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2019年12月25日

大学入試改革なんざやめちまえ4(十二月廿二日)



承前
 ということで、今回は後者の「元外交官が嘆く、英語教育改革の愚 センター試験の「読み」重点は正しい NHKラジオ英語講座で磨ける能力とは」についてである。内容にはおおむね賛成するし、最後を除いて特に批判するようなこともないのだけど、何ともいやみな、英語で落ちこぼれた人間のコンプレックスを刺激してくれる文章である。今ではチェコ語が「ぺらぺ」ぐらいにはなっているので、それほど気にならなかったけど、最初にチェコに来たころ、大体何となくわかる程度の意思疎通はできるというレベルの英語で苦労していたころに読んだら、むかっ腹を立てて改革派に賛成してしまったんじゃないかと思った。記者の記事のまとめ方の問題だとは思うけど。

 とまれ、読む力をつけるのが外国語習得の基本だというのは正しい。読んで理解できないようなことを、聞いて理解できるわけがないし、書いたり話したりなんてのも無理な話である。勉強法で気になるのは、最初は英語の発音がカタカナ英語だったけど、NHKのラジオ講座を聞いていたら矯正されたという部分で、これは大半の人には難しいだろうと思う。
 チェコ語でも、他人のことは言えないわけだけど、かなりチェコ語がよくできる人でも、教科書のチェコ語の文にふられたルビの影響で、カタカナ発音が残っている人、特に「ti」を完全に「チ」と発音している人は多い。ただし、それが問題だというつもりはない。子音が連続しているところでついつい母音交じりに発音したり、RとLの発音が微妙だったりしても、使っている言葉が正しく文法にも大きな問題がなければ、それなりに通じはするのだ。

 前の文章にも言えることだけれども、何のために外国語、特に英語ができるようにならなければならないのかという視点が欠けている。この人は外交官として活躍したというから、文法だけでなく発音まで正しい英語を使うのが望ましかったのだろうが、そもそも正しい英語の発音ってのはどこを規範にするのだろう。我が少ない英語での経験に基づいてもイギリス、アメリカ、オーストラリアなどなどそれぞれに違った理由で聞き取るのが大変で、実は一番聞き取りやすかったのがドイツ人の英語だったと言う落ちがつく。
 チェコ語に関して言えば、最初は通じればいいであまり細かい発音は気にしていなかったのだが、師匠にチェコ語を習うようになってからは、師匠のような発音でしゃべりたいというのが目標になった。特に発音の矯正をしたわけではないけれども、師匠と話すときには師匠の発音を真似て話す努力はした。そのおかげで、聞き取りやすいとは言ってもらえるようになったが、完璧には程遠い。去年のサマースクールの発音矯正のクラスでは結構だめだめだったし。最近師匠と話していないのが、原因だと考えている。文法の面でもチェコ語を研究するつもりはないから、現在では使われなくなった古い文法の勉強はしなかったし、これからもする気はない。こんなのはたまに出てきたときに、これはあれだねとわかればそれで十分なのである。読んでいる場合には意味は類推できるし。

 それから、大正期から続く英語の学習法が間違っていないのだというのにも、限定的だけど賛成する。明治大正、下手すれば江戸時代に英語を学んだ人たちの中に、現代でも通用するレベルで英語ができる人がいるのは確かだし、訳読を中心とした勉強法というのが正統的で、正しい英語を身につけるために必要だというのには賛成する。
 ただし、この手の勉強法が合わないと言う人がいるのもまた当然のことだし、教科書で読まされる文章に魅力が欠けて、読む意欲がわかないことが多いのもまた事実である。だから、センター試験の英語は変える必要がないと言うのには賛成できても、英語の授業がこのまま、もしくは、我々が勉強したときのままでいいというのには、ちょっと同意しかねる。黒田龍之助師もどこかに書いていたように、面白い文章はえてして難しいというのも事実だから、バランスが大切なのだろうけど。

 地方の公立の進学校の底力を称賛しているように読めるのも大賛成である。仮に田舎の高校の進学率が低いということがあるとしても、それは教育力が低いことは意味しない。田舎から出たくないと考える生徒たち、出したくないと考える親たちがいて、私立のいわゆるFランクの大学に行くぐらいだったら、浪人するか就職するかした方がましだという価値観が残っているからである。多分今も残っていると思う。うちの田舎にもレベルの低いといわれる私立大学があったけど、そこに行った同級生は一人もいない。
 交通の便の悪さならともかく、教育のレベルが低いとかいう理由で地方の高校を哀れむなんて、現実を知らない都会の人間の思い上がりに過ぎない。仮に今後大学入試の改革をするというなら、地方の高校の先生で歯に衣着せぬ物言いのできる人を助言者として採用するべきだろう。そうしないと、地方のため野という美名のもとに、地方の負担が増加するだけである。我が高校時代の英語の先生なら、今回の改革案についてぼろくそにけなすだろうなあ。

 最後にどうしてもこの人の意見に賛成できないのが、試験改革を企てているのが、英語の勉強に失敗した人じゃないかというところで、これはどう考えても自分は英語が得意だという人が、苦手な人に対して余計なおせっかいを焼いているとしか思えない。英語が苦手な人は、大学受験の英語を何とか乗り切れればそれで十分なのであって、こっちの方法で勉強すれば英語ができるようになるとか言われても、英語のいらない分野に進むからと関心を示さないだろう。海外旅行程度であれば受験英語の搾りかすでも何とかなるわけだし、嵐はやり過ごすに限るのである。

 二つの文章を読んで不満だったのは、母語である日本語と外国語の関係に無頓着だったことで、日本語でできないことが外国語でできるわけがないのである。日本語でもまともな文章が書けない人間に、英語で書けなんていったところでできるわけがない。それは作文に限らず、話す方も同じであって英語教育をどうこうする前に国語教育を改めるべきだと思うのだけど。
 改革推進派にしろ、反対派にしろ英語が得意な人たちにはこの視点が絶対的に欠けているのが、最大の問題である。国語を軽視するから英語どころか日本語すらもおぼつかない総理大臣やら、新聞記者やらが横行することになるのだ。
2019年12月22日22時。










posted by olomoučan at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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