何事においても目的は大事。
人生においても、一番大切なのは目的。
そして、この人生の目的が何かを知るには、
まず前提として、自分を知らなければならないんです。
最近話題の本、『人生の目的』。
これは誰もが一番関心のあることですよね。
人生の目的というのは、
人は何のために生まれてきたのか
何のために生きるのか
ということなので、これを知るにはまず
人間とは、自分とは何かを知らなければなりません。
自分が分からないままで、自分が生きる目的が分かるはずがないんですね。
昔から「汝自身を知れ」といわれます。
これは、知らない人はないと言ってもいいほど有名な言葉で、
ギリシアにあるデルファイの神殿の第一の扉に刻まれている不朽の名言。
これを言ったのは、古代ギリシアの哲学者・ソクラテスといわれています。
哲学の父といわれ、世界の偉人・聖人といわれている人です。
そして、東大の和辻哲郎が選んだ四大聖人の一人。
トップが
ブッダ、次いでキリスト、孔子、そしてソクラテス。
あなた自身はどういうものなのか、あなた自身がよく知らなければならない。
「自分自身はどういうものか」
これは、昔から色んな人が考え主張していること。
フランスの哲学者・パスカルの『パンセ』には
「人間は考える葦である」
という有名な文章があります。
その後に「思考の順序は、自己とその目的である」と続く。
世界的にベストセラーとなった哲学書『ソフィーの世界』は
「私は誰?」と、一通の手紙を通して、自己の探求から始まっています。
私たちが仕事を選ぶ時も、
自分はどんなことをやっている時に一番楽しいか、生き甲斐を感じるか、
ということで、自分のことを振り返ると思います。
体調が悪くて病院へ行くと、
医師がいきなり手術を始めたり、薬を処方したり、ということはなくて
診察をして、まずどこが悪いのかを調べます。
なので、私たちが本当の人生の目的を知り、本当の幸せになる時には、
まず自分とは何か、私とは一体どんな姿をしているのか、
これを知らなければならない、ということです。
病気にかかっている場合、
その病気を正しく見て、適切に治療しないと健康にはなれません。
お腹が痛いと言っても、食あたりか盲腸か、原因は何か。
ある時はお腹を温めなければならないし、
ある時は冷やさなければならない。
医療の世界で今日、最も恐ろしいといわれているのは誤診です。
以前東京で、こういう誤った診断が問題になったことがありました。
夏祭りに来ていた小さい男の子が、綿菓子をなめている時に転んでしまった。
帰宅した後、その子は頭が痛いと言い出した。
病院に行ったけれども、大丈夫と言われたので帰宅。
そして、次の日に亡くなった。
遺体を解剖してみて分かったのが、綿菓子の割りばしがのどを貫通して、
脳まで届いていたそうです。
このことは大変な社会問題になりました。
これは医療の話ですが、
医療ではなくても、日常的に自分自身を見誤ることは結構あります。
例えば、就職。
大学を卒業して就職した後、転職をする人が
昔と比べると増えたといわれます。
バイトを転々として定職に就かないフリーターとか。
そうなってくると、社会的には信用できない人と見なされる。
反対に、どんな仕事でも、10年20年続ける人は信用できる人。
転職の理由には色々ありますが、その1つに適性があります。
大きく分けるとポイントは2つ。
1.意欲・やる気が本当にあるかどうか
誰かに言われたからだと続けるのは厳しい。
2.気持ちがあっても向いているかどうか
全然向いていないのに、ただ好きだからだと続かない。
こういうことを自分で見誤っていると
長続きしないということになるんですね。
なので、若いうちに、自分を正しく見る力、コントロールする力を
身につけることが大事。
これがなくて社会に適応できない人が増えているそう。
結婚も同じようなところがあります。
若い人が持つ結婚観。
相手に対する理想高すぎ問題。
男性に聞いてみると、
性格がよくて、優しくて、顔は松嶋菜々子で……
果たして自分が、それに相応しいかどうかは考えない。
依存する人は自分に対する反省が弱いので、事が進まない。
これは自信過剰。
期待が裏切られるとクラッシュ。
反対に自虐的な人。
自分なんて必要とされてないんだ……
すぐに自信を喪失する。
自分をダメにする。
自分には1つもいい面はないと思い詰める。
精神的な浮き沈みが激しい。
これも自分が分かっていない。
結婚前に相手を徹底的に調査する人がある。
でも、自分のことは調査しない。
自分のことは分かっていると思っている。
それでなかなか上手くいかないんですね。
日常生活で、どの場面でも、
自分自身を知ることがいかに大事なことかが分かります。
ところが、自分自身が全く知られていない。
この自分自身を知るということで有名なのが、
エジプトのスフィンクスの話。
上半身は人間で、下半身はライオン。
ピラミッドのそばにいる守護神。
スフィンクスは行き交う旅人に、なぞなぞを出す。
「生まれた時は4本足で、大きくなったら2本足、
年をとったら3本足になる生き物は?」
これに答えられない旅人を食べてしまったといわれます。
このなぞなぞの答えは人間。
ここには、自分のことが分からないなんて、我が身知らずも甚だしい
という教訓が込められています。
「人間よ、あなた自身のことを知りなさい」と指南している説話。
そして、答えられない旅人を食べてしまう、というところがミソ。
自分のことも知らずに生きていて、生きる価値はないぞというわけなんですね。
中国の孔子も四大聖人の一人。
有名な著書に『論語』がありますが、
これに勝るとも劣らない内容といわれているものに、『孔子家語』があります。
その中のやりとりの1つ。
弟子:「先生、世の中には大変な慌て者がいるものですね。
私の友人に、家財道具をみんな、一つの漏れもないように、新しい家に運んだのですが、
気がつくと奥さんを忘れていた。
奥さんは明かりの消えた家で泣いていたそうです。
大切な家財道具を持っていっても奥さんを忘れるとは慌て者ですね」
孔子:「いやいや、妻を忘れるくらいはいい。
世の中には自分の姿を忘れていて、あら忙しいと飛び回っているものばかりでないか」
忙しいという字は、りっしんべんに亡くすと書く。
自分とはどういうものかを忘れて、突っ走っているのが現代人の姿ではないか。
学生は勉強で忙しい、バイトで忙しい。
主婦なら家事、会社に行けば仕事。
では、忙しがっている自分はいかなるものか、考える時間がない。
そのくせ、妻がこう、子どもがこうと言っている。
それなら、あなた自身はいかなる者か。
それを忘れている。
こういう教訓を2000年の昔に、孔子は語りかけています。
インドで誕生した、世界最高の偉人はブッダ。
ご在世中にも有名な説話。
あるお金持ちの貴公子が30人くらいご婦人同伴で宴会をしていた。
飲むほどに、勢いで歌い始める。
インドは暖かいところだから、そこら辺で寝てしまう。
いい気持ちになったところで貴公子達は居眠りをしてしまい、
一人が目を覚ましてみると、金目のものがなくなっている。
「おかしいぞ、一人怪しい女がいた。
きっとあの女が、俺たちの財布を持っていったに違いない」
貴公子達は森中を捜索した。
森の中で、ブッダが半眼の眼で、座禅しておられた。
「こちらに変な女が逃げてきませんでしたか?」
「それは大変だな、だが一女を求めることと、汝自身を知ることと、
どちらが大切かな?」
と大喝され、貴公子達は夢から覚めた心地がした。
男たちは仕返しに燃えたぎっていた。
そもそも、そんなお金持ってこなければよかった。
でも、自分たちに落ち度はなかったか、とは考えない。
インドの世界最高の偉人、ブッダが、貴公子達に
いかに自分の姿を知ることが大切か言われている話です。
仏教の言葉に
「仏道を習うというは自己を習うなり」
というのがあります。
仏教といっても、自己のすがたを学ぶものなんですね。
自分のすがたを正しく知らないと、
病気も治らない、結婚もできない、ひいては人生をダメにしてしまう。
自己を知ること、
自分探しは大事なことだということです。