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2019年07月21日

ブジェツラフA(七月十九日)



 国境の町ブジェツラフの駅は、鉄道交通の要衝で、ランジュホトを経て東のスロバキアのブラスラバに向かう路線、オーストリアとの国境を越えてウィーンに向かう路線の二つの国際線に加えて、国内では北東に向かってプシェロフに向かう線、北西のブルノ行きの線、西にディエ川沿いを走ってズノイモのほうに向かう線、世界遺産のレドニツェ行きとあわせて六本の路線が集結している。貨物の輸送にも使われるため、ブジェツラフの駅は街の規模からすると驚くほどに大きい。
 しかし、駅舎は、駅の規模からするとありえないぐらいに小さく、そしてぼろい。というのが最初にブジェツラフの駅に降りたときの感想で、かれこれ十五年ほど前のことになるだろうか。その後何度かウィーンに行く破目になったときなどに、乗り換えに使い、そのたびにあれこれ改修工事をしていたのだが、今回はまた駅舎が改修中だった。

 駅舎に入ると、切符売り場のあるホールは意外に小さく、チェコ、いやモラビアレベルでは、旅行客がひしめいているといいたくなる状況だった。聞こえてくるのがチェコ語ではなく英語だったのは、外国からの観光客たちが国境の駅で情報収集をしていたのだろうか。しかし、ブジェツラフで聞こえてくる外国語で一番多かったのが、英語ではなく、すぐ近くのオーストリアのドイツ語であることは強調しておかなければならない。ただしスロバキア語に関しては外国語の範疇から外してある。とっさには区別つかんし。
 駅前の公園を含む空間は相変わらずきれいに維持されており、日差しを避けて思わず公園の中に入ってしまった。チェエコらしくないきっちり四角形の木造の建築物が、木々の陰に隠されるように建っていて、何だろうと思ったら、自転車の博物館だった。いろいろなタイプの自転車が展示されているらしいのだが、実際に入っていないからどんな自転車があるのかは知らない。ブジェツラフは自転車の街として売り出そうとしているのか、ここ以外にも自転車関係の施設をいくつか見かけることになる。

 公園を出た先は、いかにも共産党政権下で建てられたと思しき建物が並んでいて、以前はここで足を止めたのだが、先に進む。モラバ川沿いに「シュムナー・ムニェスタ」で見た給水塔が建っているはずだし、川を越えた先には、ピボバル付きの城館があるはずだ。ということで、コンクリート造りの建物を横目に足を進めた。
 給水塔は川沿いではなく少し離れたところにあった。上に登ったり中に入ったりすることができるわけではなく、テレビで見たあれだという以上には感慨は沸かない。確か、第一共和国に時代に建てられたものが今でも利用されているということで、近代の建築物として紹介されていたのだが、見ただけで建築年季がわかるような目は持ち合わせていない。ただ、これがあれかというのは、建築探偵の似非弟子にとっては十分な楽しみになる。

 モラバ川を渡る橋の手前左側には、マサリク大統領の像が立っていて、更に進むと道が二つに分かれている場所に出る。その二つの道の間に教会がそびえているのだが、教会の塔ではなく教会の建物そのものが聳え立つ印象を与えるという、ちょっと毛色の変わった様式で建てられた教会である。現代建築の教会に見えない教会とは違って、ちゃんと教会には見える。教会の屋根の真ん中の一番高い部分が上に引き伸ばされた感じで高く鋭く伸びている。その先のほうが二つに割れていて、間に鐘が二つ上下に並んで付けられている。屋根の左右の部分も引き上げられて水平の線を作り鳥が翼を広げたように見えなくもない。教会の様子は教会を管理している教区のHPに上がっている。

 教会を越えて、交通量の多そうな道を渡って、ピボバルの表示にしたがって進むと、スーパーが三つも隣接していた。ビラ、リードル、ペニ・マーケットって、よりやすいものを求めてはしごする人にはありがたい並びなのだろう。ビラとペニの間の道を左折すると、城館のあるエリアが見えてきた。正直この時点で、失望を禁じえなかった。隣接する場所にスーパーを三つも建設させたということは、文化財としてそれほど重要視されてこなかったということだろう。
 しかも、見えてきた城館と思しき建物は、城館というよりは廃墟と言ったほうがいいたたずまいで、何よりもひどかったのは、壁の白い部分が、漆喰ではなく白ペンキを塗ったくったものにしか見えないという事実だった。ほぼ崩壊済みの門をくぐって中庭に入っても、廃墟の印象は変わらなかった。塔には登れるようなことが書かれていたが、とりあえず後回しにしてピボバルを探す。城館のエリアを出た先に、レストランとピボバルがあったのだけど、平日は営業時間が午後一時からだった。朝しっかり食べたおかげでお腹はまったく減っていなかったが、期待していただけに残念だった。

 気を取り直して、塔に登る。こちらはまったく期待していなかったのだが、登る途中に貼ってあったパネルであれこれ、個人的に貴重な情報を知ることができて満足である。簡単に言うと、この城館も含めたブジェツラフ領は、16世紀にジェロティーン家の手に入り、30年戦争などの宗教戦争の結果、17世紀にリヒテンシュテイン家の所領となったという事実である。このフス派の流れをくむジェロティーン家からカトリックのリヒテンシュテイン家という流れはモラビアのこのあたりではよくあった領主の交代劇である。
 塔の高さは32メートルで階段は180段ほどという話だった。最初のほうは本来の建物の医師の階段が残っていたが、途中からは最近設置された木の階段で、塔の一番上は壁も壊れていてバランスを崩したらそのまま下まで落ちていきそうで、高いところが苦手な人は避けたほうがよさそうだ。登っているときは平気だったけど、降りるときちょっと怖かった。
 塔の中の展示に、リヒテンシュテイン家がこの城館を人工の城跡としたとかいうようなことが書かれていたような気がしたので、塔の入り口のお兄ちゃんに、わざとこんな状態にしてあるのかと聞いたら、そうではなくて改修の計画があると言っていた。確かに、人工の城址というにもぼろぼろすぎる印象である。リヒテンシュテイン家は世界遺産のバルティツェかレドニツェかの近くにも、ヤン城という人工の城址を建築するという悪趣味ぶりを発揮しているから、火事で半壊した後の、ブジェツラフの城館を、城跡として整備していたとしても不思議ではない。

 リヒテンシュテイン家といえば、ブジェツラフのインフォメーションセンターが入っている建物が「リヒテンシュテインの家」という建物で、関係する展示も行われているようなのだけど、建物の入り口の上に掲げられている建物名の表示が、薬局か何かのネオンサインのような安っぽさで見物する気を殺いでくれた。開所式には当代の侯爵が来たという話なんだから、もう少し何とかしろよと思ってしまう。
 もう一つ、ブジェツラフで残念だったのは、中心となる通りに、パネルがたくさん立っていて観光地の案内をしているのだが、そのほとんどが、レドニツェとバルティツェの案内だったことだ。ブジェツラフの案内がないというのは、世界遺産への入り口の町ということで売り出そうとしているからだろうか。確かに自転車で二つの城館を回る出発点としてはブジェツラフが一番いいのはその通りである。

 駅に戻る途中で、二軒のミニピボバル(一つはフランキーとかいう名前だったかな)を発見して、ちょっと気を引かれたけど、お腹も空いていなかったし、まだ午前中だったしで、あきらめた。駅に着いたらホドニーンに向かう普通列車がもうすぐ出るところだったので乗り込むことにした。一番ホームだから駅舎のすぐ前のホームだと思ったら、一番ホームは三つの部分に分かれて縦に並んでいて、それぞれが普通の駅のホームと同じ以上の長さがあって、真ん中のbだったらすぐそこだったのに、うんざりするほど歩かされてしまった。
 この時点で、リュックにしなかったことを後悔していた。ノートPCのような重いものを入れてあちこち歩き回るには、肩掛けのバッグはまったく向いていなかった。ちょっと考えればわかることなんだけど、計画の時点ではそんなに歩き回るつもりはなかったんだよねえ。
 ということでホドニーンについてはまた次回。
2019年7月19日23時。


















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