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2020年01月23日

プラハへの車中で環境問題に関する問題に思いを致す(正月十九日)



 7時半過ぎに到着したオロモウツの駅の構内も、レギオジェットの到着を待つホームも意外なほど人が多かった。気温は0度ぐらいだというが風が吹いていて寒く感じる。今回は一番厚手の上着は避けて、重ね着で暖かさを確保しようと考えたのだが失敗だったかもしれない。下着から合わせて6枚も重ねているんだけどね。この冬場の服装選びは何年たってもうまくならない。
 電車は5分遅れの表示だったから、10分近く遅れて入ってきた。自分の車両はこの辺だろうと予測して立っていた場所がかなりずれていてちょっとあわてた。オロモウツで降りる人もまた意外に多く土曜の、ショッピングセンターを除けばほとんど死んだ街になるオロモウツで何をするんだろうなんてことを考えた。午前中だけは開いているお店もあるのか。

 空は典型的なチェコの冬空で、どんよりとした雲に覆われ、霧が出ていて車窓からの景色もぼんやりともやがかかっている。ずっと部屋の中にいれば気にならなくなったが、チェコに来て一年目はこの陰惨な冬空に憂鬱な気分にさせられていたのを思い出す。その憂鬱さに打ち勝ってチェコに残れたのはビールのおかげというとチェコテレビの「ビール巡礼」になってしまうけれども、クソ寒い冬に、暖房の利いた暖かい飲み屋で、冷たい、美味しいビールを飲むというのは毎日の救いになっていた。
 2000年ごろは、冬になると入り口のところに厚いカーテンで仕切った小部屋を設けるところが多かった。不思議に思って師匠に聞くと、外の冷たい空気が中に入ってくるのと、中の暖かい空気が外に流れ出すのを防ぐためだと教えてくれた。最近では暖冬が多いせいかトンと見かけることもなくなった。雪も降らなくなったしチェコの冬が以前に比べると暖かくなっているのは確かである。夏も暑いと言いたくなる日が増えているし、気温が上昇傾向にあるのは確かだろう。だからと言って、このままでは地球温暖化のせいで取り返しの付かないことになると大騒ぎをするところまでは、知性の面で堕落できない。

 あの狂信的な大騒ぎには、部分的に賛同できるところはあっても、全面的な賛同となると小学校から大学まで日本の学校教育によって培われた我が知性が許してくれない。どんなに基準を緩めて評価しても、あの手の環境活動家、ほとんど環境テロリストの主張から、怪しい、胡散臭いという印象を消すことができない。本人たちが真剣に主張すればするほど、こいつら何も理解していないんじゃないかという思いが強くなる。そして、専門家、研究者を自称する連中には、80年代に石油枯渇説を声高に唱え原子力の利用を推進していた専門家たちと同じ匂いがする。
 畢竟、石油枯渇説が石油の価格を高止まりさせ、原子力推進に世論を動かすための方便であったのと同様、地球温暖化というのも、環境問題というよりは経済的な問題の側面のほうが強いのだろう。だから、利権につながる二酸化炭素の排出制限と、その排出枠の売買や、太陽光発電や電気自動車の推進については、これができなければ世界は終わるとでも言わんかのように大騒ぎするのに、金にならない砂漠化の防止や、植林による森の再生なんかには冷淡な反応しか見せない。

 科学的に世界の人々を説得できない連中が、知性よりも感情に訴えかけるヒステリックな手法を取っているのも信じられない理由の一つとなる。去年だったか一昨年だったかのプラスチックのストロー撲滅運動も、悪者を設定して執拗に攻撃することで世論を盛り上げようとするやり口にうんざりさせられた。プラスチックのストローが本当に環境に深刻な害を与えるというのなら、ストローの必要な飲み物販売をやめればいいだけの話なのに、紙のストローに変えましたとかなんとか、騒ぎを利用してイメージアップを図ると言うのには、昔名詞に「再生紙を利用しています」と印刷されているのを始めてみたときと同じような嫌悪感を抱いてしまった。
 プラスチックごみが海洋にまで氾濫して、それが生態系に悪影響を与えているのはその通りなのだろう。だから、清掃活動をして所定の場所以外に捨てられたごみを集めたり、ごみを減らす運動をしたり、過剰な包装をやめようと主張したりするのは、この上ないぐらい正しい。ただ、金にも時間にも恵まれた環境活動家たちが、海洋の清掃活動をしないのが理解できない。日本の捕鯨船に襲撃かけるぐらいなら、太平洋のごみベルト地帯に出かけてプラスチックごみを回収して来いよなんてことを考えてしまう。

 思い返せば、1990年代の日本では、環境問題に目覚めた人たちが割り箸撲滅運動を始めた結果、ただでさえ経営に苦しんでいた林業が大きな打撃を受けて、森が荒れる原因になったという笑えない話しがあったし、それよりも少し前には企業や役所にコンピュータを導入させるために、OA化すれば仕事が効率化できるだけでなく、紙の使用量も減って環境保護にもつながるという今日の視点から見ると詐欺としか言えない主張がなされていたが、現在の地球温暖化論者の主張にもこの二つと同じ匂いがする。つまりは無知ゆえの妄言か、意図的な虚報に聞こえてしかたがない。

 それにとどまらず、十代の女の子を運動の全面に立たせるような所業に出たときには、こいつら自分で責任を取る気がないのかと思ってしまった。件の、日本マスコミにはほぼ名前で「グレタさん」としか書かれていないので名字は覚えていないのだけど、そのグレタ氏については特に批判する気も、賞賛する気もない。十代の自分の正義を信じていられる時期なら、「大人には何でわからないんだ」という気持ちを爆発させるのは普通のことで、他人のことは言えないけど、過去を振り返れば、思い当たる人も多いはずだ。
 ただ、このグレタ氏がすごいのは、自らの正義を行動に移し、あきらめることなく継続したとことである。この点については賞賛以外の言葉は出てこない。許せないのは、そのグレタ氏を悪用し運動の前面に立てた大人たちである。地球温暖化防止の活動を批判する人=いたいけな女の子をいじめる大人という構図を作り出して、反対や批判をしづらくしているのだから、姑息と言うか何というか。これだけでも信用できない理由としては大きすぎるぐらいである。

 環境保護運動の趣旨、自然環境の破壊を防がなければならないというのにはもろ手を挙げて賛成してもいい。ただ、問題は、近年の環境保護運動は感情過多で、自らの正義を疑うだけの知性が存在しないところにある。だから、奴らのヒステリックな叫びには耳をふさいで、自分なりのやり方をこっそりひっそり続けるだけである。
 個人が環境保護、地球温暖化防止に多少なりとも貢献できるとすれば、それは頻繁に新しいものに買い換えるのをやめて、同じものをできるだけ長く使い続けることによってだろう。ということで、廿年ほど前に買った冬物の帽子と、十年以上前に買ったセーターとコートを身に着けて、プラハに向かったのである。書いたときにはうまく落ちたと思ったのだけど、読み返すとそうでもないなあ。
2020年1月19日23時。











posted by olomoučan at 06:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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