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2016年12月24日

チェコのビール醸造所独立系?6(十二月廿一日)


承前

ヘロルト・ブジェズニツェ(Herold Březnice)
 このビールの名前には記憶がある。ただ地名がわからない。いろいろなビール会社でブジェズニャークという名前のビールを出しているけど、それと関係があるのだろうか(関係はなさそう)。とまれ、地図で確認してみると、中央ボヘミアの南西の外れプシーブラムの近くにある町だった。かなり大きな城館が残されているので、有力貴族の居住地だったのかもしれない。
 ホームページの歴史の項によれば、80年代末に廃止がほぼ決まりかけていたものを、プラハの国立ビール研究所の所有になることで廃止を免れ、90年代の民営化によって、我が世の春を迎え、1990年代の半ばには、チェコでも三番目の生産量を誇っていたという。旧東欧を中心に多くの国に輸出していたようだが、特に注目すべきは、当時世界で唯一キューバに樽入りのビールを輸出していたことだ。いや、すごいのかな、これ。
 ただ、経営危機の足音は確実に迫っており、醸造所は賃貸に出されることになる。一つ目の醸造の施設を借りた会社が、1997-98年ぐらいに日本にもビールを輸出していたというのだけど、気づかなかったなあ。
 その後、1998年に醸造所を借りる会社がアメリカの会社に代わり、一年後には新しい会社を設立して醸造所の権利を買い取った。この会社はアメリカへの輸出を中心にした企業戦略をとっていたようだが、2008年のアメリカの経済危機でドルが暴落したこともあって、醸造所では生産が停止し、関税の未払いによって、税関によって醸造所の施設が差し押さえられる事態となった。こんなことまで書いてしまうのはすごいね。
 同じ2008年にチェコ人の企業家が買い取って、生産を再開し現在に至るということのようだ。ヘロルトのラベルには、1506という数字が入っているが、ヘロルト自体は1990年に民営化で再出発するときに選ばれた名前らしい。この醸造所の歴史は、民営化以後だけでも波乱の歴史だね。ここまで振幅が激しかったとは思ってもみなかった。


コウト・ナ・シュマビェ(Kout na Šumavě)
 この醸造所に関しては情報がほとんどない。1736年の創設でどうもこの地を領有していた貴族の一族の資産の一つだったようだ。その後の、国有化、民営化を経て現在に到る経緯についてはホームページにも記載はない。ビールの写真もないし……。
 所在地のコウト・ナ・シュマビェは、西ボヘミア地方のドマジュリツェにも近い小さな町のようだけど、町の紋章に槍で貫かれたドラゴンが使われているのが気になる。竜退治の伝説があったりするのだろうか。


エゲンベルク(Eggenberg)
 これは知っている。チェスキー・クルムロフのビールである。今から廿年以上も前に、チェスキー・クルムロフに行ったときに、地元のビールを飲もうと思って入ったお店で、注文したら瓶ビールが出てきてがっかりしたのを覚えている。
 もともとは、このクルムロフを領地としていたロジュンベルク家が、城内に醸造所を設置したのが、チェスキー・クルムロフのビール醸造の始まりらしい。ロジュンベルク家が断絶した後は、チェスキー・クルムロフはエゲンベルク家のものとなった。そのエゲンベルク家から現在の醸造所の名称も、ビールのブランド名も取られているわけだ。その後、クルムロフがシュバルツェンベルク家のものになると、醸造所もシュバルツ剣ベルク家の醸造所となる。ロプコビツよりこっちの方が貴族のビールにふさわしそうだ。
 ビロード革命後の民営化ではいの一番に民営化されたらしいのだけど、その後の情報があまり出てこない。2008年には一度倒産しているのだけど、誰が、もしくはどの会社が倒産した醸造所を買収してビールの生産を再開したのかがわからない。


ポトコバーニュ(Podkováň)
 中央ボヘミアのムラダー・ボレスラフの近くにある醸造所らしい。地図によるとコバーニュとコバネツという村の間にある。コバーニュの下にあるから、ポトコバーニュなのかな。
 ビロード革命後は、ボヘミア・プラハ醸造所の一工場になったらしいけれども、2003年に倒産。2007年から設備の近代化が始まって2011年に生産が再開されたのだとか。


ブジェツラフ(Břeclav)
 南モラビアのスロバキア、オーストリアとの国境の町、ブジェツラフに醸造所があることは知らなかった。それも当然といえば当然で、この町でのビールの生産が復活したのは、2013年のことだという。ビロード革命後の1996年に生産が停止されてからほぼ廿年のときを経て生産が再開されたことになる。地理的な条件からかつてはスロバキア向けに生産したビールの多くを送り出していたらしいのだが、1993年の分離により関税がかかるようになってしまった結果、販売価格の上昇と売り上げの減少が起こり経営が悪化したということのようだ。
 醸造所の名前には、ザーメツキーという形容詞が入っているから、ブジェツラフにある城館にあった醸造所が起源として意識されているのだろう。ロゴに入っている1522は、城館でのビール醸造が始まった年ということか。そうすると、ここも貴族領主の醸造所だったのだな。


ウーニェティツェ(Únětice)
 この醸造所も長い沈黙を経て復活したもののようだ。既に第二次世界大戦直後の1949年にはウーニェティツェの醸造所でのビールの生産は終了している。その60余年後、2011年に生産が再開されたという。現在の醸造所がかつてと同じ場所にあるのかどうかはよくわからない。
 ウーニェティツェというのは、同名の自治体がいくつかあるようだが、醸造所があるのはプラハ西郊の小さな村である。そうすると主要な出荷先はプラハだと考えていいのかな。


 いやあ、さすがに最後のほうはほとんど書くことがなかった。途中でやめようかとも思ったのだけど、意地で最後まで書いてしまった。年末進行、いやクリスマス進行に対する対策という意味もあったので、ちょうどよかったのだ。内容に統一感がないのは半分意図的、半分は醸造所のホームページで得られたデータの多寡による。
 あとは、飲んだことがあるけど消えてしまった醸造所について書いてこのシリーズはおしまいかな。
12月21日22時30分


 ネットであれこれ検索していたら、2012年に広島の飲み屋で、チェコビールフェアの一環としてヘロルトの樽から注ぐ生ビールを飲ませるなんて記事が出てきた。世界は狭くなったものだ。12月23日追記。

 
posted by olomoučan at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Pivo
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