2020年07月27日
サマースクールの思い出(十二)――三年目3(七月廿四日)
チェコ語には、いくらチェコ語ができるようになって、チェコ語で思考するようになったからといっても、日本人としての意識が残っている以上使えねえという表現がいくつか(も、かも)ある。そのうちの一つが、恋人同士が呼びかけるときに使う。「zlato(黄金)」「beruško(てんとう虫)」「sluníčko(太陽)」なんて言葉がある。ようは自分にとっては、それだけの意味があるということなのだろうけど、てんとう虫は幸運のシンボルらしいし、こっぱずかしくて口にはできない。「miláčku(いとしい人よ)」なんて直接的なのもあるけどこれも同様。
この、恋人への呼びかけの言葉が、授業中に議論の対象になった。同じスラブ系でも全く同じではなく微妙に違うものもあったと思うのだが、そんなことはどうでもいい。日本ではこんなとき何というのかと問われて、正直に日本人にはこんなこっぱずかし意言葉は使えねえと言ったのに信じてもらえなかった。
漫画や小説の登場人物なら英語のその手の言葉を借りてきて使うのだろうけど(そんな作品ほとんど読んだことはないけどゼロではないし)、現実に使っている人はいるのだろうか。個人的には古典にかえって「わぎもこ」なんていった方がマシである。ただこれも呼びかけとして使っていたのかなあ。和歌の中で比喩的表現として使うのならあれだけど、直接呼びかけに使うってのには抵抗がある。
それはともかく、信じてもらえないので日本人のメンタリティーを説明するのに、例の漱石のお月様の伝説まで引っ張り出す破目に陥ってしまった。漱石の月の話も最近あちこちで目にするようになって、食傷気味なんだけど、どうしてみんな、「月がきれいだ」にしてしまうんだろう。あれって「月がとってもあおいなあ」じゃなかったっけ?
確か大学時代だったと思うけれども、先輩が日本の文学では、自分の気持ちを直接的にあからさまに表現しないのが古来からの伝統だといって、漱石の逸話を教えてくれた。そのときに「きれい」ではなくて、「あおい」と言うところが漱石らしいよなあと評していた。「きれいだ」と言ってしまうとあからさま過ぎるというのである。
貫之が業平を評した「意あまりて言葉足らず」は、ほめ言葉じゃないかもしれないけれども、定家の歌論にしても、芭蕉の俳論にしても、確かに同じようなことをいっていたような気もする。ただ定家の文章も、芭蕉の文章も、読めばわからなくはないし、その理論も理解できなくはないのだけど、それを実作に応用するとなるとお手上げというところがある。まあレビ・ストロースとか、チョムスキーとかの理論も、本人とシンパ以外には、わかるようでわからんというか、わかった振りをしている人のほうが多そうだから、文系の理論なんてそんなもんと言ってしまえばその通りなのだけど。
話を戻そう。それ以前にも、チェコ語の「sluníčko」は日本語でなんと言うんだなんて質問をされたことは何度もあって、そのときには、ややこしい話をしても理解してもらえなさそうだと考えて、大抵は酔っ払った席での話だったし、チェコ語の言葉を日本語に訳してお茶を濁していた。一応日本語では使わないけどねというコメントはしたけれども、どこまで意識されていたかはこころもとない。
このときのサマースクールでは、集まった学生たちの質が高かったこともあって、言葉の勉強、もしくは使う訓練のために参加しているのだから適当にごまかすのはもったいないと考えて、敢えてややこしい説明に踏み込んだ。授業中は即興だったからたどたどしい説明になって、わかってもらえなかったかもしれないが、自主的な宿題として文章にして師匠に提出したのだった。
授業では、これ以外にも、その場で考え考え、自分の使える言葉を使ってあれこれ説明しなければならない機会は多かった。言いたいことの中にチェコ語で何というか知らない言葉があっても、別な言葉を使って説明してある程度理解させる、いい訓練になった。それが現在の何についてでもある程度は語れるチェコ語力につながっていると思う。こちらの説明を聞いてチェコ語の正しい言葉を教えてくれるやつも多かったし、覚えにくい概念語を覚えることもできたんじゃなかったかな。誤解しているもののあると思うけど。
なんてことを書いて、日本の昔の和歌には「物に寄せて思ひを陳ぶ」なんてのがあったのを思い出した。チェコ語の「sluníčko」なんてのも、それに似ているかもと一瞬思ったのだけど、相手に直接呼びかけるからなあ。やはり日本人には直接あからさまに言うのは向いていないのである。
あちこち迷走した挙句に、わけがわからなくなってきたのでこの辺でお仕舞い。
2020年7月25日22時。
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