アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

posted by fanblog

2019年07月28日

シュムニー・フラデツ2(七月廿六日)



 オロモウツもそうだが、古い町の中心部の暦的な建造物が建ち並ぶ地区は「パマートコバー・レゼルバツェ」というものに指定されている。日本語にすると景観保護地区とか町並保護地区とか、そんな感じのものになるだろう。そのエリアの内側は新しく建物を建てるのも、既存の建物を改修するのも厳しく規制されているはずである。そのわりには、何でこんな建物が建っているんだとか、この改修は駄目だろうと言いたくなるようなことも多いのだが、それはチェコだから仕方がないのである。
 フラデツの街は、この「建造物保護地区」が二重になっているという点で、他の街とは異なっている。内側は、丘の上に建設された大広場を中心とする旧市街が指定され、外側の保護地区は、旧市街の下を流れるラべ川から駅に方に向かっては、ゴチャールの都市計画に基づいて建設された新市街とでも言うべき地区と、それ以外の方角では19世紀の後半に廃止されるまで旧市街を守るために、その外側を囲んでいた要塞都市の防御施設の残っている部分である。

 第一のお散歩コース歴史的フラデツは内側の保護地区内を回るもので、全長約2.5キロ、13のポイントが設定されている。最初のポイントは市庁舎になっているのだが、説明はその斜め後ろにある白い塔についてだった。この塔には砂岩が建材として使われており、漆喰が塗られているわけでもないのに外壁が白く見えることから、白い塔と呼ばれているらしい。旧市街のシンボルとなっていることから、フラデツでは白を強調した街づくりをしているのだと見た。
 塔の入り口はガラス張りの現代的な建築になっており、降りてくるところは昔ながらの石造りの螺旋階段が見えたけど、中に入るのを躊躇してしまった。文化財としての建築物保護の観点から、こんな改修というよりは、改造は許されるのかね。塔の高さは40メートルだったかな。結局上らなかったのは前日、前々日であわせて三本の塔に登ったからまあいいやというのもあった。登ったらこの後の街歩きに響きそうなぐらい足が疲れてもいたし。
 驚いたのは塔の奥、何とか聖堂の、恐らくもともとは教会関係の建物だったと思われるところに、フラデツの大学の学長の部署が置かれていたことだ。大学の学部の建物は周囲に見当たらなかったから、大学を代表する部署だけでも町の中心におこうということなのだろうか。ちなみにこの教会のある広場は、ポーランド出身のローマ法王ヨハネ・パウロ二世の名前がつけられている。

 そこから一度、旧市街の外辺、かつては要塞を囲む水堀があったと思われるところに、降りていく。途中で気になる大きな建物があったので中庭に入ったら、フラデツ地方の役所として最近建てられたものだった。のっぺらぼうの直方体の建物の左右の両端に塔みたいに高くなった部分があり、その上に塔の鋭い屋根を模したと思われるものが突き出しているて、似非ザーメク様式と言いたくなる。建築の賞を取ったみたいで専門家の評価は高かったようだが、正直、フラデツで一番失望を感じさせられた建物だった。
 かつてのビール醸造所のエリアに建てられたもので、旧市街の外側から見ると醸造所の外側の建物の外壁は保存されていて、ビールの王ガンブリヌスの肖像が描かれていた。近くのスタジアムで空手の世界大会が行われていて、このあたりジャージ姿の外国人をたくさん見かけた。中国人と思しき観光客の姿が多かったのは、最近どこでもなので空手とは関係ないかな。日本の選手が大会に出ていたかどうかはわからない。

 コメンスキー通りを進んで、旧市街の丘の上に戻るための長いトンネルの中の階段を登ろうと思ったら、改修中だった。仕方なく地方の役所に登るための新しい階段で大広場に戻る。大広場の建物はどれもこれもきれいに改修されていて見ていて飽きないのだが、駐車場になっているため、車の出入りが多く、建物をのんびり見上げながら歩くというわけにもいかない。6番目のポイントとして、歴史的な建物のならびに調和している近代建築を発見。

 これもまたシュムナー・ガレリエ(美術館)だった。展示されている美術品には興味はないのだが、内装は見てみたいので、散歩の間の一休みとして中に入った。入り口の手押し式の回転扉からして感動ものである。特徴的な壁や天井の装飾は二階から三階に上がる階段までだったが、建物の真ん中が吹き抜けになっていたり、最上階ではベランダに出られたり一番上まで登るだけのかいはあった。芸術作品は斜め見しかしていないのだが、画家のクビスタの名前が気になった。キュビズムの人と理解できるこの名前、本名なのだろうか。

 大広場があれば、小広場がある道理で、大広場の一番奥、細くなっているところの先に、小さな広場がある。さらに進んでかつて旧市街に入るための門があったという坂を下る。そこから昔の堀の跡地の公園を歩くとポスピーシルという人物の銅像が建っていた。この人が、1866年のケーニッヒ・グレーツの戦いの後、フラデツの市壁の破壊を主導し、町の拡大に寄与したらしい。

 この調子で書いているときりがないのではしょるが、美術館での予定外の時間も含めて2時間ちょっと。上り下りしなければならない場所も多く、三日連続で酷使した足は悲鳴を上げ始めていた。ということで次は共和国のサロンを巡るコースである。
2019年7月26日23時。










この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9010269

この記事へのトラックバック
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。