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2020年01月24日

上院議長没す(正月廿日)



 元日にはテレビで念頭演説を行い、最近は台湾を訪問を計画して中国政府だけでなく、中国に媚を売るゼマン大統領を初めとする親中派にも批判されるなど、活発な政治活動を続けていた上院議長のヤロスラフ・クベラ氏が亡くなった。享年72歳。上院の自らの執務室で突然倒れ、病院に運ばれたもののそのまま帰らぬ人になったらしい。

 チェコの上院も、日本の参議院と同様にしばしば不要論が起こるのだが、議員の存在感もほとんどなく、明確に上院議員としてチェコ中の人に認識されている人としては、長らく議長を務めていたピットハルト氏とこのクベラ氏が双璧だと言っていい。ビットハルト氏はビロード革命の際の市民フォーラムの立役者の一人で、キリスト教民主同盟から上院議員に選出され、長らく議長を務めた。2004年の大統領選挙に立候補している。
 クベラ氏が上院議員に最初に選出されたのは、2000年のことで、以後2006年、2012年、2018年と4回連続テプリツェ選挙区で当選している。2018年の選挙のあとに、所属する市民民主党が上院の第一党になったこともあり、議長に選出された。それ以前から辛辣な、それでいてユーモアあふれる議会での発言で話題になることも多く、知名度は高かった。

 クベラ氏は、典型的な地方政界から中央政界に進出した政治家の一人で、政治家としての職務をいくつも兼任していた。1994年から上院議長に選出された2018年までは長期にわたってテプリツェ市の市長を勤め、2016年からはテプリツェのあるウースティー地方議会の議員も務めていた。テプリツェでは、市長を退いた後も市会議員は続けていたので、2016年からは3職兼務状態だったわけだ。日本的な常識ではありえないと思うのだが、こちらではこれが普通である。最近は批判を浴びて兼職を避けるように指導する政党も出てきてはいるけれども、それを拒否する人もまだ存在する。
 クベラ氏が市長になった当時のテプリツェは、旧東ドイツとの国境地帯にあることもあってひどい大気汚染に悩まされ、温泉街を徘徊する街娼の存在もあってあまりよくない意味で有名だった。クベラ氏はその状態の改善に力を注ぎ、大きな成果を挙げたことで、テプリツェをプラハに次ぐ、場合によってはプラハ以上の市民民主党の牙城に作り上げた。ただし、テプリツェで市民民主党を支持している人は、党ではなくクベラ氏を支持しているのだとも言われる。

 このクベラ氏にとって最大の価値を持つのは個人の自由で、個人の自由を制限するような法律には徹底的に反対することで知られている。上院議員になった一期目のEU加盟を巡る議論が盛んだったころには、EUに規制が多すぎることを強烈に批判していた。特に今日のニュースでも流されていたけれども、「日曜日にセックスをすると月曜日の仕事の能率が落ちるから、このままいくとEUが禁止するに違いない」なんてことを上院の会議の場で発言したのは語り草になっている。
 近年は特に禁煙ファッショに強硬に反対しており、レストランなど飲食店での全面禁煙にありとあらゆる手段で抵抗していた。これは、もちろん本人が救いがたいほどのヘビースモーカで、どこでもここでも煙草を吸わないではいられないというのも理由だろうが、禁煙にするか喫煙にするかを決めるのは飲食店の経営者の自由とするべきであって、禁煙を法律で一方的に強制するのは許されないという主張には一定の説得力はあった。

 2018年だったと思うが、大統領選挙に際して市民民主党の推薦する候補者に擬されたことがある。そのときは、ユーモアも交えながら、「煙草を吸う連中が全員、煙草を吸うという理由で支持してくれて、クベラ支持者がクベラだという理由で支持してくれれば勝てるかもしれない」なんてことを言っていたのだが、最終的には推薦を辞退して出馬しなかった。大統領を務めるには健康に問題があると思っていたのかもしれない。
 ただ、今思い返せば、大統領選挙で勝つためにはゼマン支持者を切り崩す必要があったことを考えると、決選投票の場合はドラホシュ氏よりも、クベラ氏のほうが勝ち目があったのではないかとも思う。ドラホシュ氏は、政治的に大きな声で発言する学歴が高いエリート層の支持は熱狂的に集めることに成功したが、比較的低学歴の人の多いゼマン支持層には全くと言っていいほど声が届いていなかった。

 クベラ氏は過去に、共産党に入党しているが、それは1967年の「プラハの春」の民主化運動の展開の中でのことであり、民主化運動が暴力的に押しつぶされた翌1968年には党を離れている。自ら離党したのか、言動を問題視されて除名されたのかはわからないが、上に登場したピトハルト氏も含めて、プラハの春の後に共産主義に絶望して共産党を離れた人は多く、後に、それらの人たちがビロード革命と社会の民主化の中心を担うことになる。クベラ氏もそのうちの一人で、特に当初は地方の政治の民主化に貢献したのである。

 チェコのマスコミは、日本の下衆マスコミと違って死者や遺族を鞭打つようなことは避けるので、クベラ氏の死因は報道されなかった。おそらく遺族が公表を避けたのだろう。あれだけ煙草を吸っていながら、定期的に病院で検診を受けるなんてこともしていなかったらしいし、本人にとっては煙草が原因で亡くなるのは本望というところなのだろうから、以て瞑すべしである。
 これで、また一人、共産党政権の時代を生き抜いたたくましい政治家が姿を消した。世代交代が進むと言えば聞こえはいいけど、その結果、既存の政党は官僚的で優等生的な政治家ばかりになって、バビシュ氏やオカムラ氏のさらなる跳梁を許すことになるのではないかと不安になってしまう。
2020年1月20日24時。










タグ:訃報 上院
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