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2019年08月10日

ザーブジェフ・ナ・モラビェ(八月八日)



 ウヘルスキー・ブロトでコメンスキーの故地をおとずれた後、次はジェロティーン家関係にしようということで、シュンペルクとも関係の深いザーブジェフに足を向けた。あまり大きくないとはいえ、旧市街には景観保護地区もあるようだし、何よりもオロモウツから行きやすいというのがいい。これまでは、通過するばかりで、乗り換えのために駅に降りたこともないと思う。

 ところで、このザーブジェフという地名なのだが、本来「h」で終わる硬変化タイプの男性名詞である。しかし、方言なのか、古い形が生き残っているのか、一般の男性名詞不活動体硬変化とは微妙に違った格変化をするらしい。2格が語尾「a」をとって「Zábřeha」になるのは、プロスチェヨフやプシェロフもそうだし、地名でなくても教会を意味する「kostel」も同様なので、特に気にはならないのだが、6格が普通に想定される「Zábřehu」ではなく、「Zábřeze」になるというのにはちょっと戸惑いを感じる。
 プラハの6格が「Praze」になるのと同じ子音交代が起こっただけと言えばその通りではあるが、プラハは女性名詞の硬変化である。それに絶対のルールではないとはいえ、3格と6格が同じになることが多いという男性名詞に限らない名詞の格変化における傾向に反しているのも、何だか落ち着かない。外国人が落ち着かないとか、気に入らないとか言ってもしかたがないのだが、ザーブジェフの町の中でさえ、「v Zábřeze」に混じって、「v Zábřehu」という表記も見かけたから、チェコ人の中にもこの特殊な格変化を受け入れられない人もいるということだろう。日本語も含めて、言葉の複雑さが嫌われて安きに流れる傾向の強い現代だからこそ、こういう特殊性は維持し続けてほしいと思うのだけど、難しそうである。

 さて、ザーブジェフで一番最初に感心したのは、駅のトイレである。特別に清掃が行き届いていてきれいだったとか、サービスがよかったとか言うのではなくて、サービスがよかったと言えなくのないのだけど、何と領収証みたいなものをくれたのである。お金を払ってトイレに入ろうとしたら、呼び止められて、手渡されたのが料金7コルナと管理している会社の名前などが印刷された小さな紙片だった。領収書なんて受け取らなかったり、その場でゴミ箱に放り込んだりすることが多いのだが、思わず受け取ってオロモウツまで持って帰ってしまった。そして未だに捨てられていない。
 これまで、あちこちで駅や街中の有料のトイレを利用してきたが、こんなのをもらったのは初めてのことである。料金の7コルナというのも珍しいか。普通は一枚の硬貨で済むように5コルナか10コルナに料金を設定しているところが多い。8コルナというのも時々見かける。以前は大と小で料金が違うところもあったが最近はどこも統一されているようである。

 駅前には、言葉を飾ると恰幅のいい、ちょっと太目のおっさんが片手を挙げている像が建っている。最初に見たときには誰なのかわからなかったが、ザーブジェフ出身の探検家、もしくは旅行家のヤン・ウェルツル(ベルツルのほうが発音が近いかも)の像らしい。この人、特に北アメリカの北極圏のイヌイットの住んでいる地域での活動で知られ、どこかで酋長に選ばれたのかな、それで、ヤン・エスキモー・ウェルツルとも呼ばれていたようだ。
 このウェウルツは、チェコの生んだ万能の人、天才ヤーラ・ツィムルマンと同時代の人で、実際に19世紀の終わりにザーブジェフで会ったことがあるという。場所は現在では町の役所になっているザーブジェフの城館の中庭で、その会見から125年を記念して、2018年に記念碑が設置されている。向かい合う形で立った二人の足跡の形、正確には履いていた靴の跡をかたどったもので、大小二組の足跡のうち、どちらがどちらのものなのかは説明にも書かれていなかった(と思う)。

 もちろん、ツィムルマンは創作上の人物だから、ウェルツルと会うなんてことができたわけはないのだけど、ツィムルマン作の(という設定になっている)演劇「北極」でチェコ人のグループが北極探検に出かけたり、ツィムルマン作の演劇を映画化した「ロスプシュテニー・ビプシュテニー」で、チェコが舞台であるにもかかわらず「エスキモー」が登場するのは、前提としてウェルツルのようなチェコ人冒険家の存在があるのだろう。
 また、ザーブジェフにツィムルマン関係の「記念碑」が置かれているのは、熱心なファンのグループが存在するということなのだろう。役所の入っている建物の中庭に置かれているということは、町の要職についていた人が主導したということもありえそうである。このような冗談を真面目に具体化してしまうのもチェコ人の特性のひとつと言ってもいいのかもしれない。

 ウェルツルについては、町の小さな博物館でも、かなりのスペースを割いて展示が行われていた。駅から町に向かう途中の飲み屋の壁にもウェルツルの名前が大きく書かれていたが、これはビールの名前だった。博物館の人の話では、今ではザーブジェフの一部となっているクルンパフという村で生産されているという。そんなに遠くないよとは言われたけど、ビールの醸造所しかないようなところまで何キロも歩く気には慣れなかった。
 毎年ウェルツルに関するイベントが行われていたり、旅行者ウェルツルにちなんで、旅行用のトランクを持った人を広場に集めて、その数でチェコ記録を樹立したりと、名字からもドイツ系だったのではないかと思われるのだが、郷土の偉人として愛されているようだ。

 ところで、表題にした「ザーブジェフ・ナ・モラビェ」というのは、鉄道の駅の名前で町の名前としては、単なるザーブジェフというのが正しいらしい。でも、今回の話は、駅のトイレと駅前のエスキモー・ウェルツルの像が中心だからこれでいいはずである。
2019年8月8日21時30分。











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