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2016年09月24日

天元五年六月の実資〈上〉(九月廿一日)



承前
 十六日は、今日と明日は物忌と言いながら、中宮の御読経の結願の儀式について詳しく記しているから、物忌でも出席したということか。儀式が終わった後の宴会では、「公卿頗る酔気有り」とあるからみんな酔っぱらったということか。この日は、雷が鳴っている。

 十七日は、参内しているが、天皇の物忌で御側には上がっていない。物忌の中、石清水への天皇の使いがかなり大々的に出発している。物忌と神事、仏事の関係がいまいちはっきりしない。穢が発生したときには物忌が必要だが、暦上の物忌もあるので、こういうときには、特に儀式などへの制限はないのだろうか。今後は意識して読んでいこう。
 夕方、雷雨。時期的に言うと夕立かな。すぐに晴れ上がったみたいだし。
 十八日は、毎月恒例の清水寺参拝である。同時に毘沙門天像を砂金で鋳造している。仏像の高さと砂金の重さの関係が一つ想像できない。金の重さなんて実感がないからなあ。

 十九日は、頼忠のところに寄って参内して、夕方帰宅。
 廿日は、最近ひんぱんにあちこちの神社に使わされる天皇の祈願の使者が賀茂社に向かっている。また中宮の入内に伴って、竈神を中宮の里邸から内裏の内膳司に移す儀式が行われている。これによって名実ともに中宮が天皇の正妻となるという意味があるのだろうか。その移動の経路が記されている部分から残念なことに欠落。内裏に入ってどんな儀式があるのか読んでみたかった。

 廿一日から廿四日までは、完全に欠落で、廿五日は、末尾の大原の神社にまたまた天皇の祈願の使いが立てられたという部分しか残っていない。

 廿六日には、翌日まで二日の内裏の物忌であるが、左大臣が参上して、天皇の陵墓に立后のことを伝える使者について奏上している。ただ物忌だから、直接ではなく、御簾の外から奏上している。
 この日の記事によると、世情不穏はどうも内裏の中まで及んでいるようで、狼藉を働く連中があちこちに入り込んでいるので、六衛府に警備の人員の強化を命じるとともに、詰め所である陣の中に入り込まれないように宿直を命じている。警察機能を担う検非違使にはよからぬ連中の捜査を進めるように命じているのかな。

 廿七日には、蒼鷺が鷹になるという変事が起こっているが、占いによれば大したことはないとのこと。本当なのか。
 廿八日は、風。わざわざ記すぐらいだから強風だったのだろう。いつもと同じように頼忠のところに寄って参内し、加持祈祷を行うべき日を調査させている。来月の十一日と十七日という答えが返ってきているが、この年の七月の『小右記』は散逸している。残念。ただ、『大日本史料』に引用された『日本紀略』の記事によれば十七日に行われたようである。

 廿九日も、風。この日は宇多天皇の女御藤原胤子の忌日だということで、国忌とされ、東寺で儀式が行われることになっている。しかし東寺から寺に死の穢があるという報告が上がってくる。どうするかということで西寺や外記に問い合わせをしているが、「例無し」などという割には、「寺家に付して行はる」ということで、結局どうなったのかよくわからないのだが、寺で寺の人間だけで儀式を行えば、穢れがあっても問題ないということなのだろうか。実資を含めて誰も参加していないようだし、あっさりと別の事柄に移っているし。
 この日は六月の晦日なので大祓の日である。問題は公卿や女官たちの怠慢が続いていて、代理が行事を行っていること。その後、七月一日の住吉神社で行われる走り馬の儀式について大納言の藤原為光が奏上している。どうも馬を管理している右馬寮で牛が死ぬという穢れが起こってしまったらしい。左馬寮も穢れがあるというので、どうするか考えて、放牧されている馬を使えとか、鞍は太政大臣に献上させるとか、さまざまな手が打たれている。ただし、左馬寮の穢れは真偽が怪しいらしい。この件も、この年の記事がここで終わっているために、実際どうなったのかは不明。
 尻切れトンボな感じで終わるのは、月単位で切っているから仕方がないのである。
9月21日23時。


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