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2019年07月09日

十四番目の世界遺産(七月七日)



 十三番目は鉱山遺跡だったが、十四番目は馬である。いや馬ではなくて牧場、もしくは厩舎なのかな。とまれ世界遺産の対象となっているのは、馬が飼育されている建物ではなく、その建物での馬の飼育が歴史的に何世紀も続いていることであろう。馬自体も、特別な馬種の白馬、平安時代風に「あおうま」と呼びたいところだが、のようである。

 その厩舎のある場所はクラドルビ・ナド・ラベムで、クラドルビという地名はボヘミア各地に何箇所かあるため区別のために「ナド・ラベム」がついている。プラハからパルドビツェに向かう途中のラベ川の北岸にある村である。鉄道の最寄の駅としては、ジェチャニ・ナド・ラベムがあるが、3キロほど離れているので、数キロ東に離れたプシェロウチからバスで向かうことになりそうだ。
 以前からクラドルビの馬のことは知っていたが、こんな場所にあったとは今回調べてみるまで知らなかった。このあたりで足を踏み入れたことのある町は、トヨタの工場のあるコリーン、クトナー・ホラ、温泉地のポデブラディぐらいしかなく、パルドビツェも駅に降りただけだし、フラデツ・クラーロベーも言ってみたいと思いつつ放置したままである。今年の夏はチェコ語のサマースクールに行かないことにしたから、あちこち足を伸ばしてみるのも面白いかもしれない。

 話を戻そう。クラドルビの辺りで馬の飼育が始まったのは、遅くとも14世紀のことらしい。クラドルビは1491年に教会領からペルンシュテイン家のパルドビツェ領に移管された。1560年にパルドビツェ領はチェコの王位を手にしたハプスブルク家のものとなり、クラドルビに1563年に設立された牧は宮廷に属するものとなった。平安時代の官牧とか御牧のようなものだったと考えておこう。
 クラドルビでは、スペイン系とイタリアのナポリ系の交配の結果生まれた古クラドルビ種とよばれる馬のうち白馬を育てており、20世紀初頭までは各地の王家などのセレモニー用の馬として引っ張りだこだったらしい。その後、馬や馬車の使用が自動車に取って代わられ、また第一次世界大戦後には、チェコスロバキアの独立によって所有者であり支援者でもあったハプスブルク家との縁が切れたこともあってクラドルビの馬の飼育は存続の危機を迎える。

 ピルスナー・ウルクエルのコマーシャルによれば、当時第一次世界大戦で活躍して勲章をもらって帰ってきた無名の男(本当は有名なのかもしれないけど外国人にとっては無名)が、クラドルビの厩舎で馬が運送用の車の荷台に載せられているのを目にする。その後足を伸ばしたピルスナー・ウルクエルの飲める飲み屋で、看板に馬肉サラミと書かれているのを見る。この二つの事実から、クラドルビの馬が馬肉にするために売られたのではないかと考えた男は、勲章を売りに走り、なけなしの金をはたいて馬を買い戻す。飲み屋にいた人たtもお金を出したのだったかな。
 かくして、クラドルビの厩舎の馬は、肉にされることを免れ、クラドルビでの馬の飼育は継続されたのである。その後、馬を救った男が件の飲み屋に足を向けると、店主が慌てて看板に書いた馬肉サラミの文字を消す。確かこんな話だったと思うのだけど、これがどこまで当時の事実を反映しているのかは知らない。ただ、名もなき人たちの尽力でクラドルビでの馬の飼育が、現在まで続いてきたというのは間違いない。

 共産主義政権の時代にどんな扱いを受けていたのかは知らないが、ビロード革命後は採算の取れない国営企業として、しばしば廃止が議論されてきた。最後に話題になったのは、10年ちょっと前のことだと記憶するが、ピルスナーのコマーシャルが流されていたのも、存続を支援するためだったのではないかと考えている。当時どういう議論が政府や国会でなされたのかわからないままニュースは消え、気がついたら世界遺産になっていた。世界遺産登録を目指すというのが、存続のために選ばれた手段だったのかもしれない。
 ただ、関係者の話によると、本来このクラドルビの馬の登録に関しては、今年ではなく来年審議されることになっていたらしい。それが一年早く今年世界遺産に登録されてしまった。関係者も喜びながら不思議そうな顔をしていた。とまれ、これで、これまで何度か廃止の危機を乗り越えてきた牧と厩舎での馬の飼育が継続されていくことが決まった。管轄は、文化財の扱いになるだろうから、文化省か。大臣あれだし、ちょっと不安になってきた。
2019年7月8日12時30分。





くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト<第3版> [ 世界遺産検定事務局 ]









タグ:世界遺産
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