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2017年02月22日

永祚二年八月の実資〈上〉(二月十九日)


 雨が降っても槍が降っても、いや、酒飲んで酔っ払っても、風邪引いて頭が痛くても、眠くて倒れそうでも、とにかく書くというのがこのプロジェクトの趣旨なのだが、お酒が入ると集中力がてきめんになくなって、ネットで特に読まなくてもいい記事まで読んでしまって、気が付いたらもう寝る時間ということが多い。
 今週も、いやこれからしばらく、日本から来られる方が多く、つまりは飲みに出かける日が多くなることが決定しているので、文章の生産量が減ってしまうのが目に見えている。このアナをどうやって埋めようかと考えていたら、半年ほど前に書きかけて放置してあった『小右記』から、実資の娘の死後の様子を抜き出した記事が出てきたので、こういう書きかけで放置してしまう癖をなくすためにこのブログを始めたというのに、あまり改善されていないことに愕然としたのだが、気を取り直して、大慌てで死の翌月永祚二年八月の末尾まで、とりあえず形にして、これから二日分の記事に充当することにする。本当はもう少しとっておきたかったのだけど、力尽きてしまった……。
 後半はともかく前半はかなり前に書いたものなので、ほとんど記憶にないのだけど、読み返して覗き見的に、面白そうな部分だけを引っ張り出してまとめているのは、大学のころから、二十年以上経ってもあまり進歩していない証拠であろうか。三つ子の魂百までというにはちょっと苦しいか。


一日、癸卯、穢に依り例の幣を賀茂に奉らず、

 この穢は、別の穢れの要因についての記載がないことから、娘の死によるものと考えてもよさそうだ。

二日、甲辰、(中略)、小女児の三七日に当り諷誦を珎皇寺に修む、右将軍、実好朝臣を使はして重ねて弔はる、

 「三七日」つまり、死後二十一日目の法要が行われている。珎皇寺で行われているのは娘のなきがらを置きに行かせたところの近くだからだろうか。

三日、乙巳、昨日異鳥(魚寅鳥に似る、頗る大なり、と云々)南殿に入る、捕らえ留め左近の陣に給ひ養はしむ、と云々、其の鳥の名は詳かならず、或るは云ふ、水乞鳥、と、説々極めて多し、占ひ申して云ふ、御薬、兵革、火事有るべし、てへり、

 娘の死とは関係ないけど、怪異が起こった話は楽しい。「魚寅鳥」というのがよくわからない。「水乞鳥」はアカショウビンという鳥の異名らしいが、「異鳥」と呼ばれるような鳥には見えない。実資もよくわかっていないみたいだしいいか。それよりも、占いの結果が気になる。「御薬」は病気が発生するということか。「兵革」は戦乱が起こるということで、「火事」も起こるとなると、とんでもないことになりそうだ。

七日、己酉、右近の府生公明云ふ、昨日辰の時蔵人所に民部丞通雅来る、右近の陣の異鳥を見るの間飛び去る、と云々、覚慶僧都示し送りて云ふ、御薬は此の両三日は発し御はず、てへり、

 三日の鳥は結局逃げてしまったようだ。覚慶の話からすると御薬は、ただの病気ではなく天皇の病気だろうか。この二三日は薬が必要な病気は発していないようである。

九日、辛亥、小児の四七日に当りて諷誦を行はしむ、

 死後廿八日の法要である。特に記述がないことを見ると、自宅で行われたと考えてよさそうだ。


十日、壬子、官掌忠輔申さしめて云ふ、入道殿の御法事に依り考定延引す、来る廿七日に行ふべし、てへり、修理大夫過ぎらる、禅耀阿闍梨弔に来る、中務宮の母の女御書を以て之を弔ふ、

 実資は出ていないけれども、入道殿(兼家)の法事もあって、法事関係の記事が多い印象である。この日も弔問客と、書面での弔問が来ている。中務宮は村上天皇の皇子の具平親王で、その母は醍醐天皇の娘の荘子内親王である。

十二日、甲寅、晩後雷雨豊楽殿を霹靂す、神火有り、人々撲滅す、と云々、故入道殿の七七の御法事を法興寺に於いて行はる、と云々(二条院を法興寺と号す)、七僧(但し堂達は二人、仍て八人、と云々)、外に百僧、と云々、千部の法華経を供養せらる、と云々、

 この日の最初の記事は、豊楽殿への落雷。三日の異鳥の騒ぎと関係があるのだろうか。その後は、兼家の仏事が盛大に行われたことが書かれているが、実資自身は出席していないのですべて伝聞である。

十五日、丁巳、(中略)式部丞伊祐来りて云ふ、主上此の両三日赤痢の病に悩み御ふ、就中く昨日より重く悩み御ふ、と云々、
十六日、戊午、(中略)主上昨夜重く悩み御ふ、是れ御胸の病、又た御赤痢、と云々、
十七日、己未、三品過ぎらる、昨日より御薬平に減る、と云々、
今暁摂政内に入る、御薬の事に依り参入せらるる所か、

 これが、占いに出てきた「御薬」だろうか。天皇が赤痢に苦しんでいる。天皇の薬のことで摂政が内裏に参上したかという部分を読むと、天皇と摂政の関係に対するイメージが変わってしまうような気がする。

以下次号

2月21日23時。



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