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2019年02月04日

筋肉が細る

日曜は昼からジム。風邪による熱はないのだが土曜はほとんど寝て過ごしたので身体がダルい。
お決まりの筋トレをする。2日連続で筋トレした時は思わないが、例えば日曜に筋トレを終えたら次は土曜なのだが、筋肉が落ちているなぁと感じる。

連続で行った時に筋肉感を感じるのは筋肉がパンプアップしているのか。
金曜に筋トレをしたが、一日空いて日曜にも筋肉の落ちを感じた。マシンの前の鏡を見たら腕がスジばっているのだ。

健常で筋トレしている時にはそう思ったことがなかった。この身体になって筋肉が付きにくいのは感じるが、落ちるのも早いのだろうか。まあ、筋肉を付けることが目的ではないのだが、せっかくやっている筋トレだ、目に見える筋肉も成果の一つだ。

筋肉が落ちるのは早い。入院したのが12月末、1月末には腕は細くなっていた。
誰か筋肉は3週間で付くと聞いたことがあるが、退院した4月から筋肉が付いた感があったのは夏くらいだったか。もちろん思い荷重を動かせなかったこともあるが。

筋トレから帰って家事→英会話。英会話は土曜もこなした。日曜は、お気に入りのIさんの予約がいっぱいで違う講師で予約していたが、当日になって空いていた。ラッキーだ。

今朝の通勤で歩くときも杖は使わないようにした。使わなくても歩ける。調子いい。
ただ、万一のお守りだ。不自由だとアピールして守ってもらいたい訳ではないが、“ふつう”に見えるため、よろけて「触った」「ぶつかった」など無用のトラブルを避けたいだけだ。

さあ、明日は歯を抜かなければならない。それを考えると憂鬱だ。
posted by shigenon at 08:17| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月03日

銀座で飲む

金曜日は午後から休んでジムと鍼に行った。鍼のセンセイが土曜は休むという。先週も会議で行けなかったし、来週は大阪出張のついでに実家に帰るので行けない。
3週間空くのは不安なので金曜に予約した。どうせならと鍼の前にジムに行った。

2週空いた鍼だ。相変わらず、ほとんど一発の触診で気になる箇所を発見してくれる。気になる脚と右尻には多く打ってもらった。いつも最初は手の内側からだが、今日は外側から打った。
手の甲の鍼は気持ちいい。打って時間を置いている間、手首から先が消えてしまったような感覚になる。

鍼が始まった瞬間に着信があった。鍼は1時間半くらい時間がかかる。
終わって着信を見るとT君だ。久しぶりだ。早い時間の飲みの誘いだろう。折り返すと、もう他の人を誘って飲んでいた。
仕方ないので居酒屋Yへ。テレビのクイズを見ながら飲んでいた。帰ろうと思ったときにT君から電話。バーに居るという。T君もバーも久しぶりなのでタクシーで向かう。

バーではハイボール2杯か。もうYで帰るタイミングだったのでかなり飲んでいた。
それ以上にT君も酔っぱらっている。
「銀座行きましょうか」とT君。T君に1度連れて行ってもらったことがある。とてもじゃないが自分で払える金額ではない場所だ。会社の調子がいいのだろう。

タクシーで銀座。前にも行ったクラブ。その店の前には高級寿司店がある。まあ、銀座に安い寿司屋はないが。そこには僕たちの住む街で働いていた板さんがいる。そこもまあまあ高い店だ。
寿司屋はもう閉まっていたが、覗くとその板さんが居た。もう仕事が終わったというので3人で飲むことに。
板さんとは久しぶりだ。前の店を辞めて以来か。その板さんが居なくなって、その寿司屋もご無沙汰だ。

3人でクラブへ。僕は2回目だ。T君はよく接待で使う。前回はみのもんたが来ていた。銀座でも有名な高級店だ。問題は僕の恰好だ。鍼に行くから短パンはいて、その上にジャージだ。ヒートテック極暖の上にフロントジップのセーター。上着はオレンジのモコモコのジャケット。家の近所で飲む格好だ。
まあ、ジャージといってもジーンズに見える素材だが。
この格好の人は銀座にいない。まあ、板さんはジャンバーだったが。

このクラブで2時間くらい居て、それからそこの女性2名を連れて別の店へ。T君の飲み方だ、付いていくだけ。2件目は小さなラウンジ。奥のVIP席。結局家に帰ったら3時半だった。
こういうカネを使う飲み方は社長や、めちゃくちゃ交際費を使える人しかできないのだろう。

起きたら風邪ぎみ。土曜は夜にオンライン英会話もある。
結局、風邪薬を飲んでずっと寝ていた。ジムも行く予定だったがあきらめた。17時まで寝た。
起きて英会話を終わらせて、また21時に寝た。寝るのが一番だ。

さあ、風邪も少しはマシになった。鍼後のけだるさなのか風邪のせいなのか身体はダルい。今日は昼からジムに行こう。寝ている身体を起こさないと。そして今日もまた英会話を予約している。
洗濯もアイロンもやらなくちゃ。
posted by shigenon at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年02月01日

学生時代のバイト(輸入商社)

脚は押せば痛い痛みは続いているが、歩くには不自由ない。ただ三角筋や腕の二頭筋・三頭筋に2週間ほど前から筋肉痛のような痺れにような感覚がある。
少し腕の筋トレを変えたころからだ。最初は気にならなかったが。
筋トレで筋肉がだいぶ付いた。筋肉が付いたら痛みが多くなった。決してイヤな感じの痛みではないのだが。じゃあ筋トレを休んで筋肉を落とすというのも怖い。痛みだけが残りそうだ。
押せば筋張っている感じ。

昨日のバイトの話の続き。
ダイエー行きながらもう一つバイトを始めた。インテリア雑貨や家具の輸入商社。
ここは時給600円。ただ週給でバイト代をくれる。4時間バイトして4日行ったら1万円近くになる。
たくさん学生が登録していた。主な仕事は百貨店や専門店からの注文品を倉庫から出して出荷する。

「仕事」をする人には“言われてもできない人・できる人”“手と頭の回転の速い人・遅い人”など色々だ。大学に行かずバイトながら仕事ばかりしていたからよく解った。

その輸入商社E社。合間の時間でやっていたが、倉庫の社員からできるだけ毎日来てほしいと言われるようになった。それは、非常に多くの商品があるのだが、その商品の場所をだいたい覚えて、商品を出すのが早かったから。梱包の要領もよかった。
また、輸入ゆえ家具などは凹みや欠けがある。その修理を木の修理材を使ってやるのだが、それも上手に出来るようになっていた。楽しいバイトだった。

ただ、面白くないこともあった。
他のバイトは営業に付いて家具などを納品に行くことがあった。名古屋もある。その間は移動だけで時給が発生する。車の横に座っている時間がほとんどだ。
品番を覚えられない・梱包も下手というバイトが駆り出された。こちらはずっと倉庫で出荷に追われている。倉庫の社員が手放してくれなかった。

1年くらい働いたか。
新卒で短大を出た男が入ってきた。Aという名前。そいつは僕が気に入らなかった。そいつに仕事を教えてやってくれと社員に頼まれていた。商品を出す・商品によって注意して梱包が必要だ。ステンドグラスのスタンドや柔らかい木製の置物など。箱に入れる入れ方もある。

Aは覚えが悪かった。1日に同じ品番の商品を何度も出すのだが、その日に3回目になっても場所を覚えていない。僕の接し方も悪かったのだろう。完全にバカにしていたから。
ある日、「オレは社員だぞ!」と怒り出した。それで喧嘩になった。
若かったのだろう、手を上げてしまった。モロに顔面にヒットした。すぐに彼の顔は腫れあがった。

その日に支店長に呼ばれてクビを言い渡された。そりゃそうだろう。
その日、そのままパチンコに行った。パチンコは出ても出なくてもお金を入れ続けた。ずっと涙が止まらなかった。クビになった悔しさではない、自分がそんなことでそんな風な行為をしたことのバカらしさに腹が立った。

後日談。
それから2年後くらいか。僕はアパレルメーカーに就職し、当時(まだある?)のナンバシティにある自営店を担当していた。その地下を歩いている時にAとばったり会ったのだ。
Aから声をかけてきた。名刺交換をした。彼は既にE社を辞めていた。何を話したか記憶は定かでない。ただ殴ったことだけは謝った記憶がある。
それと、そのバイトで知り合ったF君。田舎が一緒だった。大手家電系列のSEをやっていたが、今は地元で社協に勤めている。彼の結婚式も呼ばれて行ったし、僕の結婚式も呼んで歌を歌ってもらった。
もう一人、1つ下のK君。E社を辞めてからラウンジでバイトするのだが、そのK君が先にそこでバイトをしていた。
もう一つ。
16年前に東京に住んだのだが、家の近くの大通り沿い・車で5分位の場所にE社の東京本社があった。社名は少しハイカラな名前に替わっていた。ネットで調べると業容も拡大していた。
ただ、2,3年後には無くなっていた。どこかに移転したのかどうか。
posted by shigenon at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月31日

学生時代のバイト(ダイエー)

火曜日は外部の新年会が盛り上がり、帰ったら23時半だった。初めて会う人と飲むのは楽しい。
昨日は名古屋に日帰り出張。帰りにブログを書こうと思ったが、乗った瞬間に爆睡した。

この前は学生時代の家庭教師の話を書いた。
このころ、あと3つのバイトを掛け持ちしていた。
1つはラウンジ。ちょっと広めのスナックといったところか。女の子も2人位はいたか。
もう1つは輸入家具や雑貨のメーカー。
もう1つはダイエー。

ダイエーは大学3年の最初くらいか。自分の故郷の近くに新店がオープンするので募集があった。
当時は時給600円がアルバイトの平均だった。それが1日で7500円くらいの募集だった。
ただ、オープンから1か月近い毎日の出勤、事前の長い研修が必須だった。

学生だ、当然授業がある。ほとんど出ていなかったが。迷わず応募した。
メイン業務はレジだ。今のようにバーコード読み取りではない。1983年ころの話だ。
研修では“接客7大用語”やレジの取り扱いなどを教えられた。研修中も時給は出る。安かったが。
本採用には試験があった。3種あったと思う。3つとも100点だったと記憶している。

当時のスーパーのオープンは派手なイベントがあった。僕がバイトした店も当時のアイドルが来た。
約1か月、学校には行かず実家に帰ってバイトに通った。
レジは途中に万券の回収はあるものの、最後にレジを閉めて現金を部屋に持っていく。最後の現金は自ら数える。
ピッタリ合うことはめったになかった。ちゃんと一回一回確認しておつりは渡している。そのつもりだが、多く渡したり少なかったりはあるのだろう。

当時、バイトはたくさんいたのだろうがレジは選ばれた人だけだったか。なんせテストはオール満点だ。
5,6人と仲良く話していたように思う。ほとんどがこの年にダイエーに入社する4年生だった。
当時、流通は人気業種だ。大学も人も優秀な人たちだった。

この店のバイトが終わって、半年位して近くにオープンする店があった。
どういう経緯か覚えていないが、この店のオープンにも呼ばれた。ここは2週間くらいだったか。
そのあと、大学のある近くのダイエーでバイトをすることになった。週に3日くらいか。

その店では女性下着とか化粧品の売り場だった。そこの社員のチーフともよく飲みに行った。飲んで僕の家に泊まったこともある。
レジでも何でもできるバイトだ、重宝された。
何度かトラブルはあった。グループ会社の紳士服専門店に偉いさん来てが朝礼している後ろをラックをガラガラ音を出して引いて通っただけで、呼びつけられた。
「俺は仕事をしているだけだ、何の文句がある」くらい言ったと思う。それで店次長から呼び出されたこともある。

辞めたのは何でだったのか記憶にない。トラブルは関係ない。たぶんバイトの掛け持ちの中で消去したのだと思う。
今でも接客7大用語は覚えている。使うことはないが。

身体の調子は良くもなく悪くもなく。でも脚が疲れやすいか。歩く途中で力が抜けそうになる時がある。
手の痺れは少し強め、だが気にならない、こんなもんだろうと慣れてきた。
今日もそうがが、明日も展示会でセミナー。明日はセミナーが終わったら帰ってジムと鍼の予定。
鍼のセンセイが土曜に予定があって休みだという。先週はこちらの都合で行けなかった。来週も出張を絡めて実家に帰る予定だ。明日しか予定が組めなかった。2週間ぶり、その後も2週間空く。
posted by shigenon at 19:21| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月29日

桃色インコのお母さんの話

昨日は定時まで会社にいて即帰った。明日は新年会だ。飲みに行くには気が進まなかった。
飲みに行かなかったらタバコの本数も少ない。会社では午前に3本、午後に3本。
帰ってから寝るまで3本。いつでも止められると思うのだが止める気がない。

10月に移転したオフィスには喫煙所はない。だが、灰皿の置いてある公園やタバコ屋が近くにある。
その内の1軒のタバコ屋さん。自販機と自販機の間に入り口があり、中が見える。
おそらくは透明のガラスなのだろうが、汚れで曇ってすりガラスのようだ。うっすらと中が見える。中にはおばあさんと首元がピンクの鳥がいる。

タバコの間ずっと見ていると、その鳥とおばあさんはとても仲良しだ。しょっちゅうチュッチュッしている。微笑ましく見ていた。あまりのぞき込むのも失礼だが。
ある時、そのおばあさんが自販機のトラブルか、電話をしながら外に出てきた。
いつも炬燵に座っているし、すりガラスもあり相当なおばあさんと思っていたらそうでもない。
自販機のナンバーをスラスラ読み上げて電話をしていた。足腰もしっかりしている。70代半ばか。

昨日、タバコを吸いに出たら、その人が外に出ていた。そこでタバコを買う訳でなく吸わせてもらっているだけの気まずさから話をした。
「いつものオウムちゃんはいないんですね」“今は2階にいるの”「なにオウムなんですか?」“オウムじゃなくて桃色インコなの”「へぇー、インコなんですか、大きいからオウムかと思っていました」“どっか外国のインコなの”“知り合いの家にカラスに追いかけられて逃げ込んできたの、そしたらカラスも一緒に家に入って、カラスだけ追い出して”
“カラスを追い出したけど、ずっと外で出てくるのを待っていたから箱の中にいれて匿っていたって”

“それで調べたら40万円くらいするってわかったから警察に届けて、インターネットで迷い鳥って出して”   ・・・えー、この人、インターネット・・・驚いた。
“それでインターネットに出したら持ち主じゃないけど20万で買いますとか来るのよ”“そんな人はすぐ転売するのよ”“結局、警察にも届けがなくて私が飼うことにしたのよ”

いやぁ、聞いてみるものだ。と、いうより初めて話したのだが、ここまで話してくれるとは。
インターネットにも驚いたが、転売という世のトレンドもよくご存じだ。
チャキチャキの話好きの下町の“お母さん”だった。
なんか幸せな時間を過ごせた。これからはこのタバコ屋さんへ喫煙しに行こうと決めた。

脚はハムと内転筋が張っている。何をしても同じ症状だ。別に特に痛むわけではないので、もう気にしないようにしよう。杖無しで歩ける状況が続いている。まあ、1日の中でも波があるが。
左手の筋肉が付きにくい部分の名称を調べた。左半身全体に筋肉が付きにくいのだが、最近の筋トレやちょっとした工夫で左腕に確実に筋肉が付いてきた。でもそこだけが変わっていない。上腕二頭筋の外。
ただの上腕筋という名称だ。そこの筋肉を付ける筋トレをネットで調べた。

腕のカールがいいらしい。肘を伸ばして腕を上下に。この時に手のひらは内側。
手のひらの方向で付く筋肉は変わるのだ。
これを調べた時に「支配神経」というコトバが出ていた。C5、C6だったか。
やはり筋肉の指令は神経の、しかも中枢神経なのだろう。時間がなかったので詳しく調べていない。
支配神経がイカれていたらダメなのか、なんか活路が見いだせるのか。調べてみよう。
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2019年01月28日

あなたが寝る時に私は夢の中

出張帰りの土曜はそのまま居酒屋Yに寄った。ちょうど大坂なおみがあと2セットで勝つという時だった。特にテニスファンでもないが、応援はする。

日曜は朝から洗濯→クリーニング出し→ジム→英会話。
二日休みがないと回らない。今週は土曜の出勤のため、鍼には行けなかった。特に不調な部分はないが、身体を動かすことでカバーしないと。いつもより筋肉の動きを意識した筋トレを実施。

週後半、手の痺れが強くなっていた。が、それで特別な不自由は感じなかった。手の痺れの強さは気になるし、感じるのだが、それによる日常動作の不自由さはあまりなかった。手の指が不自由ながらも前よりも動くようになっているからだと思う。

英会話は3回目のIさん。17時半からの予約と思って準備していたら18時からだった。
いつも40分位まえからテキストを“暗記”する。テキストが終わればフリートークだ。勉強であり、外人とはいえ、若い女性と10分でも冗談を言いながら話せることは幸せだ。ただ問題は英語なのだ。

テキスト終了後はそのテーマに沿ってフリートークをする。でも、いつも僕は話しを逸らしていく。
そのために何を話そうか事前に考えた時に、単語を調べておかないといけない。
だが、そううまく話しをもっていけない。

昨日は生活のルーティンがテキストだった。フリートークは何時に寝るとか起きるとか。
そこから何か面白い話にもっていかないといけない。事前の単語検索はしなかった。
僕は22時過ぎにベッドに入ると答え、Iさんは0時という。「じゃあ、あなたが寝る時に私は夢の中ですね」くらいの会話。テキストに沿わない一言を言って笑ってもらう。
本当はもっと受けることを言いたいが、英語では難しい。

英会話の前にはビールを飲んで予習する。昨日は時間を間違えていたので焼酎まで進んだ。軽く飲んで会話することで自然な会話になる。とはいえ、30分待つ間に焼酎も進んだので自制した。

今日も19時半からIさんとの英会話。月8回こなすには平日も入れないと。
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2019年01月26日

新幹線にて(2019/1/26)

昨日、今日と出張だった。
新幹線が15時前に止まっていると情報が出ていたが復旧して良かった。
家には20時半には帰れる。帰りは居酒屋Yに寄ろう。今週の月曜に一緒に飲みに行ってから店に行っていない。

新幹線の前に乗った特急でショックなことがあった。
通路側の席だった。隣の客が降りるので立ち上がった。
そして座ったらズボンの左のポケットが肘掛けに引っ掛かりポケットの上下が裂けるように破れた。

お気に入りのスーツだ。
この破れ方は修復不可能だろう。隠すために上着を着て新幹線は座っている。
一応大卒時にアパレルメーカーに就職した位なので今でも服装に少しは気を使っている。

上着は長時間座る時にはシワ予防で脱ぐ。ズボンも毎週アイロンをかける。
スーツも昔ほど高いモノを買わないが、それなりだ。ショックだ。

冬だから厚い生地のスーツ。この厚みのスーツは2着を着回している。
問題は店頭にはこの厚みのスーツケースがもう無いだろうということ。1月からバーゲンで今や店頭は春物だと思うのだが、どうだろう。あったとしてもバーゲンの残りモノ、気に入る商品はないかも。

ポケットを肘掛けに引っかけるのは身体の不自由が関係している。ドンっと座る訳ではないのだが、微妙な座る位置や座り方を調整して身体を動かすことに気がまわらない。
立って通路に出て、元の席に戻って座るということだけで精一杯になっていた。

ズボンを破くのは一昨年もあった。
これはオフィスの狭い箇所を通る時に何か出っぱった側に身体が寄ってしまい、避けようとして右のお尻に突起物が引っかかって破れた。

いくら脚の調子がいいといっても、健常ではない。怪我をしないだけ良かったと思うか。

さっき新幹線の切符を買う時、財布に領収書を入れようとした。右手は杖、左手は持ち手の太い出張用バッグ。杖を持った右手に財布を持ち、バッグを持った左手を動かして右手の財布の方へ動かしたとたんにバッグが手から滑り落ちた。
これは前にも経験ある。左手の握力が弱いので、太い持ち手をひねったら握力が耐えきれないのだ。

落ちたバッグは放置してとりあえず領収書を入れようとしていたら、若い女性が駆け寄ってバッグを拾いに来てくれた。「大丈夫ですよ」と言ったが親切さに感謝だ。と、共に横着している自分を反省。
いつも杖とバックを置いてやっている動作だ。自分の横着で人に迷惑をかける。

スーツはまた買えばいい。
調子が少し良くても気をもっと回さないといけないのだ。自分のためにも。また、駆け寄ってくれる親切な人にお手数を掛けないためにも。
posted by shigenon at 18:13| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月24日

立って飲む

昨日は属している会の互例会。立食だ。
以前は長時間立つことに不安があった。だが、脚の調子良さは継続している。立食だといつも酒は2杯程度に抑えるのだが、飲みたいだけ飲んでも大丈夫だった。

会には仲の良い客先のUさんも来ていた。仕事を通じてUさんと親しくなり、別の会にも誘い入れている。Uさんがどんどんお酒を持ってきてくれた。
会が終わり、Uさんから別の会社のNさんを誘って飲みに行こうというという話になった。
Nさんはこの会合に出ていない。Uさんが電話すると、既に帰宅していたのだが上野まで出てくるという。

Uさんと僕で焼酎1本、Nさんはビール。Nさんもこの会の仕事を通じて仲良くさせてもらった。
退院した後、一番大きな仕事はUさん、Nさん無しでは成し得なかった。感謝している。
楽しく飲んで21時頃に別れた。

脚の調子はいい。杖をつかなくてよい状態が続いている。肩の疼痛は先週より感じるか。
一昨日の超音波治療器は肩には効果を発揮しなかった。

なんだかんだで昨日の酒量は多かったようだ。朝起きたら軽く残っていた。今日は短めで。
posted by shigenon at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月23日

ヒロシと寿司屋のマスターの話

昨日はさすがに飲み疲れもあり家でゆっくり。
久しぶりに超音波治療器を使った。まずは気になる右のモモ裏からふくらはぎ。普通の感覚であれば、治療器を押し当てた部分は深層部に“熱さ”を感じるのだが、痺れている足にはその感覚がない。
これくらいで熱く感じるだろうというタイミングであてる部位を移動する。

右脚が終われば両肩。特に痛みは感じていなかったが、ケアとして。肩は熱さを感じる部分がある。
超音波治療器を使う時はジェルを使うので裸にならないといけない。いつもより熱い湯に浸かってゆっくりした。

大学時代に家庭教師をしていた。ダイエーのバイトで知り合ったパートの方にお願いされたのだ。
それを頼まれたのが高校受験の10日ほど前だったと思う。
ヒロシはやんちゃな子だった。でも素直だった。家庭教師といっても何から始めていいかいいかわからなかった。まずは学力。

ヒロシは中学の3年間を全く勉強していなかった。勉強に関しては手が付けられなかった。
中一程度の学力だ。理科や社会、英語など中学校で学んで知識になるべきモノが全くなかった。どうしようもない、中一の教科書を順番に進めていった。

卒業式の時にいつまでたっても帰ってこない。待っていたら酒を飲んで帰ってきた。
もう勉強を教えるのは諦めた。本人も望んでいない。
それ以降、2時間は色んな話をして過ごした。当然、全て受験した学校は落ちた。
結局、専門学校のような学校に入学が決まった。

入学が決まって、お役御免と思っていたらお母さんから「続けてやってほしい」と言われた。
ヒロシの家は商売をしている。一人っ子だ。
教えた後に夕食を頂くのだが、お母さんとヒロシとテレビを見ながら一緒に団らんする。当時、ザ・ベストテンを見ながらお母さんが「郷ひろみは年を取りませんねぇ」と出るたびに言っていたことを思い出す。家庭教師の継続は兄貴として必要と思ってもらったのだろうか。

ヒロシの専門学校もちゃんと中間試験・期末試験はある。商業系だから僕が教えられない簿記もあった。
僕は商学部で簿記1を履修していた。教科書すら持っていないし、授業だけは出席があったので出た。
出席していれば単位をもらえた時代だ。全く簿記を知らないのに単位を取った。

試験の前でない時は簿記を教えた。ヒロシの教科書を一緒に見ながら教える。もちろん自分にとっても初めての知識だ。でも先に教科書を見ながら教えられた。
試験前は試験に出る問題を教えてくれる学校だった。先生が黒板に書くという。
ヒロシはそれさえノートに書かない。試験前、友達に電話させて聞かせたりした。それを暗記させるのが授業だった。

ヒロシの部屋で二人。教えているとヒロシはよく居眠りをした。飽きてくるのだ。その度に勉強を止めて色んな話をした。他のバイトの話など。ヒロシはバイクに乗りたかったようだ。バイクの運転の仕方、クラッチや変速など教えた。

教えている時に休憩を挟むが、僕は勝手にタバコを吸っていた。今では考えられない話だ。
タバコを切らしている時、ヒロシがタバコを差し出してくれたこともある。僕自体も高校から吸っていた、兄としてもOKだ。
家庭教師は1年くらい続いたか。何で終わったのかは覚えていない。お母さんから「もう良い」といわれたのだったか。悪い関係で終わったのではないことは確かだ。

家庭教師が無くなって半年くらいしてからだろうか。
当時は携帯電話やスマホはない。ヒロシを気にかけながらも、わざわざ電話する用事もなかった。
ある時、大学の正門前でよく行く喫茶店があった。学校は当時で週に3回くらいしか行かなかったか。
僕の行っていた大学は関西でも大規模な大学だ。正門まで続く道は学生で溢れている。

授業が終わり、友達とその喫茶店に入ろうと正門を出た時に声がする。
「せんせーい」穴の開いたマフラーのバイクの爆音とともに。
ヒロシだ。髪は金髪に染めている。何でここに居るのだろう。

ヒロシは僕に逢いたくて、おそらく何度も大学に来て・何時間も探していたのだろう。バイクの爆音を鳴らしながら。よく掃き捨てるような多さの人の中で見つけたものだと思う。
その時に何を話したかは覚えていない。それ以降、ヒロシには会っていない。1983年くらいの話だ。

卒業しても、たまたま会社の寮は大学の一つ前の駅だった。ヒロシの家との中間。
ヒロシの家も知っている。なのに何で訪ねなかったのだろう。
それから札幌へ転勤や、会社を辞めたりして色々と住むところは変わった。

2000年に大阪に勤務することになった。学生時代を過ごした街へも近い。
毎晩近くのお好み焼き屋で飲んでいた。ブログにも書いた、年に2回くらい電話をくれるママだ。そこが閉店すると、商店街にある寿司屋で飲むようになった。
2003年に東京に来るまで、1年近くはその寿司屋に週3で行っていた。
そこで知り合ったマリリンの話もあるが、それは後日。
その寿司屋のマスターは雇われだった。気のいい旭川出身の人。

東京に転勤になってからその店が閉店し、マスターは違う店に移ったと聞いた。2004年ころか。
出張の時に2度ほど行ったか。ヒロシの家の近くだ。
マスターに言った。「昔、このすぐ近くの○○屋さんに家庭教師に行っていたんだよ」
それを聞いていたパートの人が言った。「ヒロシさん?ウチにも何度か来てますよ」

驚いた。この店に来たら会えるかもしれない。大人になって家を継いだヒロシはどんな様子だろう。
2005年の2月に結婚した。兵庫で式を上げ、そのまま大阪に泊まって新婚旅行の予定。
夜はその寿司屋に飲みに行くことになっていた。だが、前日にはしゃぎ過ぎたのか風邪を引いた。
翌日からの旅行を考えたら安静にしなければいけない状態だった。

その日はその店に行けなかった。マスターから「○○さんの大好きな物を用意していたんだけど」と言われた。申し訳なかった。

その店にはそれから行く機会がなかった。マスターにはたまに電話していたが、「実は癌になって」と言われた。店は辞めたようだった。
その後、電話をしたら旭川に戻ったと聞いた。札幌出張の時に旭川に行こうと思ったが行動できなかった。その後、電話は解約されていた。なんで行かなかったか自分を責めた。

ヒロシの話から色んな話になってしまった。
昨日、寝つきが悪くて色々考えた。Yマスターと常連客mちゃんと飲みに行ったのも人の縁なのだろうなと。
これまで人の縁を大事にしてきたのか?・お前はお前のことを思ってくれた人にちゃんと答えられたのか?自問自答した。これまで人を裏切りはしたことないが、人の気持ちに応えられていない自分を思った。

頸髄損傷・リハビリに全く関係のない話でした。
posted by shigenon at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2019年01月22日

Yマスターと飲んだ話と左手の話

昨日は勤務地付近に居酒屋YのマスターとYの常連客のmちゃんと飲んだ。mちゃんは前に書いたMちゃんとは違う。5.6年前からYでたまに会う若者だ。いつも帰り際に来るのでゆっくり話したことはなかったが、先月早く来たのでけっこう喋った。
mちゃんは僕と同じ駅に勤めている。奇遇だが、同じ兵庫出身。また、僕が持っている株の会社に勤めていることが先月判った。それ以降、株価は急落しているが・・・。

Yマスターと個人的に飲むのは4度目くらいか。酒は思ったほど強くない。気さくな下町の兄いタイプだ。18時過ぎに待ち合わせ、3人で3軒回った。
この街も中央区ながら昔ながらの下町情緒あふれる飲み屋街がある。Yマスターは街を歩きながら、しきりに“変わった・変わった”という。そうなのだ、街も人も変化するのだ。

けっこう飲んだ。でも23時半くらいまでか。1軒目で3杯、2軒目は3人で焼酎ボトル1本、最後はバルでワインを2本。
今日、起きて会社をズル休みしようかと思ったが、それは情けないので起きた。

昨日の足指の痛みは治まった。だが、昨日は営業でけっこう歩いた。足をかばって歩いたので腰が痛い。
昨日気づいたが、左手の手のひらを外に向けて水平より上に広げる動き。先月から痛みを伴いながら繰り返していたが、昨日から全く痛みなく動くようになった。

土曜の鍼で、この動きをしたら左の三角筋の後部が痛いという話をセンセイに言ったのだが、そこに打ってくれなかった。よくあるのだが、言ったことを忘れたのかと思ってそれ以上は言わなかった。
だが、うつ伏せで背中を打ってもらう時に、いつもは打たない脇の下あたりにそれほど深くない鍼を打ってくれた。なんとなく、この鍼が効いたように感じる。

まあ、土日の筋トレでもバーに指を1本1本かけて伸ばして腕の細かな筋肉を刺激したり、思いつく限りのことをしている。何が良かってどうなったかは言えない。
ただ、一つ改善できたことは嬉しい。

頸髄損傷は“症状”は改善しないのだろう。冷感や灼熱感や痺れや麻痺や疼痛や。
ただ、その症状が直接関係ないのだろうが、症状があることによって出来ないと思ってしまっている動作が多くあると思う。
例えば痺れているから手を動かせないと思い込んでしまうとか。

僕の場合だが、症状があっても動かすことが大事だ。完全に痺れている右脚だが、自分の意志で動かすことができた。一方、左脚は手で“よいしょ”って動かさなければいけない状況が多かった。
筋トレマシンは左右同じ動きだ。右脚は力が入るからマシンは動く。徐々に左脚に負荷がかかるように動かす。

退院当初は左脚を後ろに跳ねることができなかった。エアロビクスでいうカールという動作。
普段、この動きをしないので気づかなかった。ただ、ジムで鏡を見てなんとなく昔やっていたエアロビの動きをしていて動かないことに気づいた。
筋トレマシンでレッグカールがある。最初は左脚で動かせなかった。
でも続けていれば動くようになった。麻痺もあった左だが、筋力が付くことでカバーできたのだと思う。

頸髄損傷になって、急性期を終えて、自分でネットとかで調べて「一度損傷した中枢神経は回復しません」というコトバを見つけてみんな絶望する。IPS細胞で治療とかが最近ニュースになったが、何人が受けられるのだろう。
自分で治すしかないのだ。
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shigenon
2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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