2017年02月28日
ポトカルパツカー・ルス(二月廿五日)
以前、軽井沢かどこかにある木造の教会建築について、日本の建築探偵藤森照信氏が、チェコ人建築家の作品だが、チェコには木造の教会はなく、スロバキアの山岳地帯にあった教会をモデルにして日本での設計に生かしたのではないかという文章を書いていた。その木造の教会がたくさんあるのは、スロバキアよりも、現在ではウクライナ領となっているかつてのチェコスロバキア第一共和国の一番東部に当たる地域だという。
九月にも夕食をご一緒する機会のあったチェコのコメンスキーの専門家H先生が、そんなことを言っていた。第一共和国の時代の1920年代にプシェロフ出身の写真家が、その地域、チェコ語でポトカルパツカー・ルスの各地に残されていた木造の教会の写真を撮ってまわっていたらしい。その後を追って、H先生は、ウクライナ最西部の元チェコスロバキア地域を訪れるたびに、時間を見つけては木造の教会めぐりをしているのだという。
しかし、悲しいことに近年各地で、木造の教会を破壊してレンガ造りのものへの建て替えが進んでいるのだそうだ。この地域に独特のさまざまな様式で建てられた木造の教会が、ヨーロッパ中どこでも見られるような教会にとって変わられているというのは、残念な話である。ただ、現地の人々にとっては、木造の教会というのは貧困の象徴だったのかもしれない。そうするとあながち責めることもできないのか。新出来の石造りの教会より、歴史のある木造の教会の方が、観光資源になるとは思うけれども、最西部とはいえ今のウクライナに出かけようという外国人はそれほど多くないだろう。
H先生は、近々この地方の中心都市のひとつウジュホロトに出かけるそうだが、観光ではなくて、当地の博物館に頼まれて講演をするためだという。コメンスキーの専門家で、特にコメンスキーの使った教室の再現をヨーロッパ各地でされてきたH先生のこと、ウジュホロトにも先生の手がけたコメンスキーの教室があるのかもしれない。
さて、このスロバキア最東部から東に延びる地域を日本語でなんと呼ぶのかが、なかなか微妙な問題である。ルテニアといい、カルパト・ウクライナといい、いまいちピンと来ないし、完全に同一の物を指しているのか確証が持てない。それで、かつてのチェコスロバキア領を指すということで、チェコ語のポトカルパツカー・ルスを使うことにさせてもらった。
この地域は、第一次世界大戦後の和平条約で、なぜか独立するチェコスロバキアの一部となったのだが、ハンガリー領のスラブ人地域ということでスロバキアと一緒にされたのだろうか。この当たり、第一次世界大戦後の民族自決という美しい考え方が、厳しい言い方をすれば机上の空論だった証拠だと言ってもいいかも知れない。少なくとも当地のルシン人、もしくはウクライナ人は、チェコスロバキア人には含まれていなかったのだから。
その後、ミュンヘン協定後に、ハンガリーが南スロバキアとともに自国に編入すべく軍事的に占領したのではなかったか。このときは一部の占領で、第二次世界大戦が後日完全占領だったか。第二次世界大戦後、チェコスロバキアに戻ってくることなくソ連領となったのは、当地の住民ルシン人がウクライナ人の一派だとみなされたからだろうか。
チェコにルムツァイスがおり、スロバキアにヤーノシークがいるとすれば、この地域にはニコラ・シュハイがいる。何の話かというと、盗賊、それも官憲には憎まれ、民衆には愛される義賊の話である。ルムツァイスは絵本の登場人物だが、あとの二人は実在の人物らしい。ニコラ・シュハイは、第一次世界大戦前にはハンガリーの官憲に、チェコスロバキア独立後は、チェコスロバキアの憲兵隊に追い回されたらしい。
その生涯を描いたイバン・オルブラフトの小説で、チェコスロバキア全体に存在を知られるようになったらしいが、現在ではブルノの劇場の演目の一つで、シュハイの出身の村の名前を題名とした「コルチャバ」というミュージカルの方が知られているかもしれない。
「チェトニツケー・フモレスキ」にもニコラ・シュハイのような義賊的な存在が登場し、それが主人公のアラジムと一緒にロシアで赤軍と戦ってシベリアから日本を経てチェコに戻ってきた友人だったという設定なのだけど、その義賊が「チェコ人もハンガリー人と同じだ」という述懐をもらす。第一共和国当時にスロバキア人が感じていたという、指導者面するチェコ人への反発を、この地域の人たちも感じていたのだろうとこの場面を見たときには考えた。
しかし、H先生によると、反発ばかりではなく、現在のポトカルパツカー・ルスの人たちの中には、チェコ人に感謝しているという人も多いらしい。それはハンガリーの支配下では、ほとんど見捨てられた土地で、教育なんてものはどこにもなく、文盲率も非常に高かったこの地に、教育をもたらしたのがチェコ人だったという事情による。だから、コメンスキー研究者の先生が呼ばれることになるのだろう。
とまれ、またH先生たちと夕食をご一緒して、あれこれ面白い話を聞いてしまった。
2月27日14時。
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