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2016年12月27日

永観二年十月の実資〈中〉(十二月廿四日)



承前

 八日も朝内裏を退出して昼ごろまた参内している。この日叙位の議が行われているが、これは花山天皇の即位に伴う臨時の叙位であろうか。

 九日は円融上皇の元に出向いて、当初は十四日に行なわれるはずだった、村上天皇の陵墓参拝の日を改めて決めるために陰陽師に勘申させている。十四日は物忌だというのだが、最初に決めたときにはわかっていなかったのだろうか。
 その後、参内して天皇の食事に奉仕し、太政大臣頼忠の奏上を伝えるが、天皇は許可を出さなかった。この夜天皇は虫歯の痛みに苦しんだようで加持祈祷が行われている。最後に叙位の後の文書に押印する儀式や、藤原氏と皇太后宮に与えられた年爵についての話が出てくるが、制度のことがよくわかっていないのでよくわからない。

 十日はいよいよ、花山天皇即位の儀式が行われる。式次第を細かく書いても仕方がないのだが、普段はあまり出てこない宮中の女官がたくさん出てきて、状況を把握するのに苦労する。もちろん、男の官人もいつも以上に登場する。内裏だけではなく大極殿でも儀式が行なわれていること、所々儀式に不備があるとして実資が批判していることも目を引く。ただ、この日の記事を要約して記す気にはなれないので、これでお仕舞い。
 小野宮流としては、もう少し円融天皇に天皇でいてほしかったところであろう。ただそうなっていたとしても、小野宮の血を引く皇子が生まれた保証はないのだけど。

 十一日は、祭の後で特筆することもなく、藤原頼忠のもとに向かったことを記すのみである。

 十二日は久しぶりに雨の記載がある。内裏に出かけた後、上皇の許に向かって朝食と夕食の給仕を務めたとあるのだが、内裏に向かったのは朝食の前ということだろうか。上皇のところでは、廿七日になった村上天皇の陵墓への参詣に関する指示を受けている。

 十三日は、「空鳴る」というけれども、雷だろうか。また珍しく地震が起こっている。この日、解陣と開関が行なわれているが、これは天皇の即位に伴うものであろう。地震などで関所を閉じることはありえるけれども、この日の地震はそれほど大きなものではなかったようだ。ただ、即位直後に地震が起こる当たり、新天皇の今後を象徴しているのだろうか。

 十四日からは、『源氏物語』にも登場する五節の舞姫についての記載が始まる。衣服などが過剰に豪華になっているのか、天皇の口から贅沢のし過ぎを禁止する言葉が出ている。その後は女官の叙位が行なわれ、年給の件についてあれこれ処理をしているが、これが女官の叙位に関るものなのか、普通の官人の叙位にかかわるものなのかよくわからない。実資も最後まで付き合わないで途中で帰っているし。

 十五日は、実資が内裏に参上すると、藤原義懐が三位に叙されたお礼を申し上げている。義懐はこのとき花山天皇の生母藤原懐子の弟、つまり天皇の伯父であることから位階を進めたと見られている。その後、伝聞の型式で叙位が行われたことが語られ、左大将の藤原朝光が自分の昇進できる分を、息子の登朝に譲ったことが記される。

 十六日には、円融上皇の許に出向いた後、頼忠のところに行った以外のことはないのだが、伝聞で、僧侶たちが、内裏の門のところまで即位の慶賀を申し上げにやってきたことが語られる。いろいろ問題があったようで、「例となすべからず」と言っているのだが、これは実資の言葉ではなく、情報を伝えた人のコメントのようだが、誰が情報を伝えたのかについては書かれていない。

 十七日は、円融上皇の許で、院の役所である院庁の仕事が始まっている。実資は、この日花山天皇が即位以来初めて紫宸殿に出御し政治を見る万機の儀式に出席するために、院庁での自分の座にはつかずに、昼頃参内している。
 その後は紫宸殿での儀式が事細かに知るされているが、ところどころに「前例を失す」「未だ此くの如きの儀有らず」「是れ未だ知らざる事なり」「奇と為す奇と為す」「大失なり」などと、儀式の次第を批判する言葉がちりばめられている。

 十八日は、毎月恒例の清水寺参拝である。今月は馬に乗って出かけている。伝聞で、前日紫宸殿での儀式の裏で、東宮の護衛に当たる武官である帯刀試が、右近の馬場で行われている。

 十九日は、左大臣から手紙で院に来いと言われて準備をしていたら、内裏からも招集がかかったので、まず院に向かって、それから内裏に向かっている。この日は、馬の話である。東国の牧から献上されてきた馬を天皇がご覧になる儀式が行われ、実資が諮問を受けたおかげか、特に大きな齟齬もなく実施されている。準拠となる先例なども記しているのは、実資が問い合わせに答えたということだろうか。怠け者という印象のある花山天皇がわざわざ紫宸殿に出御しているのが意外であった。それから、紫宸殿の南の庭を実際に馬を走らせているのも、意外な平安時代の姿の一つかもしれない。
 廿日は特筆することもなく、頼忠のところに向かっただけである。
12月24日23時30分。


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