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2016年12月25日

消えたビール(十二月廿二日)



 以前、サマースクールに初めて参加したときに、オロモウツのビールを求めてあれこれ尋ねて回った話は書いたが、実はあれにはまだ続きがある。地図を見て、醸造所「pivovar」という名詞に関係しそうな名前の通りを発見して、当時は、はるか遠くと感じた旧市街の外、フローラの公園を越えた住宅街にまで足を伸ばしたのだ。サマースクールの会場からあるいてせいぜい十五分程度だったのだけど、知らない土地を地図を片手に、怪しい外国人として歩くのはなかなか精神衛生上よくなかったのを覚えている。
 結局、その通りは完全に住宅地で醸造所は影も形もないことを確かめただけに終わったのだけど、近くに麦芽を生産する工場と思われる建物を発見することはできた。何故それがわかったかというと、日本にいたときに出入りしていたチェコ関係の商社でもらった、クロムニェジーシュの麦芽工場のパンフレットに出ていた写真とそっくりだったからだ。ただ、当時その工場が稼動していたのか、既に閉鎖されていたのかは覚えていない。現在は久しく残っていた建物も破壊されて跡地の一画にはホテルが建っている。

 もちろん、一度の失敗でめげるほど諦めがよくはない。今度はオロモウツから南に向かう電車が駅を出てすぐのところから見えてくる建物に、「pivovar」と書いてあるのを発見した。サマースクールの先生のところに出かけたときのことだったかもしれない。駅からは旧市街に向かう方向にしか行ったことがなかったので、それまで気づけなかったのだろう。
 えっちらおっちら跨線橋を超えて、バスターミナルのほうに向かった。バスターミナル側からの道が通じていなかったのか、なんだったのか、駅からもバスターミナルからもそれほど離れていないはずなのに、えらく遠回りをしてやっとのことで醸造所の正面にたどり着いた。適当に歩いていたから道に迷っていた可能性もある。

 工場の中には入れなかったけれども入り口の脇に屋台みたいなのが出ていて、椅子とテーブルも置いてあった。誰がこんなところにビールを飲みに来るのだろうと不思議だったけれども、とりあえず、オロモウツのビールはありそうだったので頼んでみた。もちろん瓶ビールで、昔飲んだ記憶のある12度のバーツラフではなく、10度のホランだったかな。
 確か、そこでいろいろ話して、オロモウツのビールは瓶ビールだけになってしまっているという話を聞いたんじゃなかったかな。それから、自転車でビールを飲みに来たおっさんに、声をかけられてこちらが日本人だとわかると、昔はカワサキのバイクに乗ってたんだよ。今じゃこの自転車が俺のカワサキだけどななんて話をされて、二本目をおごってもらったのだった。


 まだチェコ語を勉強していた十五年ほど前に、知り合いに高校時代の友達と集まって騒ぐからと誘われてオパバに行ったことがある。もちろん、チェコ語が話せる日本人というパンダ並みの珍獣の役割を果たすためである。あの時は町の郊外のキャンプ場のようなところに行って、お酒を飲みながらソーセージなんかをみんなで焼いて食べたんだったか。日本の国歌ということで君が代を歌わされたんだった。音痴に歌わせるなよと思いつつ歌って見せたのだった。自分のサービス精神が嫌になる。
 そして、翌朝、いや昼ぐらいだったかな。オパバの醸造所に付属している飲み屋に連れて行かれたのだった。ズラトバルという名前のその醸造所では、普通のビールと黒ビールの中間ぐらいの暗い色のビールが一番おいしいというので、それを頼んだ。正直前日のアルコールが残った状態で、迎え酒のような飲み方だったので、味がどうこう言えるような状態ではなかったのだが、シレジアの紋章の黒い鳥、多分鷲をあしらったラベルなどのデザインがすごくかっこよく見えたのは覚えている。

 それなのに、今、ホームページで確認したらあのチェコ領シレジアの首都だったオパバのビールにふさわしいロゴは影も形もなく、シュベイクみたいな太ったおっさんがビルを片手に握った、これもチェコのビールに似合わないとはいわないけど、かつてのかっこよさはどこにもない。ここのホームページ、クリックするたびにオパバのビールの歴史についての本の宣伝みたいなのが出てきてうざったいったらねえや。
 さらに歴史のところを見ると、ビールの醸造所があったところは、解体されて、今では新しいショッピングセンターになっているというではないか。では、どこでズラトバルのビールは生産されているのだろうか。そういえば、以前、どこかでズラトバルを、ウヘルスキー・ブロトの醸造所ヤナーチェクで生産しているという話を読んだことがある。
 ヤナーチェクは、ロプコビツの傘下に入った醸造所のひとつであるが、ロプコビツがズラトバルを傘下に収めていると言っていないことからすると、委託生産ということになるのだろうか。シレジアのオパバの名をつけたビールが、東モラビアの奥地で生産されているなんてのは、正直やめてほしい。これならオロモウツのように、完全に消えてしまった方がマシだ。
 救いは、新しくできたショッピングセンターにミニ醸造所つきのレストランが入っていることか。ただ、ラベルのデザインとか、ビールの名称とかが……。かつてのロゴが使われているのもあるけど小さすぎて……。今後も、オパバのビールを口にすることはなさそうだ。
12月22日23時。


posted by olomoučan at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo
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