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2019年07月29日

シュムニー・フラデツ3(七月廿七日)



 第二のコースの基点は、ラベ川の旧市街側の河畔に建っている東ボヘミア博物館である。本来はフラデツの町の博物館として建てられた、赤レンガと真ん中にそびえる塔もどきが特徴的なこの建物を設計したのはヤン・コチェラである。ここも入らずばなるまいと入り口に行ったら開いていなかった。改装中だったのか、別に入り口があったのか。後で見たら案内所でもらった冊子に、2018年から2019年にかけて改修工事が行われると書かれていた。

 二つ目はラベ川にかかる橋を渡って対岸の建物を眺める。一番目に付くのは白いソコロブナの建物。ソコルというのは、チェコ語で鷹だか、隼だかの猛禽類を表す言葉だが、19世紀の後半に設立された体操団体の名称に採用された。健全な精神は健全な肉体に宿る的な理想を体現しようとした団体ではあるのだが、同時に肉体を鍛え上げた人々の集まりは容易に軍組織に転用可能で、チェコスロバキア独立前後には、半軍事組織としても活動していたようだ。
 共産主義の時代には、共産党お手盛りのスパルタキアーダというほぼすべての子供たちが強制的に参加させられた集団体操に取って代わられ活動を停止していたが、ビロード革命後に復活しこの前、創立百何十年だかの世界大会を大々的に開催していた。チェコ系の移民のいるところにはたいていソコルの組織もあるのである。そのソコルの体育館などのはいっている活動拠点をソコロブナといいちょっと大きな町にはどこにでもある。
 オロモウツのソコロブナは、川沿いにないのでちょっと雰囲気が違って見えるが、プシェロフのは川沿いにあって、対岸のコメンスキーの時代の学校の跡地から見た感じがフラデツのものによく似ている。地図を見たときには、ここに例の水力発電所があると思ったのだが、違っていた。水力発電所というのは、シュムナー・ムニェスタで紹介されていたのだが、第一次世界大戦前に建設されたものが今でも現役で発電をし続けているというものである。

 ここでお散歩コースを外れてラベ川沿いに歩いて7番のポイントに向かう。発電所がありそうなラベ川沿いの建物は他になかったのである。この発電所を見るのもフラデツに来た目的の一つである。特徴的な輪郭の目に優しい色合いの建物が、川の向こう岸に建っていた。なぜかダムのように川をまたぐ形で建っていると思い込んでいただけに、ちょっと意外だった。水門があってその上を渡れたので、発電所のところまで行くことができた。
 普段は発電所を所有管理している電気会社チェスのインフォメーションセンターのようになっていて、見学も可能であることを後から知って歯噛みした。ただフラデツの情報誌によると、去年から今年にかけて改修工事が行われているということなので、中には入れなかった可能性も高い。建物の前まで言っても何の表示もなかったし。来年なら工事も終わっているだろうということで、再訪する理由が一つ増えてしまった。

 再度橋を渡って元の岸にもどると、その先に学校の建物がいくつか並んでいた。もっとも威容を誇るのは日本の中高一貫の学校に似ているギムナジウムで、入り口の前に立って校舎を見上げると、ちょっと入るのをためらってしまいそうである。こういう校舎で学ぶと母校に対する誇りを強く感じるのだろうなあなんてことを考えた。その隣の少しおとなしめの建物も学校の建物で、幼稚園から小学校まで入っているのかな。どちらもゴチャールの設計ということである。

 その後は、順路を逆行する形で、ゴチャールの設計によって機能主義で建てられたフス派の流れをくむ教会、ゴチャールの都市計画の中で旧市街に対する新市街の中心の役割をになわされた広場を経て、最後のマサリク広場に向かう。この三角形というよりは扇形の広場には、中心にマサリク大統領の銅像が置かれ、背後の扇形の弦の部分に、まるで屏風のように横長の、正面の上部がMを思わせる形を繰り返す建物がある。もともと銀行の建物で、今も銀行が入っているのだが、緑と青のコントラストの強い色を看板や窓のロゴに使っていて場違いな感じだった。
 旧市街の外側に、こんな落ち着いた佇まいの広場があるとは、さすがは共和国のサロンと呼ばれるだけのことはある。そして当然のことながらこの広場もゴチャールの作品で、フラデツの駅と旧市街の間に広がる新市街はゴチャール抜きには存在し得なかったと言える。新市街を貫いて旧市街に突き当たる重要な通りにゴチャールの名前が冠されるわけである。オロモウツにはゴチャールに当たる存在がいなかったから、旧市街の外側はフラデツほど魅力的ではないのだろう。

 この時点で足も痛くなり始めていたし、三つ目の要塞のあとを巡る散歩は、これまでの二つよりも長そうだし、この日のフラデツ観光はここで終わりにすることにした。二つ目のコースのうちラベ側とオルリツェ川の合流するところに設置された公園ははしょってしまった。帰りの電車の中で小冊子を確認したら、散歩のコースは4つだけでなく、歴史的な建物に入った学校を巡るコース、塔を巡るコースなどいくつも設定されていて、フラデツを訪れた人がいろいろな形で楽しめるように工夫されている。
 もう一つ感心したのは、街中にいくつも公衆トイレが設置されていることだ。夏場の街歩きでは水分補給をおろそかにはできないから、トイレをもとめてあちこちするなんてこともある。チェコ人ならその辺のレストランに入って、お金を払ってトイレを借りるなんてこともできるけど、外国人の観光客には難しい。ついでに食事したりコーヒーを飲んだりするという手もあるけど、トイレに行きたくなるたびにコーヒーを飲むというのもなんだかなあ。

 きれいな街だということは知っていたし、期待もしていたのだけど、実際のフラデツはその上を行った。これまで訪れたチェコの町の中で一番気に入ったかもしれない。もちろんわがオロモウツは別格として番外にしての話だけど。なんだかんだで四時間ぐらい歩き回っただけでは足りず、是非にももう一度訪れたいと思った。その前にもう少しフラデツについて勉強しておこう。

 ところで、フラデツ・クラーロベーという地名は、チェコ語を勉強している人間にとっては謎である。フラデツはいいのだけど、後ろにある形容詞っぽい「クラーロベー」がわからない。国王のという意味の形容詞は、普通はクラーロフスキーが名詞の前で使われる。他に考えられるとすれば、大統領の奥さんがプレジデントバーと呼ばれるから、国王の奥さんでクラーロバー、それを二格で後からかけたか。ただ王妃にはクラーロブナという言葉が存在する。
 二語からなる地名は、普通は両方とも書く変化させる。それなのにフラデツだけ格変化させてクラーロベーは変わらないのも不思議である。うちのの話では、普通のチェコ語ではありえない形なので、方言かなんかじゃないかというのだけど、どうなのかな。

 とまれかくまれ初めてのフラデツ行きは、帰りの電車で座れなかったのを除けば、大満足だった。何で、バラシュスキー・エクスプレスがスロバキアのジリナまで行くんだよ。そんでスロバキア鉄道の車両が使われているのも、クーラーが利き過ぎで寒いという意味で大変だった。翌日をどこにも行かない休息の日にしたのも風邪ぎみっぽく感じたからである。天気予報が雨だったというのもあるか。結局降らなかったけどさ。
2019年7月27日24時。










この記事へのコメント
いつも楽しく読ませてもらっています。私も2年前にフラデツへの日帰り旅行をしたのですが、フラデツ・クラ−ロヴェーという町の名前については深く考えたことがありませんでした。チャチャっとグーグル検索してみると、語源についてこんな説明がありました。https://cs.wiktionary.org/wiki/Hradec_Kr%C3%A1lov%C3%A9 古チェコ語でのフラデツの意味が「小規模な城」または「第二の城」という意味だったこと、そして1373年に「王妃たちの」という意味の形容詞2格が加えられたが、本当なら複数形(Kr&#225;lov&#253;ch)であるべきが、間違えて単数形kr&#225;lov&#233;で加えられたと。この解釈でいいのかどうか不安ですが。しかしこの説が正確だとしたら、なぜ間違えたのかも不思議ですけど、その後間違いをだれも気にしなかったことも、間違えたまま地名として維持されたことも、まさに「チェコありあり」だなあと思います。バックナンバーに、「景観保護地区に、なぜこれが?と思うような建造物があるのは、チェコだからしょうがないのである」と書かれてあるのを読ませていただき、なんだ、そうなのかと単純に納得させていただき、スッキリしました。今回コメントさせていただいた地名の語源についても、同じように気持ちの整理がつきました。次の記事を楽しみにしています!プラハ在住 Mickie
Posted by ストラカ弥紀 at 2019年07月29日 23:03
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