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2017年07月12日

森雅裕『サーキット・メモリー』(七月九日)



 1986年6月にカドカワノベルズから刊行された『サーキット・メモリー』は、森雅裕の本としては4冊目で、角川書店からは2冊目にして最後の刊行作品となった。裏表紙に「将来を嘱望される大型新人」と記された割には、すげないあつかいである。『推理小説常習犯』に示唆されているように、この時点では角川関係者との間には修復しがたい溝ができていたのだろう。出版社も商売だからして、売り上げがよければ、そんな溝なんぞ無視して次の作品を依頼することになるのだろうが、森雅裕の作品がそこまで売れたとは思えない。
 キャッチコピーが「オートバイ・ミステリー」とあるように、バイクレースを描くことが一番の目的ではなかったかと言いたくなるような作品である。デビュー作の『画狂人ラプソディ』について著者本人がいろいろ詰め込みすぎてと言うような発言をしていたが、こちらも多少その嫌いがある。バイクレースに、芸能界の賞取りレース、複雑な人間関係に、二十年も前のレーサーの死の謎を絡めてミステリーに仕上げているのだが、一番印象に残るのは、やはりロードレースのシーンである。

 この作品には、出版社にとって問題になったであろう点が、少なくとも二つある。一つは、ヒロインのアイドル歌手の名前「梨羽五月香」で、講談社から二ヵ月後に出版された『感傷戦士』の主人公の名前と全く同じなのである。名前の由来については、それぞれ違った物語が準備されているけれども、出版社としては困ったであろうことは想像に難くない。
 『サーキット・メモリー』は、90年代の初頭には、すでに入手困難な幻の森雅裕作品となっていて、実際に読んだのは。『感傷戦士』を読んで十年以上後のことだったから、名前が同じであることを大きな問題だとは感じず、「梨羽五月香」という名前が著者にとって大切な名前で、『歩くと星がこわれる』に出てきた沢渡黎のモデルになった人物の名前であろうと想像して喜んだだけだが、刊行当時からの森雅裕の熱狂的なファンがいたら、二冊連続で同じ名前の別人が主人公になっている本を読まされてどんな印象を持っただろうか。森雅裕は、出版社にも読者にも優しくないのである。

 こちらの梨羽五月香については、森雅裕が『推理小説常習犯』に、デビュー当時のインタビューで、よく聞く歌手を聞かれて答えたら石川秀美に間違えられたというエピソードが紹介されている石川ひとみがモデルになっているという話である。答えるのも恥ずかしかったけど、間違えられたのはもっと恥ずかしかったと言うけど、いわゆる歌謡曲を聞かない人間にとっては、どっちもどっちで、特に目くじらを立てる必要もなかろうと思ってしまう。
 石川ひとみモデル説の根拠の一つとなっているNHKの人形劇「プリンプリン物語」については、世代的には見ていてもおかしくないのだけど、多分断片的にしか見ておらず、そんなのもあったねえと言うぐらいの記憶しかない。だから、思い入れも持ちようがないである。NHKの人形劇と言えば何と言っても「三国志」なのである。「三国志」の次の、多分「ひげよさらば」もちゃんとは見ていないし。

 『サーキット・メモリー』におけるモデル問題で、重要なのは梨羽五月香ではなく、企業、もしくはレーシングチームとしてのナシバのモデルである。これがもう、世界選手権のレースの実績から、開発中のマシンに至るまでホンダそのままなのである。違うのはマシンに付されたエンブレムで、羽根の付いた矢というのは、チェコの自動車メーカーシュコダのエンブレムを想像させて、当時すでにチェコにどっぷり浸かっていた人間としては妙に嬉しかったのを覚えている。
 とまれ、あからさまにホンダをモデルにした企業で次々に人が殺されていって、二十年前のレース中のレーサーの死も事故ではなくて殺人だったという内容は、出版社としてはどうだったのだろう。主人公の二人は、創業者の社長の子で、娘の五月香は本妻の子、息子の保柳弓彦は愛人の子という設定も、人間関係に関してはモデルにしていないのだろうけど……。
 ミステリーとしてのできは知らないが、作品としては十分以上に面白い。面白いのだけど、最初の読後感が、「いいのかこれ」だったのは、多分にこのホンダをモデルにしているのが原因だった。これが、もっと違った形での事件であればあまり気にならなかったのだろうが……。まあ、刊行当時は存命だったホンダの創業者が、読んでクレームをつける気になったかどうかはまた別の問題だけどさ。ホンダとかソニーに過度に思い入れのある世代からすると、ちょっとやりすぎである。

 この二点の問題が、「この作品は、ずっと以前に世に出るはずだったが、諸般の事情で遅れたものである」という裏表紙の作者の言葉につながるのではないかと想像するのだがどうだろうか。もちろん、森雅裕が繰り返し書いている編集者の怠慢な仕事ぶりにも原因があるのだろうが、仕事が進まず怠慢に見えてしまう原因にこの二点の問題があったとしても不思議ではない。森雅裕の編集者たるというのも大変だったのだろう。その意味では、単なる読者でいられるのは幸せである。

 実際にこの『サーキット・メモリー』を手に入れたのは、90年代も終わりに近づく頃で、ワニの本から「森雅裕幻コレクション」が刊行された後である。当時刊行されていた森雅裕の作品としては最後に読んだことになる。高校時代の80年代の半ばには、田舎の本屋でも見かけたから、それなりに数は出ていたはずなのだけど、90年代に入ると、新刊本屋はもちろんのこと、古本屋でも見かけないファンにとっては稀覯本と化していたのであった。定価よりも遥に安かったのは、一般にはあまり知られていなかったことを反映しているのだろうから、喜ぶべきか悲しむべきか。

 高校時代に買えなかった理由は、一つは金銭事情であるけれども、バイクレースを描いた小説にアレルギーがあったのかもしれないし、あんまりぱっとしない装丁に買う気が薄れたのかもしれない。特に表紙の「1965/FILM」と書かれた丸いものを小脇に抱えたレーシングスーツに身を包んだ主人公らしき男の姿は、あんまり購買欲をそそるものではない。もう一人の主人公梨羽五月香がアイドル然として歌っている姿があしらわれていたら、別の意味で買う気になれなかっただろうけど。
 「森雅裕幻コレクション」に『サーキット・メモリー』ではなく、『マン島物語』が選ばれた理由は簡単である。バイクレースを描いた小説としては、『マン島物語』のほうがずっと出来がいいのだ。三冊の中にバイク小説を二冊入れるというわけにもいかなかっただろうし。その結果、『画狂人ラプソディー』を超える幻の作品となってしまったのである。

 例によって例の如く、この文章を読んだ人に、読みたいと思ってもらえるような文章にはならなかった。書評じゃないのだよ書評じゃと開き直っておく。
7月10日22時。



 ナシバならぬホンダのレース活動、とくに主人公が駆ったNR500についてはこちらに詳しい。7月12日追記。

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posted by olomoučan at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 森雅裕
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