広島から山口までは高速道路。昔はこの山陽自動車道をどれだか走ったろう。
焼き鳥屋は、昔は小郡駅と言っていたが今は新山口駅と名称が変わった新幹線駅の近くにある。高速を降りて亡くなったマスターの奥さんに供える花を買った。マスターは酒を1滴も飲まず、甘いものが好きなので広島駅で紅葉饅頭を買っている。
小郡もとい新山口周辺も変わっていた。泊まるホテルも前は食堂があった場所。パチンコ屋は駐車場になっていた。この下には僕の負け金20:万位が埋まっているのだろう。
焼き鳥屋のマスターに17年ぶりに会った。
がっちりした体格も変わらないように思えたが、後で並んで写真を撮ってもらった時に一回り小さくなったように感じた。
顔は昔のキツさがなく、穏やかな顔になっていた。
大腸がんで3メーター大腸を取ったという。その後、肺炎にもなったと。
喋りは相変わらずだ。たくさん昔話をした。
僕が27歳から37歳まで出張の度に行っていた。月2回。
当時、常連さんでYさんという人がいた。いつもカウンターの端にいた。いつからか話すようになった。Yさんは寅さんが大好きだ。
本人も似たような行動だった。最後、埼玉に転勤になり、リストラの退職金上増しの前日に会社を止めるという人だ。
Yさんと飲んでいる時にスクラッチの宝くじを削っていた。Yさんはその存在を知らなかった。近くのタバコ屋に売っているよと言うと、1万円を出して買って来てくれという。
1万円分を二人で削った。大きな金額が当たる訳もなく、追加で1万円。削ってまた1万円。結局8万円。なんでこの金額で終わったかというと、タバコ屋がいつもより早く閉めたから。完売したのか、狂ったように買いに来る客が気持ち悪かったのか。
焼き鳥は注文しなくても順番に焼いてくれた。塩で食べさせる焼き鳥。特に皮と手羽先の焼き方は絶妙。焼酎もいいちこを一本出してくれた。昔はこの5合を飲み干して帰っていたのだが。
たくさん話をした。マスターはもう79歳になったという。「85歳まではやろうと思うとる」と言う。マスターは山口でも西の長門市出身。当然、僕もこの店の中では長門弁になる。
また来るよ、マスター。
ちなみに、次の日は真面目に仕事しました。
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