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2019年07月27日

シュムニー・フラデツ1(七月廿五日)



 このパルドゥビツェと並ぶ東ボヘミアの(チェコレベルでの)大都市にこれまで足を向けたことがないのは、フラデツ・クラーロベーがプラハとオロモウツを結ぶ鉄道の幹線から外れたところにあって行きにくい場所だからというのが一番大きい。パルドゥビツェも旧市街に入ったことはないが、それは途中下車したときに駅から2Kmも歩く気になれなかったからだ。
 以前よりずっと鉄道の便もよくなったし、今回はついでに寄るのではなく、フラデツに行って帰るだけで一日という贅沢な時間の使い方をするつもりである。通いなれたオロモウツ−パルドゥビツェ間は、外の景色を見るまでもないから、旅行記もどきを書くのに使える。それにしても自宅で書くよりも電車の中のほうが筆が進むというのはどういうことなのだろう。

 オロモウツを8時半にでて、予定より遅れて11時ごろに到着したフラデツ・クラーロベーの第一印象は白いだった。駅前のトロリーバスの乗り場になっている広場の敷石と駅の向かいの現代的なビルの壁が白くまぶしかった。これは意図的になされているようで、去年ぐらいにニュースで完成が報じられていたトロリーバスを走らせるためのロータリーに建てられている電線を保持するための柱もすべて真っ白だったし、城下庭園の歩道も白い砂が敷かれていた。
 駅前の道をまっすぐ進んでも、カレル4世通りを経て旧市街にたどり着くのだが、ここはあえて右に曲がる。見事だけど金もものすごくかかったらしいトロリーバスのロータリーを経てゴチャール大通りに入る。ゴチャールというのは、チェコの近代建築において名前を覚えておいたほうがいい3人の一人で、第一共和国の時代にフラデツの都市計画を立て、いくつもの建築物を設計してその実現にも貢献した建築家である。

 ゴチャールの名前は知らなくても、プラハの旧市街にある黒い聖母の家という建物は知っている人もいるだろう。あれを設計した、つまりはチェコでしかなしえなかったキュビズムの建築への導入を実現したのがゴチャールなのである。もちろん作風は時代によって変わっているので、フラデツがキュビズム建築の街になったわけではない。ちなみに覚えておいたほうがいい残りの二人は、ウィーンのオト・ワーグネルと、その弟子でゴチャールの師匠に当たるヤン・コチェラである。ワーグネルの場合には本人の作品ではなく、弟子たちの作品がチェコ中に残っているのだけど。
 ゴチャール大通りはオロモウツの駅前と旧市街を結マサリク大通りに似た印象で、19世紀末から大戦間期に建てられたと思しき建物が建ち並んでいる。オロモウツだと建物の正面の一番上の部分に建築年が記されていることが多いのだけど、フラデツでは残念ながら見かけなかった。ゴチャール大通りを進むにつれて、正面にオロモウツよりも高い丘の上にある旧市街の建物が見えてくる。旧市街の下を流れる川にかかった橋のたもとに小さな円形の、かつては橋守がつめていたのではないかとも思われる建物があるのだが、そのうちの一つは下着かなんかの店になっていた。

 途中でいくつか建築物の説明が書かれたプレートが設置されているのを見つけて、観光客向けにお勧めの散歩コースがいくつか設定されていることがわかったので、ここでもまず情報収集のためにインフォメーションセンターに向かう。えっちらおっちら坂を登ってたどり着いた大広場(ベルケー・ナームニェスティー)の一角の案内所でお散歩コースが記された地図と小冊子をもらう。
 コースは全部で四つあって、一つ目は旧市街の歴史的建造物を巡るコース、二つ目はその外側の共和国のサロン、日本的に言うと奥座敷だろうか、と呼ばれる所以となった近代建築を巡るもの。三つ目はオロモウツと同様要塞都市であったフラデツの要塞の名残をめぐるもので、最後が現代建築、おそらく戦後の建築物をめぐるもの。
 この四つのうち、最初の二つを回るのはすぐに決めた。フラデツに来る前に一番楽しみにしていたのは「シュムナー・ムニェスタ」で見た近代建築の数々だが、近代の街を抜けて旧市街のを見上げたときの感動も大きく、この二つを見ないというのは考えられることではなかった。最後の現代建築に関してはあまり興味がなく、要塞の名残に関しては、オロモウツもそうだし感心がないわけではないのだが、二つ回った後の疲れ次第ということにする。時間には余裕があるが、体力にはあまり余裕がない。
 お散歩コースの説明のプレートは特別に設置された台座の上に見やすいように斜めに付けられているのだが、先に難点を挙げてしまうと、一つのプレートに複数の建物の説明があったりして、どの建物の説明なのかがよくわからないことが多く、混乱させられた。プレートを読む向きとは反対側の建物や、その位置からは見えない建物の説明があったりもして、個々の建物にプレートをはめ込んでくれたほうがわかりやすかった。

 ところで、インフォメーションセンターでは、「共和国のサロン」と表紙に書かれた冊子の英語版とドイツ語版が置かれていたので、フラデツの近代建築についての冊子だろうと、これのチェコ語版ないのと聞いて、もらって帰ってきた。寝る前に開いてみたら、予想に反して、どちらかというとフラデツ市民のための情報紙みたいなもので、近代建築についての解説は最初の1ページだけで、後はイベントの情報が大半。英語版やドイツ語版だけでなく、簡略化されたものに見えたポーランド語版もあったから、観光客向けだと思ったのだが……。
2019年7月25日23時。






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