2017年02月26日
プシェロフ再訪二(二月廿三日)
確認のために調べたり、記憶をほじくり返したりする必要のあるテーマと違って、見聞したばかりのことは、筆が進む。毎日その日の出来事を書く本当の日記のようなものにしてしまおうかと、思わなくもないのだが、毎日書けるほどの劇的な人生は送っていないので、今まで以上に読めない無味乾燥なものになってしまいそうである。いや、そもそも本来の意味の日記を書き続けられるとは思えない。これまで何度も失敗してきたのだから。
ということで、これまで通り、雑多なテーマで、雑多な内容の、雑多な文章を書き継いでいく。時間があればなまけるというこれまでの生活を、時間があれば書くという多少なりとも勤勉なものに改めることができれば、そのうちに何かの役に立つ、多少まともな文章が書けるようになるかもしれない。はかない夢とは言わば言え、完全に失敗するまでは、実現する可能性はあるのだ。で、昨日の続きである。
承前
他にも地図の会社が販促用に作っていた日本のババ抜きのようなゲームをするためのカードも展示されていたが、ババに当たる、つまり一枚しか存在しないのがなぜかコメンスキーのカードだった。「民族の」という枕詞がつくとはいえ、教師は孤独だということだろうか。
特別展を出て、常設展の部屋に入ると、正面にガラスのつぼに入った土がおかれていた。20世紀の初めにオランダにまで出かけてコメンスキーのお墓の土を持って帰ってきた人がいたらしい。その土を入れるために特別にガラスの容器を作らせて、展示品に加えたという人の胸像も展示されていた。
もともとこの博物館の基礎となったのは個人のコレクションだったという。町のイベントの際に会場を借りて特別に展示していたものが、一時は小学校の一室で展示されており、最終的には旧市街のお城に移ってきたのだという。このお城にコメンスキー博物館が置かれたのは戦前のことらしいから、すでに百年近くはこの場所にあるということか。
また、博物館の前の広場の真ん中には、書物を持った両手を空に伸ばすヤン・ブラホスラフの像が設置されているが、もともとは、子供を連れたコメンスキーの像が置かれていたらしい。このコメンスキー像は、チェコでは二番目に古いコメンスキーの記念碑だけれども、最初のものは単なるオベリスクのような柱だったので、全身像を使った記念碑、教師としてのコメンスキーを描いた記念碑としては最初のものになるという。ただ、コメンスキーと同じでプシェロフの町の中をあちこち転々として、現在ではフス派の流れをくむと思しいプロテスタントの教会の前の広場に立っている。後で実際に行ってみたら、周囲が駐車場のように車が大量に停めてあって少々興ざめだった。
ちなみにブラホスラフという人物は、今回初めて知ったのだけど、プシェロフ生まれの兄弟団の関係者で、作家、神学者、歴史家などの顔を持つコメンスキーの先駆者のような存在らしい。博物館にもちょっとだけこの人関連の展示があったし、帰りに駅に向かう途中に道に迷って通ったところには、この人の名前を冠した兄弟団の支部の建物があった。偶然というのは不思議なものである。
さらに余計な話をするなら、プシェロフの博物館の前の広場は、町で一番高いところにあるからか、オロモウツにあるのと同じでホルニー広場という名前がついている。他の町では聞いたことのない広場の名前なので、ドルニー広場もあるに違いないと思ったら、ホルニー広場からお城を挟んだところ、高さでは下にある広場はマサリク広場という名前だった。だから、その広場のかどにあるカフェの名前がTGMだったのか。
ヘレナさんは、あれこれ興味深いことを、時に英語、時にチェコ語で説明してくれた。チェコ語で話されたときには、同行させてもらった先生方は、コメンスキーの本を訳されているぐらいだから、チェコ語はできるのだけど、とっさで早口だったりすると理解しきれないことがあると仰るので、念のために通訳をした。現物を前に説明を通訳していくのは、掛け合いのようにテンポよく進んでいくので、マイクを向けられたときよりは遙にましな通訳ができた、はず、で、ある。多少なりとも先生方の理解の助けになっていれば、同行させていただいたお礼にはなると思うのだけど。
博物館を出る前によった売店で、入館料無しで展示を見せてもらったので、何か買えるものはないかなとあれこれ見ていたら、「その本のおかげで日本が好きになった」という言葉が、なかなかの達筆で表紙に書かれた小さなパンフレットのようなものが目に入ってきた。面白そうなので購入してめくっていたら、ヨエ(ジョーかも)・フロウハというチェコ人としては最初に日本への旅行記を書いた作家についての展示のパンフレットだった。この人、日本の昔話なんかもチェコ語に翻訳しているのかな。
2011年に行われた特別展なので、東日本の震災の支援の意味もあるのかなと思ったら、ホロウハの生誕130年を記念する展示だった。もう一人格変化がややこしくて怪しいのだけどユリウス・ゼイェルという人の生誕170年、没後110年も記念しているらしい。ゼイェルは、「ゴンパチとコムラサキ」というチェコで最初の日本に関係する小説を書いた人らしい。読んでみたいような、みたくないような微妙な気持ちになってしまう。
その後、昨年発掘されたコメンスキー時代の教会と学校の跡地にも案内してもらったのだが、それについては稿を改めよう。
2月24日17時。
この本が今回コメンスキー博物館の蔵書に加わった。2月25日追記。
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