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2017年08月21日

接頭辞の迷宮一(八月十八日)



 これから何回かにわたって、具体的なチェコ語の接頭辞について説明を加えていく。これまた読者を選ぶ話になるけれども、時折軽い話もはさみながら、まじめな話でも軽いけど、何回か書いてみようと思う。これがチェコ語の勉強をしている人の役に立つかな? 自分でも懐疑的になってしまうなあ。とまれ、かくまれ、何回続くかもわからないし、頭注で放置してしまう可能性もあるけど始めよう。
 よく使われる接頭辞としては、「do」「od」「při」「před」「u」「po」など前置詞としても使われるものが多いが、「pře」「vy」のように前置詞としては存在しないものもある。前置詞として使われるものであっても、前置詞としての意味と接頭辞として意味が必ずしも一致するわけではない。何でそうなるといいたくなるものもある。

 まずは、「při」から行ってみよう。前置詞としては、「〜の際/に際して」という意味で使われるのだが、接頭辞としては「付け加える」という意味を付け加える。前の分の末尾の「付け加える」なんて、チェコ語の「přidat」がそのまま使えてしまう。すでに存在するものに追加する形で何かをすることを表すのである。
 建設するという意味の「stavět」につけると、すでに存在する建物に追加される部分を建てるということになるし、「přidělat」は、すでにいくつか制作した後に、追加で作ることを表す。「přibýt」は、ちょっと日本語にすると変だけど、追加で存在するということから、増えるという意味になる。塩を振って味をつけることを「solit」というが、「přisolit」は、すでに塩味のするものに、塩を追加するということになる。
 だから、理論的には、追加で教える「přiučit」、追加で働く「připracovat」、追加で食べる「přijíst」、追加で飲む「připít」なんて動詞があってもおかしくないのである。このうちのすべてがここに書いた意味で使えるかどうかは知らないし、「připít」は、残念ながら乾杯するという意味だけど、あれこれ試してみるのは楽しい。

 そして、「つなげる」という意味の「pojit」につけて「připojit」にしたときの意味を考えると、主と従の関係にある二つのものがあって、従の側が主のほうに向かう動きを「při」で表していることが見えてくる。同じレベルのものを二つつなぐのであれば、「připojit」ではなく、「spojit」になるのである。だから鉄道などで町と町をつなぐ場合には、「spojit」を使うが、コンピューターをインターネットにつなぐ場合などには、「připojit」を使う。
 「přidat」などの場合にも、すでに存在しているものが主で、従にあたる追加されるものがそれに向かっていくことで、「付け加える」という意味になると考えることができる。「着陸する」という意味の「přistát」も、主である地球に、従である飛行機が向っていくわけだし。そうすると、「připít」が乾杯の意味を持つのも、主となるものが儀式というか、お祝いであって、そこに従として自分の祝う気持ちを寄せるために飲むと考えればいいのだろうか。お酒を飲むことを寄せていくでは意味不明だしなあ。

 この解釈を広げると、「přijít」が、日本語の「行く/来る」という意味になるのもある程度理解しやすくなる。理解しなくても覚えてしまえばそれまでなのだけど、教科書で読んだり先生に教えられたりするだけでなく、自分でも帰納的に理論めいたものを作り出して、それを演繹して使ってみるのは、すべてが正しいなんてことにはならないにしても、結構重要なことである。
 とまれ、「přijít」は、目的地を主として、動作主を従として考えれば、目的地に向かう動きを表すことが、「při」で表現されているのだと理解できる。チェコ語では目的地が主、言い換えれば基準となってそちらに近づくのが「přijít」なので、日本語の「行く」「来る」とは完全に重ならないのである。
 日本語の場合には、目的地ではなく動作主が基準となっているから、チェコ語では「přijít」で表すような場合でも、「私が目的地(そっち)に行く」となり、「お前が目的地(こっち)に来る」となるのである。日本人にとっては、チェコ語を使う際にはどちらも一つの言葉ですむから楽なのだが、チェコ人が日本語を使うときに、日本語でのこの区別をしっかり身につけるのは難しいらしい。

 接頭辞の「při」を使った動詞で、解釈が難しいのが、「přivřít」である。これは開いているドアや窓をちょっと閉めるときに使うのだが、主としての建物に、従としてのドアを近づけると考えるのがいいのだろうか。ただ、他の「přijít」も「přistát」も従にあたるものが主にあたるものに接するところまで行くわけだから、完全に閉めない「přivřít」の解釈としてふさわしいのかどうか自信がない。もう一つは、追加で閉めるという解釈で、ドアや窓は開けてあっても、存在するというだけである程度空間を閉ざしているわけだから、その閉まり度を追加すると考えるのだけど、これもこじつけすぎだよなあ。

 それからこの接頭辞の「při」は、名詞につくものもあって、「příjmení」は名前に追加する名字のことで、「příchutí」は追加された味を表していると書いて、「při」ではなくて、「pří」と長母音になっていることに気づいてしまった。同じものと考えていいのだろうか。師匠に質問した記憶はあるのだけど、答えを覚えていない。

 とまれ、これが、我が接頭辞「při」に対する解釈である。
8月19日23時。






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