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2016年05月17日

永祚二年七月の実資2中旬(五月十四日)



 前回、十一日の記事では、病の娘のために、実資がどれだけのことをしたかを見たわけだが、今回はその続きである。残念ながら、加持祈祷の甲斐なく娘は亡くなってしまうのだが、実資は悲嘆にくれることになる。


十一日、甲申、申の剋許り小女入滅す、悲歎泣血す、是れより先種々の大願を立つ、兼ねて童三人の首を剃りて戒を授けしむ、悲慟に耐えず、夜を通して加持せしむ、

 申の刻、つまり午後早い時間に娘は「入滅」してしまった。以前の占いで「申」の日に平癒するかもといわれたのに、申の日の申の刻に亡くなったというのはなかなか皮肉である。これまでに立てた大願で約束したことを果たす上に、子供三人に受戒させて寺に入れることにしたようだ。これも、これまで娘のために協力してくれた仏教へのお礼ということになるのだろう。
 「悲歎泣血す」「悲慟に耐えず」という娘を失ったことを悲しむ表現が、連続してではなく、別々に出てくるところに、実資の悲しみの深さが感じられる。「夜を通して加持せしむ」は、娘の成仏を祈ったものか。


十二日、乙酉、木工允公佐を差して左将軍の御許より弔はるる有り、覚縁、珎慧上人弔に来る、遠資朝臣来る、五品以下弔に来る者多し、陳泰朝臣を召して児を出だすべきの事を問ふ、七歳以下は更に厳重たるべからず、今日は欠日にて重く忌む所なり、明日は戌の日、指して忌む所無し、此の如きの児は惣じて日を経るべからず、須く明日寅の時に出だし送るべし、てへり、穀(有るに随ふ)を以て衣と為す、又た手作りの褁に納む、又た桶も納む、と云々、

 亡くなった翌日に、すでにあちこちから弔問が来るあたりが、この時期の実資の立場を表しているのかもしれない。「陳泰朝臣」に問い合わせたのは、葬儀の、特に現在の出棺に当たる儀式か。七歳以下はそれほど厳密に考える必要はないということだから、実資の娘は七歳以下でなくなったことがわかる。ただ、今日は重く忌むべき日だから、今日は避けたほうがいいが、明日は戌の日で特に忌む必要はないから、明日子供の亡骸を家から出すべきだと言う。もう一つの理由としては、このような幼子がなくなった場合には、あまり時間をおいてはいけないという理由もあって、明日の戌の日、寅の刻に屋敷を出すということになる。その際、穀(穀物? 穀物の藁でいいのか不明)で作った衣を着せて、手作りの袋に入れて、さらに桶にも入れることになるようだ。
「欠日」というのが、いまいちよくわからないが、陰陽道で決められた忌むべき日の一つであろう。陰陽で忌むべき日の知識も復習しないといけないなあ。「重日」というのがあったのは覚えているのだけど、「欠日」は、ちょっと記憶にない。
※「欠日」は「坎日」の略記のようである。つくりしか書かないの手の手抜き表記は時々出てくる。7月13日追記。

十三日、丙寅、寅の時昨日陳泰の申しし旨を以て、小児を褁に納めしむ、扶義、懐通(懐通抱く)、忠節を相ひ副へ、雑人両三に今八坂の東方の平山に置かしむ、晴空、済救、叡増、安祐等来る、
三品過ぎらる、又た遠資朝臣来りて談ず、景斉、遠景朝臣等来る、

 前日の陳泰の助言に従って、寅の刻に娘を袋に収めて、東山に置きに行かせたようである。付き従ったのが、一人目は源扶義で、この人は『小右記』にしばしば登場したような記憶がある。残りの懐通と忠節はよくわからない。「忠節」には大日本古記録では「石作」という姓が注されているから、『竹取物語』の石作皇子の関係者かと思ったけれども、石作皇子は架空の人物であった。三人とも恐らく実資の家司のような立場でも仕事をしていたのだろう。娘の遺体を抱えた懐通が一番信頼されていたのか、ただの体格の問題なのかはわからない。
 とまれ、この日も、おそらく弔問の客が、立ち寄っただけの人も含めて何人も来ている。 


十四日、丁亥、盂蘭盆供は例の如し、各々寺々に送る、
小女の事を思ひて、心神不覚なり、悲恋に堪へず、人を差して見しむる、既に其の形無し、てへり、弥よ舂神を以てす、
百箇日の修善今日結願なり(元寿)、

 娘がなくなっても日々の仏教行事は続く。盂蘭盆会の供物はいつも通りに、各寺に送ったようだし、娘の病気の前に始めた百箇日の修繕が結願している。ただ、この年の前半は散逸しているため、娘の病気が、七月以前に始まっている可能性はないわけではない。
 仏教行事に挟まれた真ん中の部分がすさまじい。娘のことを思うと「心神不覚」になるというのである。そして人に命じて見に行かせたら、前日に東山に置いてきた娘の遺体はすでに形がなくなっているということで、それは舂神の思し召しとでもいうのだろうか。舂神の「舂」は、「つきよね」とか「つきしね」と読んで、精米された白米のことを言うから、前日衣にしたのは白米で、そのおかげで、すでに娘の亡骸がなくなっているのだとすれば、何とも壮絶な葬である。 


十五日、戊子、按察大納言、為儀朝臣を使はし弔はる、右大将、実好朝臣を以て訪はる、景舒朝臣、信理朝臣来る、元寿阿闍梨来る、宰相中将、宮内丞師信を使はし之を弔ひ送る、右馬頭、大和守、前丹波守、挙直朝臣等来る、覚慶僧都、明豪阿闍梨弔に来る、播万守来る之由、と云々、
修理大夫、惟友朝臣を使はし弔はる、

 この日は、ひたすら来客のお話。高位の貴族は代理の者を弔問に使わすことが多いようである。


十六日、己丑、大外記致時朝臣云ふ、去ぬる十三日庁を下さる、源中納言、国章朝臣をして御消息を□せしむ、夜に入りて行成朝臣弔に来る、左大臣に牛車の宣旨、又た昨日入道殿薨の奏あり、主上御錫紵す、と云々、申の四点河原に出でて除服す、
中宮、少進文隆を以て弔の仰有り、備中守、俊賢、景斉等の朝臣来訪す、頭中将過ぎらる、立ち乍ら謁す、

 この日は伝聞で元関白の兼家が亡くなったあとの宮中の処置について語られる。弔問に関しては「頭中将」こと藤原公任が立ち寄って、立ったまま話をしたというのが注目される。


十七日、庚寅、七日を当てて諷誦を珎皇寺に修む、

 この日は、娘がなくなってからいわゆる初七日に当たるので、その法要を行っている。珎皇寺は、京都の東山にある珍皇寺のことであろう。「和同開珎」が、「和銅開宝」なのか、「和銅開珍」なのかで議論があることを考えれば、「珎」という字のややこしさは理解できる。この珍皇寺は、鳥辺野と呼ばれる葬送の地にあることから、十三日に部下たちが運んで行ったのもこのお寺なのかも知れない。それが火葬であるとすれば、十四日の記事は、亡骸が既に燃え尽きてしまっていることを神の思し召しと考えたことになる。ちなみに、この寺は小野篁が冥界に通うのに使ったといわれる井戸があることでも有名らしい。


十八日、辛卯、左衛門督、帯刀以正を以て弔ひ送らる、夜に入りて右近中将斉信来訪す、立ち乍ら相ひ遭ふ、清水寺に参らず、

 この日は毎月恒例の清水寺参拝を行っていない。これも娘がなくなったためであろう。


十九日、壬辰、左少将相尹弔に来る、今日より四个日は物忌、門戸は閇めず、

 今日から四日間は物忌ということで、外には出ないようだが、門戸は閉めずとあることから、そこまで重い物忌ではないようである。


廿日、癸巳、義蔵闍梨、覚縁上人来りて談ずるの次いでに云ふ、唐人の舟一艘(千五百石)着岸す、法橋「然の弟子、去々年唐人に属して入唐す、今般彼の唐人及び弟子の法師等同じく以て帰朝す、と云々、

 この日は久しぶりに娘に関する記述がない。義蔵や覚縁が来たのは弔問かも知れないけれども、大切なのは、唐人の船に乗って昨年入唐した「然の弟子が戻ってきたことである。

 七月の中旬の部分では、娘を亡くした実資の悲しみの大きさと、次々に訪れる弔問客の多さに注目するべきなのだろう。葬儀のやり方も気になるけれども、こちらは日記の記事からわかることはそれほど多くなく、推測を求められる部分が多い。

5月16日22時。



 微妙に予定変更。5月16日追記。
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