アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

posted by fanblog

2018年01月27日

ゼマン対ドラホシュ(正月廿四日)



 本来なら昨日書くべきだったのだろうが、内容があまりにひどくて何のための討論なのかわからないようなものだったので、ハンドボールのチェコ代表が宿敵マケドニアに劇的な勝利を収めたのを優先してしまった。今日は本当ならチェコとスロベニアの試合の得点経過を追いながら、リアルタイムに文章を書いてみようかと思っていたのだが、試合開始時間を6時からだと勘違いしていて、帰ってきたときには、4開始の試合はすでに終了していた。
 勝っていれば、準決勝進出の望みもつながっていたので、嬉々としてまた誰が読むとも知れないハンドボールの記事を書いたに違いないのだけど、前半は一点リードで終了していながら、後半に同点に追いつかれて引き分けに終わっていた。試合展開を確認してみたら、前半は一時は5点差もつけていた。それがポストのペトロフスキーが20分ぐらいに、センターのステフリークが前半終了間際に、ひどい反則で一発レッドカードを食らって試合から追放されて、チェコが苦しくなったらしい。
 試合終盤に逆転されて残り1分ぐらいで同点に追いついた後、終了直前にカシュパーレクが放った逆転のシュートは、惜しくもゴールの上のバーを叩いて決まらず引き分けに終わった。うーん。この試合展開を知ると、見ることができなかったのがさらに残念に感じられる。チェコテレビが、どうせ不毛な水掛け論に終わるのが目に見えている大統領選挙の討論番組の放送を止めて、ハンドボールの試合を録画でいいから放送してくれないものかと、本気で願ってしまいそうである。

 さて、ここから本題。先々週末の大統領選挙の第一回投票で、決選投票への進出が決まった後、ゼマン大統領は、それまでの、選挙運動はしないから候補者達の討論番組にも出演しないという方針を変更した。同じく決選投票に進出したドラホシュ氏が、ゼマン大統領に対して直接議論をしたいと呼びかけたのも一因なのだろうが、世論調査の結果、予想以上の接戦になっていたのも、その決断を後押ししたのかもしれない。
 大統領側は、ドラホシュ氏に、4つのテレビ局(チェコテレビ、ノバ、プリマ、バランドフ)で討論をやろうと呼びかけたらしいが、ドラホシュ氏はそれは多すぎるので、大統領が一つ選び、ドラホシュ氏が一つ選ぶ形で、二つの局でやるのはどうだと返したらしい。その結果、プリマとチェコテレビで、一回ずつ討論番組が放送されることになった。その一回目のとして、昨日プリマで放送されたのである。ちなみにバランドフとノバにはゼマン大統領が一人で出演して、何とも言いがたい独演会が放送されたらしい。

 そのプリマでの討論会がひどかった。有権者ではないので念入りに見ていたわけではなく、ネットでハンドボールの試合の経過を追いながらうちのが見ているテレビから聞こえてくる話を聞いていたのだけど、テレビで放映する討論番組の会場が劇場で、観客を入れるというのがまず理解できない。これはもう今の欧米型の民主主義というものが、完全に日本で小泉時代に批判的に使われていた劇場型の政治になってしまっているということを物語るのだろう。
 そしてその劇場型の政治というものは、本人たちがいかに否定しようとポピュリズムの典型でしかない。それを見事に証明していたのが、観客達の存在で、ゼマン親派、ドラホシュ親派が、それぞれ応援団を送り込んでいたせいで、喚声やら拍手やらブーイングやらが多すぎて、肝心の議論が聞き取れなかったり、候補者が話し始められなかったりした。候補者の側も候補者の側で、話している途中で、ここで拍手がほしいといわんばかりに話を中断してみたり、それに観客が反応できていなかったりで、どちらの候補も熱狂的な支持者以外には失望しか与えなかったのではなかろうか。観客の反応がほしいのならサクラの一人ぐらい仕込んどけよという話である。

 それに輪をかけてひどかったのが司会者で、うちのは討論のテーマが大統領選挙にふさわしくないとお冠だったけれども、問題はそれよりも両候補者の話がかみ合わないのを放置した上で、議論に奈良らないままに時間がないと称して次のテーマに移っていくという司会者の姿勢だった。その結果として何のための討論番組だったのかわからないままに、気が付いたら番組が終わっていて、消化不良感がこの上なかった。
 テレビ局にとっては確実に視聴率が稼げたから万々歳なのだろうが、ゼマン大統領とドラホシュ氏にとっては利よりも害の方が大きかったのではなかろうか。どちらにも利になっていないという点では公平だったと言えるのだろうか。時間と労力の無駄だったという徒労感は、支持者の間にも広がっていたような気がする。

 個人的には、すでに一昨年になってしまったアメリカの大統領選挙ほどではないにしても、どちらの候補者も選びにくい選挙になったと言わざるをえない。ドラホシュ氏は、盛んにゼマン大統領は国民を分断していると批判し、自分は国民をまとめるために大統領になるのだと主張しているが、前回の大統領選挙でもある程度明らかになっていた国民の分断、簡略化すれば高学歴のエリート層とそれ以外という構図がさらに明確になったのは、ドラホシュ氏の立候補によってである。

 それはともかく、投票前日の木曜日に行われるというチェコテレビでの討論がこれよりはましであることを祈っておく。このままでは棄権者の割合が増えそうである。そうなるとどちらが有利なのだろう。よくわからん。
2018年1月25日23時。







この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7243775

この記事へのトラックバック
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。