先週は忙しくてアップできなかった。たまには仕事で忙しい時もある。
18日は兵庫の実家から両親が来た。升席での相撲観戦。
僕自体はそれほど相撲に興味はなかったが、今年になってT君の接待に同伴させてもらい初場所・5月場所と観戦させてもらった。
近くでみる相撲の迫力に感動、それ以来テレビでも見るようになった。
父親は相撲好きなのかどうかは判らないが、嫌いではないと思う。親孝行もしていない息子として、両親を連れて行ってあげたいと思った。
チケットはT君がいつも頼むちゃんこ屋の大将にお願いした。いわゆる“お茶屋さん”のチケット。
飲み放題だし、お弁当やつまみ・袋一杯のお土産が付く。もちろん価格もそれが乗った価格。
通常のチケットの○倍になる。チップも渡さねば。
升席は狭くて4人はどうかなと思ったけど、せっかくなので近くに住む姪も誘った。敬老の日だ、孫がいた方がいい。
今場所は残念ながら3横綱休場、高安や宇良といった人気力士も休場なので、いささか盛り上がりに欠ける。でも、結構土俵に近い席で、父親・母親ともに喜んでくれたと思う。
姉も兵庫にいるのだが、午後から休んで18時に秋葉原で落ち合った。姉は姪の家に泊まる。
今日僕は仕事だし、姉が両親を「はとバスツアー」に連れて行ってくれている。両親をホテルまで送り帰宅。
父親に「来年元気だったら、また連れて行ってあげるよ」と言った時に、少し涙ぐんでいた。
泣きたいのは僕だ。これまでの人生、勝手なことばかりして、挙句の果てに入院して何日も東京に来てもらって・・・。
人ごみの多い時は杖を持つ。が、今回は杖なしで東京駅に両親を迎えに行って、両国まで連れて行った。
このように杖なしで自由に歩き回れれば良いのだが。
人とぶつかったり、少し押されたりすると簡単に倒れてしまう。バランスの問題なのだろうか?
筋力は充分なのだが。
それと同じで腕の筋力は充分にあるが、重い箱などの荷物を引き上げられない。
できない・できないと言っていても仕方ないので、まずは繰り返し実践することだな!
2017年09月19日
2017年08月30日
「ママ」からの電話
昨日、嬉しいことがあった。
昨日は朝から外出し、久しぶりにボリュームのあるカツカレー(有名なのでご存じか・神保町のキッチン南海)を食べたので、帰社後も満腹は続いていた。普段は会社でコンビニのサラダパスタしか食わないのだが。
定時で会社を後にし、家の近くの居酒屋Yに寄ろうかどうか迷いながらスルー。Yでいつも食べるのが結構ぶ厚い“豚バラ焼き”。さすがに今日はブタはいいやと。
帰ってビールを飲みながら、つまみはエビせんべい。まだ腹が一杯だなと思いながらも、カップラーメンに湯を入れた。その時だった、電話がかかってきたのは。
「ママ」とは、大阪にいた頃毎晩のように行っていたお好み焼き屋のママ。
2000年に広島から大阪に転勤になった。住んだのは東三国。新大阪の1駅北。長年の1人暮らし、所帯道具も多く、引っ越しの荷物が運び込まれた時点で整理するのがイヤになっていた。
昼になったので、とりあえず近くでビール飲みながら飯でも食おうと。
路地を抜けて目に入ったのがお好み焼き屋。広島も長く住んで「広島焼き」も好きだが、元々は関西人。大阪のお好み焼きが懐かしかった。
その日はビールとブタ玉だったと思う。夜も営業していることと、壁に貼ってある居酒屋メニューはチェックしたのだろう。
次の日からほぼ毎晩行くようになった。
今もそうだが、基本独りで飲みに行って店主や客と少し話することが好きなのだ。
この店でもそれほど多くはないが、親しく飲む人ができた。
ママは昔、スナックをやっていたようで、そのスナック当時のお客さんが「ママ」と呼ぶので、そう呼ぶようになった。そのお客さんとは非常に親しくなり、一緒に潜りに行ったりした。この人の事では、あまりにも書くことが多すぎるので後日書きたい。今でも1年に1回くらいは様子伺いで連絡を取る。
そのママから電話がかかってきた。「どないしとん?元気なん?」
ママとも年賀状や電話など、1年に1回くらい連絡をとっている。入院した時も、年賀状が着いたので電話をくれた。(ママは字が下手だからと言って、年賀の電話をくれる)
その時は入院していること、退院してからはリハビリを頑張っていることを伝えていた。
ママも77歳になったという。孫が結婚し、一緒に住んでいる。確か当時はハタチ位のかわいい子だった。
「もうおばあちゃんやでぇ、外出るんが面倒くそぅて」とか色々話した。僕の様子を心配してくれていた。電話の声は昔と変わらない元気な様子に安心。
今度大阪出張の時に飯を一緒しましょうと約束。そういえば5,6年前に梅田で待ち合わせをした時はセキセイインコみたいな髪できたのを思い出した。大阪のおばちゃんらしい。
とても懐かしく、元気が出た。カップラーメンは伸びてしまっていたが。
昨日は久しぶりに「超音波治療器」を使った。“US PRO 2000 2nd”という機械。
23500円程度で楽天などで出ている。
超音波治療器を知ったのは、自宅リハビリのサイトを運営しているPTさんのサイト。メールで質問すると丁寧に返信をいただいた。疼痛にも何らかの改善がみられると思い購入した。
超音波治療器は筋肉の内部まで温めてくれる。僕の症状への効果は?・・・
温まることによって、肩こりは緩和されている。疼痛自体も、周辺の筋肉を温めることで、効果はあると思う。個人的感想だが。
ただ、ジェルを塗るので入浴前の治療になる。
飲みにいかない日しかできないのが難点だ。
昨日は朝から外出し、久しぶりにボリュームのあるカツカレー(有名なのでご存じか・神保町のキッチン南海)を食べたので、帰社後も満腹は続いていた。普段は会社でコンビニのサラダパスタしか食わないのだが。
定時で会社を後にし、家の近くの居酒屋Yに寄ろうかどうか迷いながらスルー。Yでいつも食べるのが結構ぶ厚い“豚バラ焼き”。さすがに今日はブタはいいやと。
帰ってビールを飲みながら、つまみはエビせんべい。まだ腹が一杯だなと思いながらも、カップラーメンに湯を入れた。その時だった、電話がかかってきたのは。
「ママ」とは、大阪にいた頃毎晩のように行っていたお好み焼き屋のママ。
2000年に広島から大阪に転勤になった。住んだのは東三国。新大阪の1駅北。長年の1人暮らし、所帯道具も多く、引っ越しの荷物が運び込まれた時点で整理するのがイヤになっていた。
昼になったので、とりあえず近くでビール飲みながら飯でも食おうと。
路地を抜けて目に入ったのがお好み焼き屋。広島も長く住んで「広島焼き」も好きだが、元々は関西人。大阪のお好み焼きが懐かしかった。
その日はビールとブタ玉だったと思う。夜も営業していることと、壁に貼ってある居酒屋メニューはチェックしたのだろう。
次の日からほぼ毎晩行くようになった。
今もそうだが、基本独りで飲みに行って店主や客と少し話することが好きなのだ。
この店でもそれほど多くはないが、親しく飲む人ができた。
ママは昔、スナックをやっていたようで、そのスナック当時のお客さんが「ママ」と呼ぶので、そう呼ぶようになった。そのお客さんとは非常に親しくなり、一緒に潜りに行ったりした。この人の事では、あまりにも書くことが多すぎるので後日書きたい。今でも1年に1回くらいは様子伺いで連絡を取る。
そのママから電話がかかってきた。「どないしとん?元気なん?」
ママとも年賀状や電話など、1年に1回くらい連絡をとっている。入院した時も、年賀状が着いたので電話をくれた。(ママは字が下手だからと言って、年賀の電話をくれる)
その時は入院していること、退院してからはリハビリを頑張っていることを伝えていた。
ママも77歳になったという。孫が結婚し、一緒に住んでいる。確か当時はハタチ位のかわいい子だった。
「もうおばあちゃんやでぇ、外出るんが面倒くそぅて」とか色々話した。僕の様子を心配してくれていた。電話の声は昔と変わらない元気な様子に安心。
今度大阪出張の時に飯を一緒しましょうと約束。そういえば5,6年前に梅田で待ち合わせをした時はセキセイインコみたいな髪できたのを思い出した。大阪のおばちゃんらしい。
とても懐かしく、元気が出た。カップラーメンは伸びてしまっていたが。
昨日は久しぶりに「超音波治療器」を使った。“US PRO 2000 2nd”という機械。
23500円程度で楽天などで出ている。
超音波治療器を知ったのは、自宅リハビリのサイトを運営しているPTさんのサイト。メールで質問すると丁寧に返信をいただいた。疼痛にも何らかの改善がみられると思い購入した。
超音波治療器は筋肉の内部まで温めてくれる。僕の症状への効果は?・・・
温まることによって、肩こりは緩和されている。疼痛自体も、周辺の筋肉を温めることで、効果はあると思う。個人的感想だが。
ただ、ジェルを塗るので入浴前の治療になる。
飲みにいかない日しかできないのが難点だ。
2017年08月29日
坐骨神経痛と父の話
今年初め位から坐骨神経痛になった。原因は解らないが、痺れている右脚に更なる痺れが加わった。
こんな身体になってまでタバコを吸っているのだが、タバコを吸うと血流の流れが悪くなり痺れている両手や右脚が“カッと”熱くなる。その熱くなった状態が坐骨神経痛によって常に続いている感じ。
元々痺れている身体ゆえ、気圧とかの関係で強い痺れなのかと思っていたが、右ケツの“ほっぺ”を押さえると痛い。棒の上でお尻をゴリゴリするとハムストリングスまで痛みが来る。これは坐骨神経痛だ。
鍼灸院でマッサージ・鍼と治療をしていただくのだが、全く回復しなかった。
こりゃ、整骨院で物理的にゴリゴリ押すなどの治療が必要かなと思っていた。どこの接骨院に行こうかと考えているうちに盆休みになった。
僕の父(85歳)は若い時から「健康」について人一倍注意を払っている。長くテーラーをやっていたので肩こりが酷くて、よく鍼灸師が家に来ていた。(だから僕も初めから鍼に抵抗が無かった)
それだけでは解消しないので、様々な肩こり解消グッズも揃えていた。
物理的な解消だけでなく、食べ物・飲み物も気を使っていた。ウーロン茶が一般的になる前から我が家にはウーロン茶の茶葉があったり、中国展とかに行って鍼セット(自分で皮膚を叩いて悪い血を出すという恐ろしい道具)を買ってきたり。
だから今も健康でいられるのかとも思う。その父は、マッサージの名手でもある。
自分が肩こりだから、様々なツボを学習していた。そのツボを力強く・効果的に押すことができる。
肩こりは遺伝するのかどうか、僕自身も肩こりなので、よくマッサージをしてくれた。
本当なら息子が父親にマッサージをするのが普通なのだろうが、肩こりで辛そうにしていると「マッサージしようか」と言ってくれる。この年になっても。感謝しかない。
盆休みに帰省した時に、こちらからお願いした。「腰とお尻と太ももの裏が張ってるんやけど、ちょっと押してくれへん?」と。いつまでも甘えた息子だ。54歳。
父の親指と中指は的確にハムストリングスの貼っている箇所を押してくれた。
10分程度マッサージをしてもらった。
それからだった。坐骨神経痛がマシになったのは。まだケツの痛みはあるが、新たに加わった痺れは解消した。
決して通っている鍼灸院の先生より父親のマッサージが優れているということはない。所詮素人だ。
ちょうど回復するタイミングだったのかもしれない。
でも、ちょっと自慢したい。ウチの85歳の父親は凄いんだと。
今は庭の畑で野菜づくりに精を出している。山ほど「きゅうり」などを作って、近所に配っている。
入院している時は、ずっと動かない左腕をマッサージしてくれた。「動け」という念のこもったマッサージだった。
これからも健康で長生きして欲しい。9月18日には相撲の升席を取った。この年になって、どのように親孝行しようかと、ずっと考えている。
こんな身体になってまでタバコを吸っているのだが、タバコを吸うと血流の流れが悪くなり痺れている両手や右脚が“カッと”熱くなる。その熱くなった状態が坐骨神経痛によって常に続いている感じ。
元々痺れている身体ゆえ、気圧とかの関係で強い痺れなのかと思っていたが、右ケツの“ほっぺ”を押さえると痛い。棒の上でお尻をゴリゴリするとハムストリングスまで痛みが来る。これは坐骨神経痛だ。
鍼灸院でマッサージ・鍼と治療をしていただくのだが、全く回復しなかった。
こりゃ、整骨院で物理的にゴリゴリ押すなどの治療が必要かなと思っていた。どこの接骨院に行こうかと考えているうちに盆休みになった。
僕の父(85歳)は若い時から「健康」について人一倍注意を払っている。長くテーラーをやっていたので肩こりが酷くて、よく鍼灸師が家に来ていた。(だから僕も初めから鍼に抵抗が無かった)
それだけでは解消しないので、様々な肩こり解消グッズも揃えていた。
物理的な解消だけでなく、食べ物・飲み物も気を使っていた。ウーロン茶が一般的になる前から我が家にはウーロン茶の茶葉があったり、中国展とかに行って鍼セット(自分で皮膚を叩いて悪い血を出すという恐ろしい道具)を買ってきたり。
だから今も健康でいられるのかとも思う。その父は、マッサージの名手でもある。
自分が肩こりだから、様々なツボを学習していた。そのツボを力強く・効果的に押すことができる。
肩こりは遺伝するのかどうか、僕自身も肩こりなので、よくマッサージをしてくれた。
本当なら息子が父親にマッサージをするのが普通なのだろうが、肩こりで辛そうにしていると「マッサージしようか」と言ってくれる。この年になっても。感謝しかない。
盆休みに帰省した時に、こちらからお願いした。「腰とお尻と太ももの裏が張ってるんやけど、ちょっと押してくれへん?」と。いつまでも甘えた息子だ。54歳。
父の親指と中指は的確にハムストリングスの貼っている箇所を押してくれた。
10分程度マッサージをしてもらった。
それからだった。坐骨神経痛がマシになったのは。まだケツの痛みはあるが、新たに加わった痺れは解消した。
決して通っている鍼灸院の先生より父親のマッサージが優れているということはない。所詮素人だ。
ちょうど回復するタイミングだったのかもしれない。
でも、ちょっと自慢したい。ウチの85歳の父親は凄いんだと。
今は庭の畑で野菜づくりに精を出している。山ほど「きゅうり」などを作って、近所に配っている。
入院している時は、ずっと動かない左腕をマッサージしてくれた。「動け」という念のこもったマッサージだった。
これからも健康で長生きして欲しい。9月18日には相撲の升席を取った。この年になって、どのように親孝行しようかと、ずっと考えている。
2017年08月18日
リハビリについて思うこと
今日の日経ビジネス・オンラインに記事がありました。
「リハビリテーション」とは「リ」が再び「ハビリテーション」が復権とか復職という意味らしい。
脳梗塞でリハビリを経験した記者の記事だ。
リハビリというコトバ。一般的には「今まで出来ていたことが何らかの原因で出来なくなり、それを出来るように訓練する」といった意味だろうか。
しかしながら「リハビリ」という言葉は広く使われています。僕自身はリハビリというコトバは「機能回復」という医療的な感覚で思っていた。
いざ自分が受傷して、少し動けるようになると「リハビリ」で回復できると信じていた。「リハビリ」が完治させるための医療行為で、しかも受動的に行われるものだと思っていた。
リハビリはその原因となった病気やケガによって内容は違うのだろうが、スタートから中間目標・最終目標など「目標」を設定して行われる。その人に合ったリハビリが実施されるかどうかは、各医療機関の体制や担当のセラピスト次第なのだろう。
僕の場合は脳神経外科でのリハビリだった。(運ばれたのが脳神経の病院だったので)
最初のオリエンテーションで「ここは何区ですか」とか「野菜を10種類言って下さい」とか言われた。これは必要だったのか?脳疾患で入院してリハビリではない。(ここでは99%が脳疾患患者)
結局はマニュアル通りに彼・彼女たちは進めているのだと思った瞬間だった。
決してセラピストを非難しているのではない。医師とセラピストがもっと連携して、「この人の機能を良くするためにはどうリハビリを進めていくか」があったのだろうか。少なくとも「脳」に関しては何の問題もなかったのだが。
患者も色んな人がいる。「リハビリはもうしない」とリハビリ室で駄々をこねる老人。
漫然とセラピストの指示どおり動かしているだけの患者。
「ここがこうなっているから、これをこう動かせるようにこうしましょう」という説明の元で、その日・その時間の目標を共有してリハビリを実施できている病院もあるのだろう。
僕の担当者は一生懸命やってくれた。でも「この運動の意味は何」とか色々聞くので鬱陶しかったかもしれない。「先生から治ると言われているんですか」はきつかった。受傷者には悲しい言葉だ。
先日友人の見舞いに行き、「四肢は完全に回復しているので、もう言語以外のリハビリは必要ないんやけど」と言っていたのを聞いて、替わりにリハビリを受けたい・・・今こそ色んな生活をこなし、それでもうまく動かせない場所、この状態での日々の自宅リハビリなどをPTさんに聞きたいなと思ったので。
今日の記事にもあったが、「生活の中の動作こそがリハビリ」ということは間違いないのだろう。
さあ、動きの悪いところをどんどんいじめてみよう!人体実験しか回復の道はない。
「リハビリテーション」とは「リ」が再び「ハビリテーション」が復権とか復職という意味らしい。
脳梗塞でリハビリを経験した記者の記事だ。
リハビリというコトバ。一般的には「今まで出来ていたことが何らかの原因で出来なくなり、それを出来るように訓練する」といった意味だろうか。
しかしながら「リハビリ」という言葉は広く使われています。僕自身はリハビリというコトバは「機能回復」という医療的な感覚で思っていた。
いざ自分が受傷して、少し動けるようになると「リハビリ」で回復できると信じていた。「リハビリ」が完治させるための医療行為で、しかも受動的に行われるものだと思っていた。
リハビリはその原因となった病気やケガによって内容は違うのだろうが、スタートから中間目標・最終目標など「目標」を設定して行われる。その人に合ったリハビリが実施されるかどうかは、各医療機関の体制や担当のセラピスト次第なのだろう。
僕の場合は脳神経外科でのリハビリだった。(運ばれたのが脳神経の病院だったので)
最初のオリエンテーションで「ここは何区ですか」とか「野菜を10種類言って下さい」とか言われた。これは必要だったのか?脳疾患で入院してリハビリではない。(ここでは99%が脳疾患患者)
結局はマニュアル通りに彼・彼女たちは進めているのだと思った瞬間だった。
決してセラピストを非難しているのではない。医師とセラピストがもっと連携して、「この人の機能を良くするためにはどうリハビリを進めていくか」があったのだろうか。少なくとも「脳」に関しては何の問題もなかったのだが。
患者も色んな人がいる。「リハビリはもうしない」とリハビリ室で駄々をこねる老人。
漫然とセラピストの指示どおり動かしているだけの患者。
「ここがこうなっているから、これをこう動かせるようにこうしましょう」という説明の元で、その日・その時間の目標を共有してリハビリを実施できている病院もあるのだろう。
僕の担当者は一生懸命やってくれた。でも「この運動の意味は何」とか色々聞くので鬱陶しかったかもしれない。「先生から治ると言われているんですか」はきつかった。受傷者には悲しい言葉だ。
先日友人の見舞いに行き、「四肢は完全に回復しているので、もう言語以外のリハビリは必要ないんやけど」と言っていたのを聞いて、替わりにリハビリを受けたい・・・今こそ色んな生活をこなし、それでもうまく動かせない場所、この状態での日々の自宅リハビリなどをPTさんに聞きたいなと思ったので。
今日の記事にもあったが、「生活の中の動作こそがリハビリ」ということは間違いないのだろう。
さあ、動きの悪いところをどんどんいじめてみよう!人体実験しか回復の道はない。