2018年04月06日
形容詞を副詞にする方法1(四月三日)
高校生ぐらいまでまじめに国語の勉強をした人は、いわゆる橋本文法を基に学校での学習用に改定された国語文法というものを覚えているはずだ。中古の和文を解釈するのには、あまり大きな問題はなかったが、現代日本語の説明にはあれやらこれやら例外事項が多く、もっと適切な文法の解釈があるのではないかと言いたくなることも多かった。橋本文法以外の文法は存在するし、部分的には橋本文法の問題点を解消したものもあるけれども、日本語を全体として記述する文法としては、現時点では橋本文法を越えるものは存在しないと言っておく。
その橋本文法における現代日本語の説明において大きな問題になるのが、形容動詞と副詞である。形容動詞の問題はここではおくとして、副詞に関しては、品詞分類に際して、ゴミ箱と呼んでいる人も多いのではないだろうか。とりあえず、どの品詞になるのかよくわからないものは、副詞に入れておけば、たいてい正しいのである。
チェコ語の副詞の中にも結構その手のよくわからないものがある。よくわからないにもいろいろあるのだけど、最初は名詞なのか副詞なのかわからないというものを挙げよう。「今日学校に行きました」の「今日」は、副詞的な使い方ではあるにしても、名詞といっておけば問題ない。
では、チェコ語はというと、「dnes」は、名詞ではなく時間を示す副詞として扱われるようなのである。そのため、「今日から」なんて助詞を付けて言いたい場合には、「ode dnes」ではなく、「ode dneška」となり、「dnešek」という名詞を使うことになる。でも「do dnes」なんて表現はあったような気がする。あれは一語化して副詞になっているんだったかな。よくわからん。
「dnes」と同じように、「včera(昨日)」「zítra(明日)」にも名詞形の「včerejšek」「zítřek」という表現が存在するし、同じ時間を表す表現で「letos(今年)」にも名詞形「letošek」が存在する。悩むのが、「předevčírem(一昨日)」「pozítří(明後日)」「popozítří(明々後日)」「loni(去年)」なんかに名詞形があるのかだけど、ここではあることにしておく。
ということで空洞化の進む頭で考えて、前置詞を使わずに一単語で時間を表すことができるものは副詞扱いにするのだろうという結論を出した。つまり、一日のうちの時間をさす「ráno(朝)」「dopoledne(午前)」「 večer(夕方から夜)」なんかは、副詞として扱って、名詞ではないから前置詞をつけずに時間を表せるのだろうと。しかし「dopoledne」はともかく、「do rána」「do večera」というのは普通に使っている。日本人が使っているだけだと間違いの可能性もあるけど、直されたことはないし、チェコ人が使っているのもよく耳にする。ということは、この「ráno」と「večer」は名詞だということになるのだろうか。
チェコ語における時間を表す表現の混乱振りはまだ紹介していなかっただろうか。いくつもある時間の表し方の一つに、名詞の四格を使うというものがある。前に形容詞の付いたものが多いのだけど、たとえば「先週の土曜日(に)」というのは、前置詞も何も使わず「minulou sobotu」と四格で表現する。そうすると、上に挙げた「ráno」と「večer」は、名詞を四格で使っていると考えてもよさそうである。さらに「dnes」も一格と四格でしか使わない名詞と考えてもよくないか。なんてことを考えると思考の迷宮に落ちていってしまう。
品詞の分類なんてどうでもいいではないかと考える人も多いかもしれないが、品詞をしっかり区別できるというのは、チェコ語の学習においては大切なことである。初学のころに、「明日まで」というとして、「zítra」は「a」で終わるから二格はと考えて、「do zítry」なんて言ってしまったことはないだろうか。これが副詞だということがわかっていれば、前置詞をつけられないから、別の方法を探すことになる。その結果、どういえばいいかわからなくて先生に聞くというのが関の山だろうけど、自分で問題点を把握した上で、質問をすると間違いにくくなるものである。とは言いながら今でもあれこれ間違えるんだけどさ。
そして、もう一つよくわからないというか、そういうものだと考えるしかないのが、日本語では名詞と助詞で表すものを、チェコでは副詞と称する言葉で表現するものである。最初のほうに出てくるからすぐ慣れると言えばその通りだけど、「私は日本語を勉強している」というのは、「Učím se japonsky」となり、「日本語ができます」は「Umím japonsky」、「日本語で話しています」は「Mluvím japonsky」となる。日本語「を」も「が」も「で」もみな同じ「japonsky」で済ませてしまうのである。厄介なことに、同じ勉強するでも「studovat」を使うと、「Studuji japonštinu」と名詞の四格が必要になる。
それはともかく、この「japonsky」というのは、形容詞の「japonský」の副詞化したものだと説明される。名詞に接続するのではなく、動詞にかかっていくことから副詞と呼んでいるのだろうけれども、高々語尾の長母音が短母音に変わっただけのものを、別の単語として扱う必要があるのか。日本人としては形容詞が動詞にかかるときの形、つまりは形容詞の連用形として理解したいところである。文末の述語として、または名詞の前で使える「japonský」は終止形と連体形だと考えればいい。現代日本語では形容詞も終止形と連体形は同じ形を取ることであるし。
その形容詞の連用形=副詞の作り方の説明をしようと書き始めた文章なのだが、例によって枕が長くなりすぎて本題に入るのは次回ということになってしまった。
2018年4月3日24時。
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