2020年06月27日
オリエンタリズムと欧米コンプレックス(六月廿三日)
すでに旧聞に属するが、日本の政治家の中でも口が軽く失言の山を築くことで知られる何とか大臣が、日本で武漢風邪の感染者、武漢風邪による死者の数が少ないことについて、「民度が高いから」なんて発言をして、あちこちから批判を浴びているというニュースが世上を賑わせた。この発言を知ったときには、欧米のマスコミの根拠のない日本批判と、それを無批判に引用して政府批判につなげる日本のマスコミによほど腹を立てていたのだろうと思った。
何とか大臣の発言も、マスコミの報道のあり方も、一見立場を異にするように見えるが、どちらも欧米コンプレックスの発露にすぎず、その発露のしかたが違うだけで表裏一体の関係にある。だから批判するほうもされるほうも、同じ穴の狢であって、目糞鼻糞のののしり合いのレベルを超えることはない。
そもそも欧米のマスコミの報道は、国内についてのものなら信用してもいいのだろうけど、アジア、特に日本に関する報道については、オリエンタリズムのバイアスがかかっているから信用に値するものはほとんどない。今回の武漢風邪騒ぎに関して言えば、日本の対応への批判は、差別意識、キリスト教文化圏に属さない日本が、先進であるはずの欧米よりも被害が少ないのはありえないという思い込みから出た根拠のないものに過ぎない。検査数が少ないから患者数も少ないというのは、一面の真実ではあっても、それを理由に日本の本当の感染者数は十倍以上いるはずだなんて言うのは、科学的な思考が欠落しているだけではなく、単なる言いがかりである。
それをありがたく引用して大騒ぎする日本のマスコミは、欧米コンプレックスの塊で、欧米が言うことは白いものでも黒いと思うメンタリティを有しているとしか思えない。引用するにしても、その批判が正当なものなのかどうか検討してからにしろよと思うのは、ないものねだりなのだろうか。日本のマスコミも科学的な思考に欠けて、思い込みや妄想でガセの垂れ流しを報道と称して恥じない連中だから、検討しても形だけで終わるか。
その一方で、外国で日本の在り方が賞賛されているなんて記事も見かけるけれども、それがスポーツ記事の穴埋めに使われるようなものであれば罪はないと言ってもいい。ただ欧米のメディアが日本を必要以上に称揚するのも、褒められたことではあるまい。日本の影の部分には目をつぶって、もしくは気づくだけの能力がなく、光の部分だけを大げさに取り上げるのもまたオリエンタリズムの発露の一形態である。それを無批判に紹介して日本は凄いと悦に入るのは欧米コンプレックスとしか言いようがない。
去年のラグビーのワールドカップのときにも思ったけれども、少なくとも日本のマスコミに引用される欧米の日本賞賛記事には、相対化する視点が欠けている。二つの文化、社会を比べた場合に、どちらかがあらゆる面で優れているなんてことはありえない。欧米と日本を比べても、全面的に日本が駄目ということも、日本の方が優れているということもあり得ない。
しばしば、いわゆる報道の自由に関して日本が酷い状態にあって、ヨーロッパとは比べ物にならないというようなことが言われるが、ヨーロッパにだって報道の不自由はある。キリスト教徒の少ないチェコに於いてでさえ、キリスト教関係、特にカトリック関係の報道には、隔靴掻痒なものが多い。今回の武漢風邪のヨーロッパでの流行にしても、教会が大きな役割を果たしたと思われるのに、批判の声はおろか、指摘する声さえ聞こえてこなかった。そもそもバチカンという宗教国家が存在することを誰も疑問視しないのが不思議である。
これは、チェコ語の師匠から聞いた話だけど、師匠が住んでいた村で、聖職者ではなかったけど教会関係者が殺されたときに、ニュースにはなったけど、事件と関係していると思われる、その教会で行われていたことについては報道されなかったと言っていた。子供たちを集めて、指を切ってお互いの血を混ぜ合わせさせたりとか、秘密結社の入社式のようなことをしていたらしいんだけどね。師匠は政治的は判断でキリスト教会に配慮したんだろうなんて言っていた。
もちろん日本には、報道の自由がないのではなくて、実はマスコミ自体が必要としていないという事実については、ヨーロッパの基準で評価する限り見えてくることはないのである。日本のマスコミが必要としているのは、対象となる個人を選択して、虚偽も交えた報道で袋叩きにする権利であって、真実を暴くための報道の自由ではない。首相などの政治家が袋叩きの対象に選ばれることはあっても、マスコミのやっていることは、不倫疑惑で芸人を袋叩きにする場合と大差ない。もう一つ、虚偽報道をしても謝罪したふりをすればなかったことにできる権利も、戦前とメンタリティーの変わらない大手マスコミには必要か。
それはさておき、日本の生活習慣、日本人の民族性などを取り上げて、「民度が高い」などと称賛するのであれば、その民度の高さがもたらす負の側面を指摘して、相対化するのが少なくともジャーナリストを自認する人間の仕事じゃないのか。賞賛だけなら単なる日本ファンにだってできるのだし、感情的に批判するだけならおつむの軽い芸人にだって無能な政治家にだってできる。某大臣を批判するにしても、「民度が高い」おかげでこんなことも起こっていると指摘したほうが、馬鹿の一つ覚えで差別だ差別だと騒ぐよりもずっと効果的であろう。
今回の武漢風邪騒ぎは、たしかに日本のいい面も浮き彫りにしたけれども、自粛を要請したり、強要したりするという日本語を破壊するような事態が起こるなど、自らは自粛しないのに視聴者に自粛を要求するテレビ局などのマスコミを筆頭に、「民度の高い」日本社会の悪い面もこれまで以上に表に出てきた。この両面に目を向けた日本に関する報道ってのは無理なのかね。チェコテレビならやれそうだけど、需要はないだろうなあ。
2020年6月24日15時。
https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/
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