2017年06月21日
お酒の話3(六月十八日)
今度こそモラビアの蒸留酒のお話である。すでに何度か名前だけは登場しているスリボビツェが代表的で、一般にはまとめてスリボビツェと呼ばれることが多いのだが、実は原料となる果物によって名前が変わるのである。代表的なスリボビツェというのは、本来スリーバという果物から作られたお酒の名前である。
問題はこの果物を日本語で何と呼ぶかである。「梅」と訳して済ませてしまう人が、日本語のできるチェコ人にも、チェコ語のできる日本人にもいるけれども、スリボビツェの原料となる果物の青い、もしくは青紫色の果皮を見ると、日本の梅と同じものだとは思えない。梅は、いわゆる青梅か、梅干になったのしか見たことがないから、熟した梅はあんな色なのかもしれないけどさ。
この手の果物は交雑と変異を繰り返して、常に派生種を生みだしているので、日本のどれと、ヨーロッパのどれが同じものなのかというのはよくわからないものである。ちょっと調べてみたところ、チェコのスリーバとその派生種は、梅よりも、その近縁種であるスモモ、特にセイヨウスモモに近い果物のようである。黒田龍之助師に習って、スモモの一種と呼んでおくのが、一番適当な翻訳ということになろうか。
チェコでも、スリーバよりも、シュベストカとか、トルンカと呼ばれることが多いのは、別名というよりは、品種が違うと考えたいところである。実の大きさ、果皮の色合いが微妙に違うものが、たくさんあるのである。とまれ、スリーバ、シュベストカ、トルンカなどと呼ばれる果物を材料にした蒸留酒が、スリボビツェということになる。
チェコ人は、いや、モラビアの人たちは、市販のスリボビツェは飲めねえと言う。人によってはイェリーネクという会社のものだけは許すと言う。イェリーネク社は、怪優ボレク・ポリーフカが国王となったバラシュシュコ王国の首都のような町ビーゾビツェに工場がある。この町では、ワイン産地のビノブラニー(ブドウ狩り祭)に習って、トルンコブラニーというお祭りが毎年行われている。子供向けのベチェルニーチェク用に制作されたネズミが主人公の人形アニメーションの舞台となったゴミ捨て場も、ビーゾビツェじゃなかったか。声を担当したのがボレクだったし。
チェコの人形アニメーションといえば、イジー・トルンカの名前が挙げられるのだが、この人の名字が、スリボビツェの原料となる果物を意味しているというのは、チェコに来るまで知らなかった。それでトルンカがビーゾビツェか、近くのアニメの制作でも有名なズリーンの出身だったりすると、面白いお話が出来上がるのだけど、違うだろうなあ。
話を戻そう。モラビアの人は、市販のスリボビツェを飲まずに、どうするのかというと、自宅で造るのである。田舎に住むチェコ人は庭付きの家に住んでいることが多く、庭では様々なものを栽培している。そして、庭には果樹が植えられていることが多い。その果樹に実った果実からお酒を造るのである。果物の種類によって、洋ナシだったらフルシュコビツェ、リンゴだったらヤブルコビツェなどと、呼び名が変わることもあるが、あれこれ混ぜ合わせることも多いので、全部まとめてスリボビツェと言ってしまうことが多い。
スリボビツェを造るための果実は果樹から摘み取ってはいけない。熟して熟して熟しきったものが地面に落ちて、腐りかけたようなものを拾い集めるのである。拾い集めたものは適当な容器に入れて地下室などに置いておいて発酵を進めさせる。発酵とは、有益な腐敗であるとか何とかどこかで読んだ記憶があるが、それを地で行くのがチェコのスリボビツェ造りである。
発酵が進んだら果物の残骸を取り除いたり不純物が残らないように濾過したりするのだろう。自分でやったことがないのでよくわからないのだけど、とにかくこの時点では、果物を発酵させて造った醸造酒でしかない。その醸造酒を蒸留所に持っていくのである。
チェコには、特にモラビアには、各地に醸造酒を持っていけば蒸留させてくれる蒸留所が存在している。この手の蒸留所は、国に正式に登録されたもので、蒸留したアルコールの量を正確に記録することが義務付けられている。利用者は、蒸留したアルコールの量によって課される酒税を、施設の使用量とともに蒸留所に支払うことで、個人的に造った蒸留酒を合法的なものにすることができるのである。
この自家製蒸留酒に関しては、EUへの加盟交渉の際に問題にされかけたことがあるらしい。EUが禁止したがったのをチェコ政府が交渉して禁止させなかったのだという。その話に対して、知り合いのモラビア人たちは、自家製スリボビツェを禁止されるぐらいだったら、EUなんか入らない方がましだとスリボビツェを飲みながらおだをあげていたのだけど、このEUが禁止しようとしていたんだと言う話は、酔っ払い以外から聞いたことがないので、どこまで本当なのかはわからない。
自他共に認める左利きとしては、最近めっきり酒量は減っているけど、この自宅で育てた果物を使って蒸留酒を造るという伝統が、今後も世代を超えて受け継がれていくことを願って已まない。この酒文化は、EUなんぞより遥に重要である。
6月19日23時。
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