
 昔の貧乏大学生は、自分の専門に関する書物は、かなりの無理をしてでも手に入れたものだ。手に入らないものは、全ページコピーするなんてこともあった。遊びや食事にかけるお金を削って勉強にお金をかけていたのである。酒代は削らなかったけど。学術書が売れなくなっているということは、大学の数が増え、専門的なことを学ぶはずの大学生の数は増えているというのに、勉強を第一に学生生活を送る学生の数が減っているということだろう。

 1990年代初めの我々のころも、大学のレジャーランド化というのが問題になっていて、勉強しない学生はかなりいたけれども、その一方で、勉強するために大学に来たという学生もまだ多く、当時の学術出版は、そんな真面目な学生たちに支えられていたのだ。新本で買えない場合には、定価よりも高い古本を買うなんてこともあったし。
 大学は勉強のためだけに行くところじゃないなんてことを言う人もいるけど、勉強以外のことは大学以外でもできるだろうと言いたくなる。勉強をした上で、勉強以外のこともすると言うのならまだ理解はできるけれどもさ。それが自分で、もしくは親の金で大学に行っているのなら、勉強しなくても自業自得だが、高校まで勉強してこず、地方の駅弁国立大学にさえ合格できなうような連中を、税金で大学に行かせようってのは、おこの沙汰だよなあ。そんな制度を作るのなら、先ずやるべきことは大学と学生の数を減らすことだろう。

 日本には税金払っていないから、文句を言う資格はないだろうけど、偏差値50以下で入れる大学って、大学である意味あるのかななんてことを考えてしまう。専門学校でもいいだろうにって、文部省が天下り先の確保のために、専門学校をどんどん大学していた時期があるのだった。すべての元凶は文部省ということか。
 脱線して予定外の内容になってしまった。枕その2が、長くなりすぎた結果である。
2019年11月11日25時。









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2019年11月10日

ベルリンの壁(十一月八日)



 我々、1980年代末に高校を卒業して大学に入った世代にとって、ベルリンの壁は戦後の冷戦の象徴であり、その崩壊は冷戦の終わりの象徴だった。だからベルリンに旅行した人が、自ら壁を崩してお土産として持って帰ってきたという話を聞いてうらやましく思ったし、ベルリンの壁の破片をお土産として売るお店があって観光客が自分で崩そうとするのを邪魔してたなんて話を聞いて、ドイツ人の商魂のたくましさにあきれるとともに、日本で言われているほどドイツ人って真面目でお堅いというわけでもないのかと思った。思い返せば、自分の中にあったドイツという偶像が壊れ始めた最初の事件だったのかもしれない。

 そのベルリンの壁の崩壊から今年の11月9日でちょうど30年ということで、チェコテレビのニュースでも取り上げられ、ここ何日か毎日のように当時を振り返るニュースが放送されている。8月のプラハの春のときほど多くはないし、これからすぐに、11月17日のビロード革命の発端となるデモの起こった日の特集に取って変わられるのだろうけど、昨日の夜のニュースで今まで知らなかった事実が報道されていて衝撃的だった。
 元心情左翼なので、90年代に日本で出版された旧ソ連圏の共産主義諸国崩壊に関する本はあれこれ購入して読んだ。そのおかげで、社会主義の誇る計画経済というものが最初はともかく、大半は計画倒れにおわっていたため、国の経済がほぼ破綻した状態にあり、ゴルバチョフの登場がなくとも、東側諸国は、遅かれ早かれ、崩壊していただろうことは知っていた。ただ、東ドイツの状況がここまでひどく、西ドイツとの間でここまでひどいことをやっていたとは思わなかったというのが、ニュースを見ての感想だった。

 一つ目の驚きは、東ドイツが深刻な経済危機にありながら、何とか命脈を保ちえていたのは西ドイツからの借金のおかげだったという話である。公式に共産党によって階級の敵に認定されていたブルジョワの権化西ドイツ政府から支援を受けていたのである。これを人民に対する裏切りといわずして何を言うのか。西ドイツ政府も、当時西側では東側諸国をテロリストを支援する国家として敵視していたはずなのに、裏でつながって支援していたとは。
 この西ドイツの、借金という形とはいえ、東ドイツに対する資金援助が行なわれていなかったら、破綻した東ドイツをソ連が支えきれなくなって、ベルリンの壁の崩壊がもう少し早くなった可能性もあるのかもしれない。そうすれば、チェコスロバキアのビロード革命も1988年に起こっていて、チェコ史における8のつく年の伝等に並んでいたかもしれないのである。残念。
 そして、東ドイツ政府は、さらなる資金獲得の方法を発明する。それが、人身売買のような、人質をとって身代金をとるような、一国の政府がこんなことをしてもいいのかといいたくなるようなものだった。さすがは諜報機関でテロリストを育てて西側にばら撒いていた国である。東ドイツの求めに応じて金出していたらしい西ドイツもどうかと思うけど。

 東ドイツの国民にとって、いくつかあった西側に亡命する方法の一つがベルリンの壁を乗り越えて、西ベルリンに入ることだった。もちろん、厳重に監視が張り巡らされていたから至難の業であったのだろうが、このベルリンの壁を乗り越えての亡命は、検問所を無理やり通り抜けるという話もあったかな、小説や、漫画、映画などさまざまな形で描かれているが、警備隊に銃殺された人もいれば、途中で捕まって強制収容所に放り込まれた人もいるらしい。
 東ドイツが目をつけたのは、この国に留まることを望まない亡命に失敗した人たちだった。国にとっても不満分子を国内に抱え込んでおくことは負担だということを考えたのか、西ドイツに取引を持ちかけたらしいのだ。収容された人を西ドイツに引き渡す代わりに、金をよこせと。これを人身売買と見るか、人質に対する身代金と見るか、難しいところである。

 短いニュースだったので、一人当たりいくらと決まっていたのか、人によって金額が上下したのかもわからないし、誰を買い取るかを決めていたのが、どちらの国だったのかもわからないのだけど、衝撃的な話だった。東ドイツも誰彼かまわず売っぱらったのではないだろうし、西ドイツとしても引き取る人は選びたがっただろうから、そのつど協議していたと考えるのが自然だろうか。
 冷戦の末期、東西ドイツの再合併以前から、現在まで続く西から東への資金援助が行なわれていたのである。東西ドイツが、鉄のカーテンを挟んで、実はずぶずぶの関係だったというのは、ほかにもあれこれありそうだ。
2019年11月8日24時30分












タグ:歴史 ドイツ
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