2016年02月07日
音楽家たちのオロモウツ(二月四日)
オロモウツのドルニー広場からテレジア門のほうに向かう通りに入る角に、ハナーツカーという名のレストランがある。店名が「ハナー地方の」という意味の形容詞であることからもわかるように、ハナー地方の料理を出す店である。料理が実際にハナー地方独自のものなのか、同じ料理でも独自の味付けや調理法があるのか、なんてことはわからないのだが、メニューがハナー地方の方言で書いてあってなかなか強烈である。壁にも方言であれこれ書いてあったけど、正直ほとんどまったく理解できなかった。普通のチェコ語で「ズビ(=歯)」というのを、「ゾベ」と言われたり書かれたりしても、外国人にはお手上げなのである。
このハナーツカーは、何度も開店と閉店を繰り返していて、最近の再開店のあとはまだ行ったことがないから、内部は変わっているかもしれないが(名前がレストランから、「ホスポダ」(=飲み屋)に変わっていた。2月5日追記)、この店の入っている建物の壁に、レリーフがはめ込んであって、建物の謂れが書かれている。本当に目立たないひっそりとしたものなので、気付かずに通り過ぎてしまう人も多いだろうが、モーツァルトが、父親に連れられて家族とともにこの建物に滞在したことがあると書かれているのである。
とはいっても、父親に天才少年音楽家として売り出されて、客寄せパンダとして食い扶持を稼ぐためにドサ回りをしていたころのことだから、あまりいい印象を持って帰ってくれたとも思えない。しかも、ここには書いてないが、もう一ヶ所、モーツァルトが滞在したといわれる建物があって、そちらの説明によれば、ハナーツカーでの滞在環境に不満のあったモーツァルト父が、有力者と交渉して移ってきたのだという。
その建物が、バーツラフ広場にある、今では大司教関係の文物を集めた博物館となっている建物である。オロモウツの広場の名称「ホルニー(=上の)」と「ドルニー(=下の)」は、土地の上下、高低に基づくものではなく、比較的身分の高い人たちが居を構えていたのが「ホルニー」と呼ばれ、下の身分の人たちが集まっていた広場が「ドルニー」呼ばれるようになったというから、プライドだけは高かったらしいモーツァルト父には、環境がどうこう以前に、「ドルニー」に滞在するというのが耐えられなかったのだろう。
移転先のバーツラフ広場は、現在でも大司教座関係、キリスト教関係の建物が並ぶところなので、おそらく当時は高位のキリスト教関係者が集まっていて、モーツァルト父を満足させたに違いない。こちらにはハナーツカーと比べると大きく目立つ記念碑が設置されている。それでも、知らなければ見逃してしまうだろうけど。モーツァルトがオロモウツに来る途中の馬車の中で、何とかいう曲を作曲しただのいう話もあるが、この手の神童伝説は真に受けるのではなく、話半分に聞いておくべきものである。その曲が演奏されるの聴いたことないし。
このバーツラフ広場は、もう一人有名な音楽家とかかわりがあって、それが、モーツァルトの死の謎を、弟子のチェルニー(この名字もあまりにチェコ的で想像を広げたくなるのだが)とともに解決しようとしたベートーベンである(もちろん森雅裕の『モーツァルトは子守唄を歌わない』でのお話)。
ベートーベンは、当時のオロモウツ大司教と親交があり、大司教が死んだら葬儀用の曲を書き、葬儀にも出席するというようなことを約束していたらしいのだ。それが、ベートーベンの体調などの問題もあって、作曲がなされることはなく、ベートーベンのオロモウツ訪問も約束だおれに終わってしまったということである。スメタナもそうだが、作曲家と耳の問題というのは、余人には推し量りがたいものなのだろう。
最後に、最後のドイツ系の大物作曲家マーラーを挙げておこう。ホルニー広場のシーザーの噴水のそばの角に、マーレル(マーラーと読んでもいいけど……)という名の喫茶店があるが、これはマーラーにちなんでいるである。この喫茶店と市庁舎をはさんで広場の反対側にあるモラビア劇場で、マーラーが一時期働いていたことがあって、喫茶店が面している広場から出て行く通りの向かい側の建物に、住んでいたらしいのである。
マーラーという人物は、一般にはドイツ人だと認識されているが、民族的には非常にややこしいところに位置する人物である。出身はボヘミアとモラビアの境界付近の銀山で有名だったイフラバという町の近く、ウィーンに出て音楽の勉強をしているから、ドイツ語ができたことは間違いない。ただ、ウィーンでは田舎者として馬鹿にされ、同じような境遇の仲間たちとチェコ語なまりのドイツ語で話す会というのを開催していたらしい。がんばって気取ったウィーン風のドイツ語で話すのに疲れて、田舎のチェコ語が混ざったような気楽なドイツ語で話す時間を求めたということなのだろうか。
こういう話は、チェコテレビで、グスタフ・マーラーが大叔父に当たるというズデニェク・マーレル氏が語っていたものである。マーレル氏は、チェコ人として登場し、もちろんチェコ語で話をしていたのだが、マーラーがチェコからドイツ化したのか、マーレルがドイツからチェコ化したのか、答えに悩む問題である。
ほかにもオロモウツに関係のある有名な音楽家はいるのだろうが、私の関心がある作曲家としてはこの三人ということになる。ベートーベンはちょっと強引だけど、一番のお気に入りだからいいのである。
2月5日14時30分。
クリムトのベートーベン・フリーズがジャケットに使われていた交響曲のCDがあったはずなんだけど、誰の指揮だったかなあ。スウィトナーも以前は持っていたような気もするのだけど、覚えていないなあ。カラヤンとフルトベングラーは持っていなかったと思う。2月6日追記。
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