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2018年01月28日

寛和元年五月の実資〈上〉(正月廿七日)



 先月末に改元が合ったので、今月からは寛和元年である。この時期さまざまな理由で改元が行われるのだが、これは代替わりにより改元かな。来年には花山天皇が退位し一条天皇が即位する結果、寛和も永観と同じで三年で終わってしまうのである。残念なのは寛和二年の花山天皇譲位のころの『小右記』が残っていないことである。
 花山天皇が配下の義懐たちを使って行った政治を高く評価するむきもあるけれども、『小右記』の記述を読む限り、それには賛成できない。兼家の子供たちの陰謀がなくても、父の冷泉天皇、弟の三条天皇と同様に退位することになったのではないかと想像する。馬やら遊びやらがそんなに好きなら上皇になってからやってくれというのが、貴族たちの本音ではなかったろうか。

 一日は、また子供誕生後の儀式で、子供に白い産着を着せている。この産着の材料となったのは、産婦がお腹にまいていた絹だという。これについては女性たちからこうするんだと言われている。

 二日は、訃報から。冷泉天皇の皇女で、賀茂の斎院を務めた後、円融天皇の女御になっていた尊子内親王が高じている。享年二十歳。この頃の女性って、早くして亡くなる人が多いのである。
 讃岐介の藤原永頼から出産祝いの銭が届いている。詳しくは書かれていないが、五日目の夜ということで、お祝いが行なわれたようである。「所々」とあるので、実資と関係のあるあちこちの所で行なわれたのかもしれない。

 三日は、夕方室町に出かけている。左近衛府の荒手結が行なわれているが、実資は出仕したのだろうか。先月末に申請した休暇中ではあるが、五月の荒手結は騎射で馬場で行なわれるだろうから、内裏内でなければ参入してもよかったのではなかろうか。

 四日は、誕生七日目のお祝いである。今月は、実資の養父である実頼の忌月なので饗膳を設けることはできないといいながら、お祝いに訪れた人々に対して、詳細は不明だが、「半机の儲け」というのをしている。酒飲んで和歌作って、サイコロ転がしているから、祝宴ではあったのだろう。

 五日は、左近衛府の真手結であるが、欠席。子供が生まれてから始めて、頼忠、円融上皇、中宮遵子を訪問する。中宮からは、女官が準備した薬玉とありがたい言葉を頂いてる。

 六日は久しぶりに参内。右馬頭の藤原正光とともに右近衛府の真手結を見ている。自分の所属する左近衛府の真手結はサボったのだけどね。小雨と雷鳴について記されているが、この時期雨が多いような気がする。

 七日は、雨の中小野宮第に戻り、陰陽師の縣奉平に反閉という邪気を払うための歩法を行わせている。実資たちもその後ろを同じように歩いたものか。これは実資の引越しに向けて邸宅の清めを行なったと考えてよかろう。その前には、米や金銭などをまいて神仏に供えることもしているし。これまでルスを預っていた人々に褒美を出している。

 八日は参内してそのまま翌朝まで候宿する。大納言の藤原為光が諸国から上がってきた書類に天皇の勅裁を受ける官奏を執り行っているが、花山天皇の同母の姉である尊子内親王が亡くなったことを天皇に奏上する薨奏が行なわれていないのに、官奏を行なうのはどうなのだろうと疑問を呈している。天皇寵愛の女御である娘を通じてか、天皇と為光の関係が近づいている様子がうかがえる。

 九日は、早朝退出して、室町、頼忠、上皇を訪問して、中宮の許に出仕して深夜帰宅。左大臣源雅信が諸国の郡司の任命について式部省が作成した書類を天皇に奏上する儀式を執り行っている。

 十日は、まず参内して左大臣源雅信の所に出向く。夜になって生まれた子供の乳母を務めてくれる女性がやってきた。中宮職の部下である藤原経理の妻である。小野宮第の敷地にないにあると思われる東御堂に守り本尊の仏像を納め香花の儀式を行なっている。担当したのは講円師が不在だったので、平実。

 十一日は、小雨の中を競馬の行われた馬場に出向いて競馬が終わってから参内。今夜は特に雷雨が激しかったようである。弘徽殿の女御と呼ばれる藤原為光の娘が、昨日から桂芳坊で僧を招いて修法を行わせているという。女御が内裏内で修法を修めるというのは、これまで聞いたことがないから、調べなければならないというけれども、批判なのだろう。こういうのは里邸に下がってからやるべきだということなのだろうか。

 十二日は、早朝退出して帰宅。今日明日は内裏の物忌である。実資は参入していない。

 十三日は、頼忠のところと、上皇のところに出向いたあと、中宮遵子のところで中宮大夫の藤原済時とともに中宮が実資の二条第に移る際のこまごまとしたことを決めている。

 十四日、十五日は、何もなし。ともに参内しただけ。

 十六日は、前日候宿した内裏から退出して、堀河の「頬」に詣でている。「頬」って何だろう? 退出した後夕方になって上皇の許に出向く。この日、信濃国から白い雉が献上されている。代替わりしたことを寿ぐ吉兆と言えるのか。半村良の嘘部シリーズであれば、こんなのは嘘部の仕込みということになるのだろうけど。あの話で嘘部は平安時代まで存続したんだったかな。
2018年1月26日24時。







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