親鸞聖人は、こう教えられています。
無慚無愧のこの身にて
まことの心はなけれども
弥陀の廻向の御名なれば
功徳は十方にみちたまう
(悲歎述懐和讃)
「無慚無愧」とは、
他人に恥じる心も自分に恥じる心もない
ということです。
「無慚無愧のこの身にて、まことの心はなけれども」
これは真実の自己です。
まことの心はありません。
しかし、阿弥陀如来が南無阿弥陀仏を私たちに差し向けて下されるから、
その功徳は大宇宙に満ちます。
功徳が大宇宙に満ちるとはどういうことかというと
十方法界の功徳の結晶、名号、南無阿弥陀仏を
阿弥陀如来から賜るということです。
大宇宙の宝を丸もらいします。
大宇宙を丸飲みして、大宇宙一の幸せになります。
タグ:南無阿弥陀仏
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