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2019年08月05日

シュムナー・ポリチカ2(八月三日)



承前
 ガイドさんは、モデルの町が四方を水濠に囲まれているのを指摘して、現在は南側しか残っておらず、その濠の外側には、いくつか近代建築の作品が残っていると付け加えた。そうしたらチェコ人の男性が、「この辺にある病院だね」と指差して場所を示す。ガイドが「病院はこっち」と別の場所を示して「そこにあるのは実は学校なんです」という。男性があれーっというように首をひねると、笑いながら「その学校を遠くから見て病院だと誤解する人が多いのは認めなければならないんですけど」と説明を加えた。
 博物館でポリチカの近代建築物についての小冊子が買えるというので、見学が終わったら博物館に戻ることにする。何でもロンドクビズム、つまりはチェコ風アールデコの建築物もあるというから、遠目からでも見ておく必要もある。実際に見たら黄色と赤のちょっとユルコビッチを思い起こさせる色合いの建物で、町の所有する賃貸住宅ということなのだけど、住みたいかといわれると躊躇してしまいそうである。
 市庁舎を出ると、広場にある聖母マリアの碑の説明があった。オロモウツもそうだが、この手のマリアの碑は、ペストの流行が終了したことを祝い、聖母マリアに感謝するために建てられたもので、ペストの碑とも呼ばれるのだが、ポリチカのものは、流行が終結したことではなく、ポリチカでペストの流行が発生しなかったことを感謝して建てられたものだという。

 その後、細い通りを抜けて聖ヤクプ教会である。改修工事中で中には入れなかったのだが、みんなで大火事のあとネオゴシック様式で再建された教会の塔を見上げる。塔の上、鐘の下にマルティヌーの生家があるのである。再び大火事で街が壊滅的な被害を受けるのを防ぐために、再建された塔を、日本の江戸時代の火の見やぐらのようなものとして、監視役を常駐させることにしたらしい。そのやり方は、交替で務めるというのではなく、塔の上に人が住めるような部屋を作って、担当者を住まわせるというものだった。
 その仕事を得たのがマルティヌーの父親で、マルティヌーは塔の上の部屋で生まれ、幼年期を過ごしたのだ。子どものころは世界から切り離されていたなんて言い方をしていたから、滅多に塔から降りてくることはなかったようだ。その後、教会のすぐ近くにあった音楽学校に通うようになってからは、毎日192段もの階段を上り下りしていたという。
 このとき、気になったのがガイドさんがマルティヌーのことを「ナーシュ・ボホウシュ」と言っていたことで、「ナーシュ」については、郷土の偉人を「我らが」と言っているわけで理解できるけど、「ボホウシュ」と呼ぶには驚きを隠せなかった。ボフスラフの愛称が「ボホウシュ」だと言われれば、それはその通りなのだけど、「ボホウシュ」という名前を聞くと、どうしてもクリスマスの時期に放送される「ボホウシュ」というセントバーナード犬が、俳優メンシークと大食い意競争をするという白黒のテレビ番組を思い出してしまう。誇らしげに「ナーシュ・ボホウシュ」というガイドさんにそんなことは言えなかったけど。

 最後にお待ちかねの城壁に登るのだが、入り口は普通の家の玄関だった。城壁沿いの民家の庭に見張りの塔に登るための階段が設置されているのだ。これは後から設置された金属製のもので、本来ははしごをかけて登っていたのだという。この城壁の内側に、場合によっては外側にも、へばりつくように一般の人の家や庭があるのが、城壁に自由に登れないようになっている理由らしい。プライバシーもくそもあったもんじゃなくなるしね。そうなるとこのガイドつきの見学の将来が心配になる。階段のある家も博物館のものではなく、最近一般の人が買い取って改修工事を始めたと言っていたし。
 旧市街を囲む城壁の全長は1200メートルほどで高さは10メートル。19の見張りの塔が置かれ、門のあった四箇所で途切れている。ガイドさんの話では、改修はされたものの、完全にもとの姿を復元したものではないらしい。見張りの塔の中にも、比較的元の姿に忠実に改修されたもののあれば、とりあえずコンクリートで固めちまえ的ないい加減な改修が行われものもあった。実際に入ることができた三つの見張りの塔のうち二つは比較的ましで、三つ目はガイドさん曰く失敗作だった。

 不思議なのは、見張りの塔が完全な円形ではなく、城壁の内側のラインで断ち切られた半円形に近い形をしていたことだ。最初に見たときには外側からの見た目だけを考えて改修したのかと思ったのだが、実際は最初からこんな形だったらしい。考えてみれば外側に半円形で突き出しているのは、見張りや敵に矢を射かけるのに役に立つけれども、内側に突き出した部分があっても何の役にも立たなさそうだ。
 街の反対側の最初に見かけた見張りの塔とその周囲の城壁には行かなかったけれども、ガイドさんの話では、内側と外側の民家の様子を除けば、建築物自体には特に大きな違いはないという。恐らく本来の見学コースは、市庁舎から教会の塔の上の「ナーシュ・ボホウシュ」の家を見て、城壁に向かうというものなのだろう。となると、小さいとはいえ街の反対側までいっている時間はない。

 見学を終えて博物館でポリチカの近代建築に関する冊子を購入した後、城壁の外側に出た。街の南の池の向こうの丘の上に、賃貸住宅、小学校、教会と並んでいるのはなかなか壮観だった。ポリチカの近代建築をリードしたのはシュミートという建築家で、名前は確かボフスラフ。この人も、また「ナーシュ・ボホウシュ」なのだろうか。
2019年8月3日24時45分。












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