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2018年04月11日

潅仏会(四月八日)



 旧暦ではないとはいえ卯月八日である。卯月八日はお釈迦様の誕生日で、古来潅仏会の行われてきた日である。平安時代には、宮中行事の一つとして毎年行われており、実資の『小右記』にもしばしば登場する。ただし、有力神社の祭日とかさなり祭使の発遣の儀式が行われる場合には、神事を優先して仏事である潅仏会は中止されることもあった。宮中だけでなく、中宮や貴族が自邸で行うこともあったのは他の宮廷行事と同じである。

 現在では仏教の宗派を問わず、各寺院で花祭りとして行われ、年中行事の一つになっている。この手の年中行事は都会よりも田舎のほうで維持されているような印象が強いが、初めで花祭の存在を知ったのは東京に出てからであった。六月晦日の茅の輪くぐりもそうだが、田舎の中途半端な新興住宅地では、伝統的な年中行事に触れる機会は、1980年代には極めて少なかったのである。
 地方都市は、近代化に力を入れて田舎であることからの脱却を目指していたから、大きな祭りならともかく、伝統行事は軽視される傾向にあった。その点では、これ以上の近代化など必要のない大都市の昔から続く住宅地のほうが、民俗的な伝統を保持しようとする傾向が強かったといえる。茅の輪くぐりをしたのは、渋谷の繁華街の近くとは思えない静かな住宅街のなかにひっそりと隠れるように建っていた神社の境内だったし、花祭に実際に出かけたのは本郷の大通りからは存在することも気付けないような小さな寺院だった。

 民俗学を多少かじって花祭の存在を知ってからも、どこの寺院で行われているのか知らず、なかなか出かける機会がなかったのだが、そんな話をしたら知人がじゃあ行こうといって、職場の近くの小さな寺に連れて行ってくれた。宣伝してないから知らない人も多いけど、たいていどこ寺でもやってるよというのは、知人の弁。寺の近くの住民は言われなくても知っているから毎年参拝するし、観光客を集めるような行事ではないから、わざわざ宣伝することもないということのようだった。
 住宅街の民家に囲まれえた小さな寺は、寺門も本堂も長い歴史を感じさせるようなものではなかったのだが、本堂の入り口に地元の人たちが行列を作っていた。順番が回ってきてはじめて見る釈迦の誕生仏のささやかさに驚きながら、柄杓で茶色い液体をくんで誕生仏にかけた。甘茶の入った器の真ん中に誕生仏が立っていたんだったかな。

 その後は、集会にでも使われていそうな部屋で、茶碗に注がれた甘茶をいただいた。初めて飲む甘茶の甘さは、何とも言いがたい微妙な味で、知人にどう? と聞かれたときにうまく反応を返せなくて、知人だけでなくその辺にいた地元の人たちにも笑われてしまった。
 口々に、そんな美味しいものではないとか、縁起ものだから味は二の次だとか、遠まわしにおいしくないと言われて、自分も正直に感想を言えばよかった。正直、二度と飲みたくないとまでは思わなかったけれども、お代わりいるかと聞かれたら即座にいらないと答えるレベルの味だった。慣れればこの味が病みつきになると言う知人と違って、あの微妙な甘さに慣れることはなかった。年に一回飲むかどうかでは慣れようもなかったし、病み付きになるといっていた知人も普段から甘茶を飲んでいるというわけでもなかったのだ。

 甘茶というのは健康飲料として一時流行したアマチャヅルから作られるお茶かと思っていたのだが、そうではなくアジサイと似た甘茶の木というのがあって、その葉から作られたお茶の可能性もあるらしい。花祭りで飲んだ甘茶がどちらの甘茶だったのかは今となっては知る由もない。もう一つ気になるのは、甜茶というのを見かけたことがあることで、甜は砂糖大根こと甜菜の甜だから、これも甘いお茶であるに違いない。これも甘茶の一種ということになるのだろうか。
 チェコでもいろいろな植物の葉を材料にしたハーブティーを飲むことができる。以前はいろいろ試したものだが、甘茶のような甘いものは飲んだことがない。ハーブティー自体も当たり外れが大きく、ミントのお茶ぐらいしか飲まなくなって久しいから、探せばあるのかもしれない。問題は探してまで飲みたいようなものではないというところにある。

 話を潅仏会に戻そう。森雅裕が薀蓄を傾けた小説の中で、「お釈迦になる」という言葉の起源について書いていた。お釈迦様の誕生日の四月八日、ひらがなで書くと「しがつようか」が、「ひがつよかった」に通じることから生まれた表現だというのである。つまり刀鍛冶の世界で、火が強すぎた場合に、作りかけた刀がだめになることからできた言葉らしい。これが正しければ、四月八日の潅仏会は、現在でも日本語の中に生きていることになる。あれ、お釈迦になるなんて使う人はもうあまりいないかなあ。

 往生するとか、お陀仏だとか、昔はよく使われた仏教起源の言葉は最近見かけなくなったような鳴きもする。ことの良し悪しはともかく、日本語の豊かさというものが失われつつあるのは確かなことだろう。右翼の民族主義者が、本気で日本のすばらしさを信じているのだすれば、日本語の豊かさをこそ守るべきである。それは日本語は美しいと声高に叫ぶことではなく、自らが豊かな表現を駆使した正しい日本語を使用することによってなされなければならない。
 だから、ら抜き言葉を使うような右翼の活動家、政治家は信用できないし、日本語が怪しい右翼の政治家も支持できない。野党の政治家も日本語のでたらめっぷりでは劣らないから、日本語至上主義者にとっては、選挙は苦行であるに違いない。これもまた、在外選挙制度を利用しない理由の一つである。話が愚だ愚だになってきたので、お釈迦になる前にこの辺でおしまいにしよう。書き始めたときは結構いいことが書ける気がしたのだけど、途中で大往生してしまった。お陀仏にならなかっただけよしとする。
4月8日23時。









posted by olomoučan at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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