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2019年08月06日

シュムナー・トシェボバー・チェスカー(八月四日)



 ボヘミアとモラビアの境界付近の山間部に、トシェボバーという町が二つ存在する。現在ではどちらもパルドビツェ地方に属しているが、ボヘミア側のチェスカー・トシェボバーとモラビア側のモラフスカー・トシェボバーである。鉄道交通の要衝であるチェスカー・トシェボバーへはオロモウツから急行、特急で一時間以内に到着するが、モラフスカーにはそこからさらにローカル線に乗り換えて、30分ほど揺られる必要がある。モラフスカーは物理的に行きにくいところにあるが、チェスカーも通過するだけ場所、乗り換えするだけの場所になっていて、街を見たことはなかった。
 それで、「シュムナー・ムニェスタ」と同様に、両方のトシェボバーをまとめて、一日で観光することを思いついた。思いついたのだけど実行はしなかった。それは、ポリチカからの帰りに、チェスカー・トシェボバーでの接続が悪く、チェコ鉄道のオロモウツに向かう電車まで、待ち時間がかなりあったので、街に出て見ることにしたのだ。旧市街はそれほど大きくなく、一回りするのにそれほど時間はかからなかったし、これが「シュムナー・ムニェスタ」に出てきたという建物も思い出せなかったのだが、一つものすごく気になるものがあった。

 それは、チェスカー・トシェボバーの町の紋章で、赤地になぜか人間の頭のついた黒いニワトリがあしらわれているのである。その人間の頭が、ちょっとアラブっぽく見えなくもないので、領主が十字軍で活躍したなんて話があるのかとも思ったのだが、自分で考えていても答えが出るわけがないので、博物館に入っているインフォメーションセンターで尋ねてみた。
 受付の人に聞いたら、紋章に関する伝説があって、その伝説について解説した子供向けの小冊子があるんだけどと勧められた。ポリチカで購入したようなものだったら迷わず買ったのだけど、伝説を解説する絵本であると同時に塗り絵でもあったので、すぐに買おうとは決めかねた。どうしようと、うなっていたら、もう一人の人が出てきて、以下のような伝説を見事に語ってくれた。

 昔々、チェスカー・トシェボバーの街には街の印章を管理している書記官がいた。当時の書記官は印章を預かるに際して自らの首を担保にしていた。それは、印章を失った場合には首を失う、つまり死刑に処されるということだった。
 あるとき、書記官は印章をなくしてしまい、どこを探しても見つけることができなかった。街としては決まりの通りに書記官を死刑にするしかなく、書記官を収監し処刑の期日を決めた。書記官の妻は、それでもあきらめきれずに、印章を探し続けていた。

 処刑の日がやってきて、会場には処刑を娯楽として見物しようと街の人々が続々と集まってくる。自宅で印章を探していた書記官の妻は、庭のゴミ捨て場でニワトリが何かを掘り出そうとしているのに気付いた。ニワトリの足元を掘ってみるとなくした印章が出てきた。
 妻は印象を持って処刑場に駆けつけ、ぎりぎりで夫の命を救うことができた。ニワトリのおかげで書記官の首がつながったことから、人間の頭、書記官を象徴する帽子をかぶった人間の頭をつけたニワトリが街の紋章になったのだという。

 博物館の人の話では、この紋章は、すでに16世紀にはチェスカー・トシェボバーの紋章として使われていた証拠が残っているという。そんなことを「シュムナー・ムニェスタ」でも言っていたかなあなどと感心していたら、さすがチェコ、話はこれで終わらず、更なるオチがついた。
 去年だったかに、チェコ出身でアメリカで活動している音楽家がチェスカー・トシェボバーに来たときに、この話を聞かせたら、それは違うといわれたらしい。音楽家によると、実際は書記官の妻が印章を発見したことを知らせたのは処刑の翌日で、その後若い愛人と一緒になったはずだという。さらには、印章はなくなったのではなくて、夫を何とかしたかった妻が隠した可能性もあるなんてことも言っていたらしい。

 ちょっといい話だったのが、なんとも救いのない話になってしまった。冗談だったのか、本気だったのかはともかく、チェコらしい、チェコ人らしいというか何と言うかである。街のあちこちで見かける奇妙な街の紋章を見るだけでも、何かのついでにチェスカー・トシェボバーに立ち寄るかいはあると言っておこう。
2019年8月4日23時20分。











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