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posted by fanblog

2019年07月22日

言われてみれば(七月廿一日)



 トリニティホテルに泊まられた方から追加のコメントをいただいた。確かにオロモウツの旧市街で、ここより交通の便のいいホテルは存在しない。駅から到着するのと、駅に向かうのと停留所が分かれていて、全部で三つ乗り場はあるけれども、ウ・ソウドゥの停留所からすぐ近くである。横断歩道を渡る必要はあっても、坂を登る必要はない。
 旧市街の一番外側だけど、建物はまだ古いものを改修して使った感じだし、ここを起点に旧市街を一周して、すぐそばのドラーパルでピルスナー、もう少し先のPLAN Bでベルナルト、いやモリツまで足を伸ばしてもたいした距離じゃない。交通の便だけでなくビールを探すのにもいいロケーションなのか。
 旧市街のほぼ真ん中にあるアリゴネは、タクシーを使うならともかく、共和国広場のトラム停から石畳の坂を登らなければならないし、交通の便という意味では一番の駅前のクラリオンホテルは、旧市街まで遠く建物も風情がない。昔からあるホテルフローラは、旧市街の外のビルだし、NHホテルはトラムでもバスでも行きにくい。そう考えると、トリニティホテルはオロモウツでも一番お勧めのホテルになりそうだ。

 宿泊費に関しては、ウィーンと比べるのは無理があるとしか言いようがない。チェコでホテルに泊まったのは、十年程前が最後のことだし、自分でお金を払ってとなると更にさかのぼる。田舎の町の、当時町では一番の古いホテルで、数百コルナというのが、高かったのか安かったのかすらよくわからない。オストラバのインペリアルホテルだったか、すごく高そうなホテルに泊まったことはあるけど、あれは仕事関係だったので、自分ではお金を払っていないし。
 プラハに出ても、以前は「プラハなんか遠いから行かない」だったのが、鉄道の高速化が済んでからは、「プラハ、日帰りできるね」になったから、宿泊することはない。二日がかりのイベントなんかは、初日だけ顔を出して、「二日連続オロモウツから出て来いなんて鬼みたいなこと言わないよね」と言って、二日目の参加を回避する。

 リンクのあった「地球の歩き方」の口コミ情報も、いくつか読ませてもらって、はっとしたのがあった。鉄道に関する情報で、ホームと乗り場の番号の不統一については、その通り。でも以前は確かホームも番号が前後していたから、多分設置された順番に番号を振ったのだとは思うけど、改修工事を経てホームだけでも納得の番号になったから改善はされたのだよ。
 オロモウツは1番ホームのAだけだが、長いホームが分割されて使われているところもあって、プラハの中央駅は北と南の二つに分けられているし、ブジェツラフは一番ホームが三つに分かれていた。プシェロフでは「フ・クセー・コレイ」というのを放送で聞いて、どこに乗り場があるのかわからなかったことがある。終着と始発用の乗り場で、プラットホームに食い込むような形で設置されていたのかな。プシェロフも大きな駅で改修で、かなり整理されて便利になったけど、以前は乗り場を探して右往左往させられることが多かった。こちらのチェコ語の問題もあるんだけどさ。

 もう一つの電車の車両の番号が三桁の数字になっているというのは、そういえばそうだったである。国際線などの特別な電車だけだよねと思って確認したら、そんなことはなかった。プラハとスロバーツコ地方のいくつかの町を結んでいる、スロバーツキー・エクスプレスは全部300番台の番号だったし、オロモウツ発、ブジェツラフ経由、ブルノ行きは、二桁の車両番号でわけがわからない。
 座席指定が必須の電車を除いては、指定席なんて取らないから、こんなことになっているとは思わなかった。ペンドリーノは七両編成で、素直に1号車から7号車だし、レギオジェットもレオエキスプレスも一桁のわかりやすい番号だったはずである。座席指定が必要な電車については間違えにくいように、乗客にわかりやすい番号を使って、それ以外はチェコ鉄道が管理しやすい番号を使用しているということか。利用客よりも自分たちの便宜を優先するという共産党時代の悪癖はまだ消えきってはいないのである。

 こんなことを書いて思うのは、自分がチェコでの生活に慣れてしまって、本来不思議だとか、変だと思うべきことでも、あまりに気にしなくなっているということだ。最初のころは気にしていたのだが、気にしているとやっていられないというのもあって、すべては「チェコだから」というのを魔法の言葉にして乗り切ってきた。バビシュ氏が首相なのも、ゼマン氏が大統領なのも、チェコだからしかたがないのだ。緑の党が壊滅状態なのも、海賊党が意外とまともなのも、チェコだからと考えると悪いことばかりではない。
 不思議の国チェコに慣れられずに苦労している人には、よきもあしきも「チェコだから」で受け流していくことをお勧めする。それが無駄なストレスを避ける秘訣である。チェコだから避けようのないのもあるんだけどさ。
2019年7月21日22時30分。









posted by olomoučan at 06:39| Comment(1) | TrackBack(0) | ブログ
この記事へのコメント
通りがかりの者に丁寧に対応いただいてありがとうございます。
ブログ主さんのような方は今の日本では珍しいかもしれません。
ウィーンからバンコクまで戻ってきました。途中降機。

オロモウツでは市庁舎と聖モジツ教会と改修中でしたので機会があればまた訪問したいと思います。

ホテル代はエクスペディアの予約でトリニティ1泊朝食付約8,700円でした。
今回の旅行ではウィーン以外の町では一番高かったけれど良い滞在でした。

ホルニー広場のモラヴィスカというレストラン。チキンスープを頼んだらいけそうな感じ。雨が降ってきたので追加で午後3時までのランチメニューのビーフサーロインのクリーム煮を食べました。柔らかくて美味しい。特製のパンがしっとりしてバサバサのドイツ風黒パンと違ってよかったです。
ピルスナーを頼んだら苦みが強くて、ここのは美味しくなかった。ふだんビールもワインも飲まないのでそういう人の感想と思ってください。

列車の号車表示はその通りで、以前ドイツでというのはドレスデンからプラハまで乗車したブダペスト行ECでした。プラットホームの女性駅員に尋ねたら怖い顔でヒンターと言われました。東の時代を垣間見た気がしました。チェコの編成だったのかもしれません。コンパートメントにプラハに演劇の勉強に行くという若いドイツ女性と二人でした。

列車の号車案内はポーランドもなくて、チェンストホーバでは7号車ってどちらの方かホームの乗客に教えてもらいました。

主さまも書いておられましたがブルノ本駅。
ブルノ本駅の窓口はふつうに開いているのに列車はみなブルノドルニ駅に発着するようで今はどうなっているのか。事情をご存知でしたらいつか取り上げてください。ここまでありがとうございました。重ねて御礼申し上げます。

Posted by ろっきい at 2019年07月24日 00:03
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