でも大体が家を出て“下宿”する。下宿といっても人と住むわけではない。今は使わないコトバなのかも。要は独り暮らしだ。このころはワンルームマンションなんて少ないし高い。大方は“学生アパート”だった。学生アパートは大学の近辺にあり、ほとんどが同じ大学の学生が多かった。
その頃の兵庫の田舎者は、大体が京都・大阪の大学が多かった。東京で少し上のランクの大学の可能性があっても、多くは関西地区を選んでいたように思う。
僕の高校時代の親友たちも地元に残るか関西地方に散らばった。休みの日にはお互いの部屋を行き来したり、地元に帰ったりした。
高校時代に他にも親しい友達はいたが、なぜかいつも集まる6人がいた。
この前書いた、博多で飲んだO君の高校時代の下宿(これは家人が居る本当の賄いつきの下宿)に集まって酒を飲んだりタバコを吸ったりしていた友達たちだ。でもこの6人の中にO君は入っていない。
彼は実家が遠すぎたし、浪人の身分だった。
田舎に帰ると誰かの家・・・大体は地元に残っていた友達の家で酒を飲んだり麻雀をしたり。それぞれ大学で友達もいるのだが、長い休みは田舎に帰ることが多かった。休みのバイトも田舎で探した。
卒業して2年が経ち、京都の歯科技工士の専門学校に行っていた友達が地元に戻って就職した。
そこからスナックEとの付き合いが始まった。技工士のK君(6人中3人がKだ)が就職して歯科院で連れてもらった店。20歳そこそこの学生だ、居酒屋は行ってもスナックなどに行く機会はなかった。
当時、僕は大阪で居酒屋→ディスコという過ごし方をしていた。
スナックEのマスターは痩せて目つきの鋭い人だった。その頃バイトで入っていたAちゃんとも、その後30年以上の付き合いになるとは思ってもいなかった。
ガラの悪い地方のガラの悪いマスター。
店は当時としては凄い数の“8トラ”のカラオケテープがあった。昔は8トラというカセットがカラオケの主流。ぶ厚い本で曲を選んで歌詞カードを見て歌う。それなりに客は多かった。
ハタチの頃からだから36年の付き合い。行くのは年末・お盆・GWという大型連休だけ。これは学生時代からずっと。
マスターは60歳になったら店を閉めると言っていた。とんでもない、もう70歳だったと思う。
去年だったか、すい臓に癌が見つかったのは。すい臓の癌は手術ができる場合が少ないらしい。でもマスターの場合は手術が出来た。しばらく店は休んだが無事に復帰した。
それから3度ほど会っている。元気そうだ。癌の心配はないものだと思っていた。
2月末か、地元の友達から連絡が来たのは。マスターが入院すると。
マスターにラインした。「必ず再開します!」と返事が来た。
先週、友達から連絡が来た。退院したから店を開けたと。今週、別の友達が店に行ってきて連絡をくれた。ステージ4らしい。GWにみんな揃って来いよと言われたらしい。
「6人衆」とマスターは良く言っていた。僕、K、K、K、I、Sの6人。Iは42歳にして癌で亡くなった。
僕は頸髄損傷、一人のKは脳梗塞になった。36年は長い年月なのだ。
GWには5人集まれれば良いが。
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