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2019年03月20日

少し改善

昨日は仕事関係の講演会に出かけた。帰りは仕事の知り合いと上野で痛飲。またまた“何でも鑑定団”を見逃してしまった。

一緒に飲んだ人が漢方薬に詳しい。ある著名な方にオリジナルで処方してもらっている。
何年か前に「紹介するよ」と言ってもらったが、手探りで身体を動かすリハビリを模索していたので断った。その人に漢方薬を日曜から飲んだら調子いいことを話した。
その人曰くは、漢方薬にはそんな即効性はないという。でもコムレケアはすぐ効くじゃないかと思ったが。その人は色んなことに見識深い人だ。コムレケア(芍薬甘草湯)といった即効性のある漢方もあれば、長期に渡って効いてくる種類もあるのだろう。

今朝までの僕の身体の状況・・
手の痺れ:2月の中頃から少し強かった痺れがそれ以前くらいの良い状態になった。
右脚:強い痺れが慢性化していたが、一皮分の痺れが取れた感覚、ただスジの痛みは変わらない。
足の甲の感覚が少しよくなった。・・ただ、昨年の調子良い時に戻ったくらいか。
肩:起きたらけっこうな疼痛が毎朝あったが、少し緩やかに。2月くらいから腕まで痺れていたが、それがマシになった。

考えたら、身体を動かす能力は受傷後どんどん改善はされている。ただ、痛み・痺れについては良くなったり悪くなったりの繰り返し。
2月くらいからは少し悪い方になっていたが、身体は動くのであまり気にしていなかった。
よく医者に言うことだ。「身体は使えてはいますが、症状は変わりません」

でも動けることが何よりだ。酔っぱらっていても人の多い地下鉄に乗って家に帰ることができる。
明日は休み。元居酒屋K達と飲む。実はちょっとしたトラブルがあって、会いたくはないのだが。
まあ、それはそれで。
posted by shigenon at 08:36| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月19日

プラセボ効果と効能の効果

ファイテンに行った時に4リットルのペットボトルを“ファイテン・ネックレスを巻いた時”と“巻かない時”で巻けば「軽く感じるでしょう」というのがあった。僕は微妙だったが。
決して効果を疑うわけではないが、誰かに「こうしたから良いでしょう」と言われると、そのように思ったり感じたりすることはある。

プラセボ効果という言葉がある。プラセボとは偽薬のこと。
医者に「この薬を飲めば大丈夫」といって渡されて飲んで症状が回復する例がある。
効果がなくても、自分の中で何らかの作用・・・安心感なのか?・・が働いて身体を治癒するのだろう。
それは脳が支配する領域よ思うが、違うのだろうか。
このプラセボ効果を知っていたので、僕の持つ疼痛や痺れは「痛くない・痺れていない」と思うようにしていった。実際は痛いし、痺れているのでここでは弱音を良く吐くが。

日曜に疎経活血湯にプラス何らかの生薬を配合した「心龍」という漢方薬を買った。昨日の夜で4回飲んだ。心龍はピップエレキバンが発売している漢方薬だ。
不思議だ、確実に身体に変化が起きた。それは月曜の昼から感じた。
まず、お尻の痛みが緩和。強い痺れの右脚はそれほどでもないが強さが少し弱まった。足の甲は感覚が殆どなかったのに、痺れているのが解る位になった。疎経活血湯は下半身に効くという。

それだけではなかった。いつも冷感があり、実際にいつも冷たい左手首。いつもはサポーターをしている。この手首が温かくなったのだ。風呂上り、昨日の寝る前に気づいた。これは初めて。
(ただ、今触れると冷たかったが)

西洋医学を否定して東洋医学バンザイみたいには思わない。西洋医学の手術のおかげで保存療法ができている。それ以上、どうしようもないので東洋医学にすがっているだけだが。
でも、漢方薬の効果というのはあるかもしれない。個人的感想だが。

半年くらい前か。ゴルフ中によくT君の足がつるようになった。運動不足だ。
前に居酒屋Yで漢方薬特集の番組を見た時に、いい薬があると記憶していた。それが「芍薬甘草湯」。
その後のゴルフか、今度は僕の足がつった。T君から芍薬甘草湯をもらって飲んだ。すぐ効くのだ。
小林製薬の「コムレケア」が一例だ。効く仕組みは調べていないが、即効性がある。

これ以上。薬は増やしたくないと思っているが、芍薬甘草湯はしばらく続けてみよう。大手ドラッグチェーンの棚落ちで半額だった。昨日、帰りに残っていた1個も買って帰った。
何でも試してみないと。
posted by shigenon at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月18日

いつもの週末の風景

金曜日と土曜の夜こそがゆっくりできる時間だ。
金曜日は帰りに居酒屋Yへ。最近行きすぎだ。というのも、他に独りで行くところがないのだ。
居酒屋Yは居心地は悪くはないが、なぜか長居をする気持ちにならない。何故だろう。身体も変わったからか。疲れやすくなっている。結局、早めに帰宅。すぐ爆睡した。

いつもの土日だ。土曜は9時にクリーニングを出しに行く。そうしないとその日に仕上がらない。取りに行くのは日曜だが。10時からはジム。2時間ほど過ごす。昼食はなか卯かそば屋。
家に帰ったら洗濯。月から金までの分。そんなことをしていたら13時過ぎ。鍼は14時半からの予約だが、14時20分には着くようにいく。歩いて5分だ。

鍼は基本1時間なのだが、いつも16時くらいまでしてくれる。今回は終わってから立った状態で右脚の違和感のある場所に深く打ってもらう。打ってもらって動かす。運動鍼だ。こちらからお願いして打ってもらった。こういう要求も全て答えてくれる。もちろん支払金額が変わることはない。

鍼から帰ると16時過ぎ。最近は17時か17時半から英会話のオンラインレッスン。25分だ。
ちゃんと予習をする。約1時間前からその日の内容を見ながらビール飲む。
英会話が終わると居酒屋Yに行くか誰かとの約束をしていて飲みに行く。先週はKさんと焼き肉。

土曜こそ遅くまで飲める日だ。身体も元気なはず。だが、最近はすぐ眠くなる。この日も22時半には寝てしまった。かといって日曜の朝はゆっくり起きる。といっても9時頃か。
そうだ、髪をカットしよう。随分ホワイトヘアになってきた。先週の金曜に得意先に行ったら、そこの社長に「かっこいいな」と褒められた。同い年でよくプライベートでもゴルフに行く社長。
オッサンに言われても仕方ないが、まあ似合ってきたのだろう。もう少しカットすればホワイトワックスも少なくて済む。このホワイトワックスが服に付くので減らしたいのだ。

カットして、クリーニングを取りに行って、昼はテレビ。何でも鑑定団の再放送を見て14時ジムに向かう。ジムでは2時間。夜の弁当と次の週の朝食用のパン・飲むヨーグルトを買って帰る。
日曜もゴルフでない日は英会話。昨日は17時半から。土日分の洗濯をして予習。終わって夕食、テレビ。

本当に楽しくない週末だ。これに3週間に1回は掃除機をどこかの時間に入れる。
近くのドラックストアの棚の入れ替えで「坐骨神経痛に」と大きく書いた薬が半額になっていた。
土曜に見て気になっていた。恐らく漢方薬だろう。3002円だった。これの半額なのか、これで半額なのか。前から漢方薬は試してみたかった。
日曜にジムに行く前に寄ってみた。3箱あった。ピップの「心龍」という漢方薬。1箱買ってみた。3002円の半額だった。じゃあ、ともう1箱買った。

帰って調べると「疎経活血湯」に独自の配合がしてあるようだ。疎経活血湯は試したい漢方薬だった。
飲んでみる。すぐには効果がでないだろうし、気持ちの問題かもしれないが、21時頃には手の痺れが少し変化したような気がする。お尻は痛いままだが、これは鍼の翌日によくある状態。次の日から良くなってくる。残り1箱を近いうちに買おう。

22時にベッドへ。今週は祝日もあって気分的にラクな週だ。
今日、手の痺れ・右脚と調子いい。薬の効果か鍼の効果か。合わせ技も必要だろう。
posted by shigenon at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月15日

スナックE

片田舎で高校まで過ごすと多くは進学で街を出る。大学まで通学が出来ないのだ。中には2時間以上かけて通学していた友達もいた。
でも大体が家を出て“下宿”する。下宿といっても人と住むわけではない。今は使わないコトバなのかも。要は独り暮らしだ。このころはワンルームマンションなんて少ないし高い。大方は“学生アパート”だった。学生アパートは大学の近辺にあり、ほとんどが同じ大学の学生が多かった。

その頃の兵庫の田舎者は、大体が京都・大阪の大学が多かった。東京で少し上のランクの大学の可能性があっても、多くは関西地区を選んでいたように思う。
僕の高校時代の親友たちも地元に残るか関西地方に散らばった。休みの日にはお互いの部屋を行き来したり、地元に帰ったりした。
高校時代に他にも親しい友達はいたが、なぜかいつも集まる6人がいた。

この前書いた、博多で飲んだO君の高校時代の下宿(これは家人が居る本当の賄いつきの下宿)に集まって酒を飲んだりタバコを吸ったりしていた友達たちだ。でもこの6人の中にO君は入っていない。
彼は実家が遠すぎたし、浪人の身分だった。

田舎に帰ると誰かの家・・・大体は地元に残っていた友達の家で酒を飲んだり麻雀をしたり。それぞれ大学で友達もいるのだが、長い休みは田舎に帰ることが多かった。休みのバイトも田舎で探した。
卒業して2年が経ち、京都の歯科技工士の専門学校に行っていた友達が地元に戻って就職した。
そこからスナックEとの付き合いが始まった。技工士のK君(6人中3人がKだ)が就職して歯科院で連れてもらった店。20歳そこそこの学生だ、居酒屋は行ってもスナックなどに行く機会はなかった。
当時、僕は大阪で居酒屋→ディスコという過ごし方をしていた。

スナックEのマスターは痩せて目つきの鋭い人だった。その頃バイトで入っていたAちゃんとも、その後30年以上の付き合いになるとは思ってもいなかった。
ガラの悪い地方のガラの悪いマスター。
店は当時としては凄い数の“8トラ”のカラオケテープがあった。昔は8トラというカセットがカラオケの主流。ぶ厚い本で曲を選んで歌詞カードを見て歌う。それなりに客は多かった。

ハタチの頃からだから36年の付き合い。行くのは年末・お盆・GWという大型連休だけ。これは学生時代からずっと。
マスターは60歳になったら店を閉めると言っていた。とんでもない、もう70歳だったと思う。

去年だったか、すい臓に癌が見つかったのは。すい臓の癌は手術ができる場合が少ないらしい。でもマスターの場合は手術が出来た。しばらく店は休んだが無事に復帰した。
それから3度ほど会っている。元気そうだ。癌の心配はないものだと思っていた。

2月末か、地元の友達から連絡が来たのは。マスターが入院すると。
マスターにラインした。「必ず再開します!」と返事が来た。
先週、友達から連絡が来た。退院したから店を開けたと。今週、別の友達が店に行ってきて連絡をくれた。ステージ4らしい。GWにみんな揃って来いよと言われたらしい。

「6人衆」とマスターは良く言っていた。僕、K、K、K、I、Sの6人。Iは42歳にして癌で亡くなった。
僕は頸髄損傷、一人のKは脳梗塞になった。36年は長い年月なのだ。
GWには5人集まれれば良いが。
posted by shigenon at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

ファイテン

昨日はやってしまった。一人で長らく行っていない焼き鳥屋に行き、バーへ。さくっと飲んでさくっと帰るつもりだった。そしたらMちゃんからライン。歩いている所を見かけたらしい。しばらくして来たので帰れなかった。結局帰ったら0時を過ぎていた。

昨日は出先で早く終わったのでファイテンのショップに寄った。前に書いたが、中足骨を整えることで腓骨筋などに影響する。その中足骨のマッサージを含めた3種の機械が試せるチケットを貰っていた。
ファイテンはただの磁気ネックレスだと思っていたが、違うらしい。
4リットルのペットボトルを持たされ、腕にネックレスを巻かれる。巻いた時と巻かない時で違うでしょと言われる。んー、微妙。神経に障害があるのだ、細かい感覚など解るはずがない。

それよりも中足骨のマッサージだ。以前、展示会で経験した時はすごく脚が軽くなった。
3種の足の機械を試させてくれた。足に光を当てる機械、足の指の間を刺激する機械、そして中足骨のマッサージの機械。いや、本当に歩くのが軽くなる。

それだけで帰りたかったが、電気の通っている座布団を試させてくれたり色々と紹介する。
ファイテンの丸いシールは前から知っていた。それを腕や肩に貼ってくれる。貼ってすぐに「動きがよくなったでしょ」と言う。すぐに解るわけがない。自律神経を整えるというクリームまであった。
シールは腕に2か所貼ってくれたのだが、しばらくして腕を曲げると痙攣したようになる。これは去年まで起こっていた症状で、今はほとんど起きない。
悪く書くつもりではない。つまり、何らかの影響を腕に及ぼしたという事なのだ。つまり何か効果があるということ。貼る位置が違っただけだ。

1時間ほど時間を過ごした。さすがに何か買わないといけないかなと思い、ゴルフの松山がはめているブレスレットを買おうと思ったが、気に入った色のサイズが切れていた。
調子良くなったので杖を鞄に仕舞い、バスに乗ったらバーのあるバス亭で降りてしまった次第だ。
バーまでの通り道に、焼き鳥屋はある。いつも一杯なのだ、それで足が遠のいていた。美味いと評判の店だ。焼き鳥屋ではビール1杯、焼酎2杯、焼き鳥5本。そしてバーへ。そして長居してしまった。

バーからはタクシーで1000円でお釣りがくる距離だ。だから帰る心配はないのだが、やはり十分な睡眠が必要だ。そういえばファイテンで電気の座布団に乗った時に言われた。これをするとよく眠れますと。
うん、確かに短い睡眠時間だったけど良く眠れたような・・・。
まあ、微弱な電流は神経に刺激を与えるのは事実。昨日は身体に良いことをして調子に乗ってしまった一日だった。
posted by shigenon at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月14日

K整形外科

リリカが無くなりそうなのに気づいた。近所のK整形で1か月分もらっている。
昨日は早めに会社を出てK整形に。どこの整形外科もそうだが、ここはリハビリという名のマッサージを行っているのでお年寄りが多い。医者の中で実施されるから医療行為だ。街の整骨院のようなグレーな保険治療にはならないのだろう。

K整形は受傷前にゴルフのスウィングをした時に左腕を痛め通ったことがある。思えばこの時が頚椎が狭くなっていると診断された最初だ。その時は左手がしばらく痺れていた。ゴルフ保険に入っていたのでしばらく通った。この間に頚椎の狭い人に起こりうるリスクを知っていたらと悔やむが、自分に起きたアクシデントとは関係ないだろう。

ここは行ってすぐに診察してもらえるのが魅力だ。家からも近い。
先週、病院で坐骨神経痛のレントゲンとMRIを撮った話をする。腰部に異常がないのならば、元々の損傷した頸髄が原因なのだろうという見解はKセンセイも同じ。今度は首のMRIを予約させられたと言ったら笑っていた。医は算術でもある。

Kセンセイは症状を聞くだけだ。優しくていい先生だ。だが、医者が何かできる症状ではない。自分の症状を話すことで気がまぎれるだけなのだが、これは必要なことなのだろう。
1か月程前か、T君がアバラを打った際にK整形を紹介した。2本ヒビで1本は折れていた。Kセンセイは「この状態でよく3日間我慢しましたね、普通は我慢できないですよ」と言ったらしい。「普通は我慢できないですよ」というコトバが患者にとって褒められた・頑張ろうという気になる。

病院ではリリカを町医者で処方してもらっていることは言っていない。Kセンセイとの縁を切りたくないから。病院で言えばすぐに処方してくれるだろう。
リリカがカプセルから錠剤に変わっていた。リリカはファイザーの儲け頭の薬だ。
居酒屋Sで知り合ったファイザー製薬OBの鉄ジイを思い出す。鉄ジイが言った「リリカがオレの年金を稼いでくれているんだ」それを聞いて止めようと思ったが。鉄ジイとも長く会っていない。生きているのか。口の悪い爺さんだがよく気が合った。

終わって居酒屋Yへ。家を中心にそれぞれ徒歩1分だ。Yではクイズ東大王を見ながら飲んだ。
中途半端な量の焼酎のボトル。残すとなれば1杯分。こういう時は飲み切って、次のボトルを入れて帰るのが大人の酒呑みの流儀だ。
20時半に店を出て熱い風呂に入ってすぐ寝た。

今日は歯医者に行かないと。3本の根のうち1本を抜いて1か月以上経った。歯医者のセンセイが言うように骨が出来て肉が付いた頃だ。あまり実感はないが。

ふつうの社会生活が送れているいることに感謝するとともに、何か新しい刺激を求めている自分がいる。
もちろん身体の状況の改善がその筆頭だが。
posted by shigenon at 08:23| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月13日

症状に慣れないように

昨日は久しぶりに家で缶ビール1杯だけで止めた。だいたい飲みすぎなのだ。
日曜はコンペ後、思いのほか早く帰れた。渋滞なしだ。店での成績発表会・打ち上げが早く終わったのでマスターたち他数名と飲みなおしに行った。紹興酒は何故か次の日に残る。
月曜は仕事の会合の後の懇親会、盛り上がって2次会に皆行ったが、さすがにこれは断った。昨日は会社のISO審査で二日酔いという訳にはいかなかったから。

先週は木・金の午後と得意先の展示会を手伝ったので立ちっぱなし。土曜の鍼では右脚に起きる坐骨神経痛を強く訴えた。もう2年だ。病院でMRI・レントゲンでも異常がないのだ。何らかの東洋医学的手法に頼らざるを得ない。しばらくは毎週行ける。徹底的に坐骨神経痛の治療をしてもらう。

健常に見えることは嬉しいことだ。だが、その状態での自分の振舞いで“この人は治ったんだ”的な誤解を生みかねない。僕の周りの友人たちはみんなそう見ている。
杖は持っているものの、普通に歩いて、普通に仕事して、普通以上に飲んで。頭も今のところ冴えている。ウイットとジョーク、シニカルな会話は相変わらずなのだ。
嬉しい事なのだが複雑だ。医者や鍼のセンセイには変わらない症状を訴え続けているが、元気な受け答えや気の利いた話で勘違いも起きるだろう。

22時過ぎが寝る限界だ。翌日の仕事を考えたら。
調子よく酒をガンガン飲んでいて、2次会を断る時に寂しさを感じるとともに、単に“付き合いが悪い”と思われるだろう。次の日が休みならいいのだが。

こんな悩みも身体が動いてくれているからだ。後は身体の元通りを取り戻すだけだ。
症状に慣れないようにしよう。痺れ・痛み。こんなものだと思ったらそこから進歩はない。
posted by shigenon at 08:19| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月12日

初ゴルフで気づいた身体の変化

ゴルフで久しぶりに左脚の側面が張っている。
ゴルフは“左脚に壁を作ってスウィングする”が始めたころに習ったことだ。ゴルフの打ち方理論は道具も進化したので色々と変化している。昔は“こう打たないといけない”的なことが多かったが。
でも、左脚の壁は重要だ。左脚が動いたらまともにクラブを振れない。

受傷して、左脚に壁を作れなかった。スウィングの終わりまで左脚が我慢できず動いてしまっていた。
そのため、左脚を外に向けて力を逃がす打ち方をしていた。

今回のゴルフは久しぶりだ。どうしても昔の健常だった頃のスウィングを身体が覚えていて、その打ち方になる。スウィングはクラブを振った瞬間に左手に力が入らないことに気づいて修正した。
でも、脚までは気にしなかった。耐えられなかったら、2,3度クラブを振った後に気づいて修正しただろう。気づかないくらい左脚は我慢できる筋力が付いたのか。

受傷前はゴルフの後は左腕・左の背中・左脚が張っていた。受傷してからはアスリートゴルファーでなくなったのでそういう張りは感じなかった。ただ、脚だけはたくさん歩くので健脚になっていた。
ゴルフの後は脚が元気だ。しっかり地面を踏みしめて歩くことが出来ている。今日も家を出る時に杖を忘れて取りに戻った。

ゴルフはある程度の力でグリップを握る。これが強すぎてはいけないのが定説だ。
しかし、僕の場合は握力がないので全力で握らないといけない。これがスウィングを弱くしている原因でもあるのだが。
グリップを強く握ることで、痺れている手にも変化がある。痺れ自体はそれほど改善しないが、手に力が漲ったように感じる。

ゴルフをしない人には解りづらい話だったか。
でも、健常な時にやっていたスポーツで、健常な時に出来たことを一つの指標にしてリハビリの目標や効果測定ができると考える。
posted by shigenon at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月11日

今年初ゴルフ

昨日は今年初めてのゴルフだった。向島の料理屋さんのコンペ。
気が付けば149回目のコンペ。ちょうど100回の前くらいから参加したので、もうそんなにという感がある。年に4回コンペはある。

昨年の11月以来のゴルフか。
この冬は左手に筋肉を付けるべく努力した。左の腕橈骨筋群は確実に太くなっている。ゴルフは欲との戦いでもある。飛ばなくても、パーを取れなくても100を切るのは簡単なのだ。なのに、それが難しい人が圧倒的に多いのも事実。

健常な時、ドライバーは前後の飛距離。これはアマでは飛ぶ方だ。5番アイアンで180ヤード。しかも高い弾道。じゃあ、これでいいスコアだったかというとそうでもない。80前半から酷ければ100以上の時もあった。
欲だ。無理な位置からピンを狙ってOB。ピンに絡めようと高くて止まる球を打とうとする。
多くは失敗する。そして数を叩く。でも、その積み重ねで上手になっていくのだ。

受傷して左手がうまく使えない。ゴルフは右効きなら左腕が重要だ。左手で打つイメージ。
受傷後、使いづらい左手をカバーして右手の力で打っている。飛距離は昔の3分の2程度。それでも歩いたり、腕を振ったり、クラブを握ったりすることは凄く良いリハビリなのだ。

欲はある。昔のように飛ばしたい。そのための左腕の強化。
・・・でも解った。筋肉量は関係なかった。左手が使いづらいのは、神経の問題だ。筋肉が付けば力が出るものではないことが。
でも、諦めない。あるはずだ、何か左手の動きが良くなる方法が。
昨日は107。昨年、このコースは96で回れたが。
今日は家を出る時に杖を忘れそうになった。ゴルフの次の日は脚に力がみなぎっている。次は24日の地元居酒屋のコンペだ。
posted by shigenon at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年03月08日

きょうこさん

病院の待合室で待っていると、様々な名前が呼びかう。保険証確認や血圧表の回収や。
その中で「◯◯きょうこさん」と呼ばれる声が。

「◯◯きょうこ」さんはリハビリ病院のOTの時間に出会った。脳の手術を終えたばかりなのだろう、目の焦点もぼやけて自分の意思表示さえままならない様子だった。

名前を知ったのは腕に巻かれた輪。
斜め前のテーブルでリハビリをしていて、「◯◯きょうこ 42歳」と書かれていた。こういう時の名前記入は全て平仮名だ。きょうこを平仮名で見た時に音と平仮名文字の美しさを感じた。

その後、通院リハビリの時に見かけた。歩いている姿に驚いた。
それは他の人から見た自分も同じか。とにかく「◯◯きょうこ」の名前は深く印象に残った。

その人が来ている。ぞっと見た。かなり太っている。別人か?支点のある杖を持っていた。その人に特別な感情があるわけではない。名前だけだ。
でも思った。お互いに世に復帰できて良かったねと。

今日、二度投稿しているのは診察が早く始まり、坐骨神経痛についてセンセイに相談した。この病院での病名に後縦靭帯硬化症と脊柱菅狭窄症が頚随損傷の他に書かれていた。
腰まわりが狭窄していないかを調べてもらうことにした。それでレントゲンとMRIをするとこになった。

レントゲンはすぐだった。MRIは一時間待つと言われた。それでこれを書き出したが、うまく予約の隙間に入れてくれた。

後は診察待ちだが、結構な人。時間がかかると思ったら直ぐに呼ばれた。
結局、特に原因は見当たらなかった。逆に後縦靭帯硬化症はどこで言われましたかと聞かれた。いや、あなたの病院ですが。
聞きたかったのは、損傷した首の中枢神経で起こっているのか、新たに腰に脊柱菅の狭窄が起きていて坐骨神経痛があるかなのだか。

今日はカルテチェックをしなかったようだ。首の手術すら言及されず、今度首のMRIをしましょうと言われてしまった。

さあ、会計待ちだ。終わったら仕事に行こう。
首のMRIはしっかり予約された。まあ、手術から4年だ、一度検査するのも必要か。
posted by shigenon at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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