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2020年03月19日

中学卒業式

修了式に引き続き、中学の卒業式が行われた。
これが、2019年度三学期最後の行事になる。

私は中3には、いろいろ悩まされた学年でもあり、卒業式には余り出たくなかったのだが、ちゃんと役割が与えられた。式場内の、会場誘導係。来校された保護者を保護者席に誘導する係である。

「何とも残酷な係ではないか。」
私にとっては、中3の保護者と出会い、挨拶をするのは、苦しいことであるのだ。
「きっと、その思いが伝わってしまうだろうな…」、と思いつつ、挨拶と誘導を繰り返す。

中には、わざわざお礼を言いに来てくれる保護者もいた。
「いろいろお世話になり、ありがとうございました。」
といわれれば、私は、「いえいえ、私は何もしていません」、と答える。
それでもツッコミの激しい親は、「スキーに連れて行って下さったり…」、などとたたみかける。
確かに、そんなこともあったなぁ…、と改めて思い出す。

別の親からは、「丹澤先生が入学のときに言って下さった言葉がずっと心に残り、その後、大変勉強になりました」、と言う。私にはすっかり忘れていたことだが、当時は、プロの教育者として、自信を持って演説ぶったことを思い出す。

そんなことが何件も続くと、「もしかしたら、私も少しは役に立ったのかな…」、という錯覚に陥る。

「丹澤先生、お世話になりありがとうございました。」
と、中一の頃から私を責めたり、持ち上げたりした母親である。
また、体育祭の時に、「息子を撮って下さいね。」、と私に念を押しにきた母親ででもある。
彼女は、私のもとを離れる際に、またしても
「息子の写真、撮ってくださいね。」
ときた。

一方で、中3には、私を極端に毛嫌いしている保護者が何人もいる。
そんな方々にも、淡々と挨拶をして、会場に誘導。

しかし私は、急遽、ドアマンになった。

卒業生の入隊常時に、司会に合わせて、さっとドアを開ける係だ。

おかげで、卒後式の一部始終を、一番後ろのドア横の席で見守ることになった。
本来の座席は、生徒席の隣だったが、「丹澤先生、どっか行ってください」、という彼の希望通り、底には座らなかった。

何事もなく、卒業式が終わる…。
彼らの卒業で、少し気が楽になった。

私は、そそくさと、帰宅の途につく。

2020年03月17日

学年集会

中2で、生徒企画の学年集会を行った。
テーマは「中3に向けて」。
思えば、彼らも成長したものだ。

2年上の高1の「中3になる上での心構え」らしきことを話しているビデオメッセージを、字幕入りで編集し、皆に流す。

ビデオ編集は秀逸であったが、それよりも、先輩たちのアドバイスは、きっと彼らの心に響いたに違いない。

その後、学級委員から、先生方へのお礼の言葉があった。
一人ひとりの先生のエピソードを語りながら話す彼らは、大人に見えた。

続いてチャッティング。お見合い形式に男女が輪になって並び、中3でやり遂げたいことを語る。
「まだまだ男女の壁があります。」
などと、学級委員は語っていたが、他の学年と比べたら、一番仲が良いように見える。

その後、学級委員が、学年主任のM先生に手紙を読む。
「僕は、中2の始めの頃、学校に不満ばかりあって、先生たちも嫌いでした。」
で始まったメッセージは、最後は感謝の言葉で締めくくられた。
まるで、卒業時の挨拶のようで、涙を誘う。

続いて、サプライズ企画で、この3月で学年主任を代わることになったM先生に、色紙や花束を贈呈。
これは、M先生には秘密にしていたことだ。

この学年はこうしたサプライズが得意である。

M先生は壇上で、涙ながらに生徒たちに話す。
「さっき、手紙腕、たくさんの迷惑を掛けた、と言われたけど、私は、迷惑だとは全く思っていません。本当に、皆さんたちが好きなんです。愛しているんです。だから、良くなって欲しいと、それだけを、いつでも考えているんです。」

これが、学年の母として、慕われる理由なのだ。

先生と生徒たちで『愛』を与え合うのが、学校現場の、真の姿なのだろう。

私たちは、彼らを導いているつもりで、結局は彼らから『愛』をもらっている。
もちろん、生徒たちも、私たち教員たちの『愛』を、一身に受けているはずだ。

その連鎖が、クラスを作り、学年を作り、学校を形作っているのだろう。

この学年には、新年度も関わることになっている。

この先、どれだけ成長していくか、楽しみだ。

2020年03月15日

紅白戦

武漢発新型コロナウイルスのために、当面、公式戦も練習試合も、すべて吹き飛んでしまったので、部内で紅白戦を行った。

部内といっても、助っ人を集めての試合である。
キャプテンが奔走し、なんとかギリギリの18人を集めた。

メンバーを見ると、野球部の練習に助っ人として来たことのある人ばかりで、彼らはこの紅白戦に向けて、練習に参加していたのだ。

前日は、冷たい雨と雪が降り、グランドの準備が全くできなかったので、快晴になった今日当日、水たまりの水抜きから、ライン引きなど、小一時間掛けて準備。

「遊びになるなよ…。」
と念押しして10時に試合開始。

同一チームで、9人ずつのフルメンバーでの紅白戦は、私の知る限り初めてだと思う。
なんだか嬉しくなった。

一方で、各人の練習不足や、チームとしての弱点もよく見えた。

皆が、ある程度の緊張感を持って試合に臨めたのではないかと思う。

結果は2-17。圧倒的な差になった。

今、対外試合を行ったら、こういう結果になるのだろう。
あまり練習していない、助っ人がいるからでは済まされないほど、言い訳のきかないプレーが多かった。

野球はチームプレー。
人に頼ってばかりでは試合にならない。
合わせて、一人ひとりが、自分の役割を果たさなければ、チームとして戦うことはできないものだ。

彼らは楽しく終えたのだろうが、私としてはこれまでの練習メニューも含めて、反省点が残った。

「次は頑張ろう!」
と、言えない昨今の情勢だが、こつこつ実力をつけてゆくしか方法はあるまい。

朝は氷が張るほどの冷え込みになったが、日が高くなるにつれ、気温も上がった。
早咲きの桜も咲き、虫も舞う。

本当の意味で、春が来るのを、心より待ちつつ、私自身ももう一踏ん張りしてゆこうと思う。

2020年03月11日

芸術鑑賞会

今年も芸術鑑賞会が行われた。校内のホールで、今年は音楽関連。

音楽関連の時は、従来コンサート形式が多かったが、今回はちょっと違った。
ピアノ調律師とピアニストのコラボ企画である。

名だたるピアニストの、コンクールやコンサート時のピアノ調律、調整を行っている、調律師士と、若手ピアニストが来校した。

調律師方は、校内のピアノを毎年調律して下っている方だ。
私の学校には、当初の音楽の先生が世界的なピアニストであったこともあり、ホールにはコンサートピアノがある。
設置時には、県下でもっとも高級なピアノであったそうだが、今はどうだか分からない。
いずれにせよ、家が建つくらいのピアノである。

そのピアノを分解し、舞台上で調整する。
調律は事前にしてあるので、調整をするのだそうだ。
その様子を代表生徒が近くで見て、質問したり、それをビデオで撮ってスクリーンに拡大して、全員が見えるようにした。

ピアノに関心のある生徒でなくても、あっという間に鍵盤が外され、鍵盤がバラバラにうなっていく様は、驚きだったに違いない。

ピアニストは、調整前に一曲弾き、調整後に何曲か弾いた。

「これまで、数限りなく失敗してきました。」
と語る調律師のKさん。

普段、表舞台に立つことのない裏方の仕事だが、コンクールなどでは、演奏者の入賞をも左右する非常に大切な仕事だ。
以心伝心で、ピアニストの要望を最大限、限られた時間内に調整する、とのことで、大変な仕事でもある。

「迷ったらやる、ことにしているんです。そうでないと。仕事に妥協してしまうことになるからです。」

聞けば、よかれと思って調整した結果、演奏者に「余計なことをするな」と怒られたこともあるそうだ。

だが一方、演奏後、演奏者が何も語らずとも、握手で、ピアニストの満足具合が分かるのだそうだ。

確かに調整後のピアノは音が変わった。

調整後の演奏では、私が写真を撮るためのシャッター音すらはばかれるほど、生徒たちは集中して聞いていた。

「調律はKさん以外には頼めません。」
そう音楽の先生が叫ぶ。

私もいつかグランドピアノを手に入れたら、Kさんに調律、調整をお願いしたと思う。

2020年03月10日

クラスが上がった・落ちた

数学の授業は習熟度別に行われているので、試験が終わると、一部クラスメンバーが替わる。
三段階のABCクラスなので、AクラスからBクラスに移ったり、BクラスからAクラスに変わったり、CクラスからBクラスになったりする。

以前は、AクラスからCクラスへ移動させたこともあったが、昨今はそういうことは起こらない。
と同時に、進度も教材も各クラスバラバラなので、クラスが変わる生徒は、ほんの数人になった。

上位クラスから下位クラスに移動するときには、進度上は問題ないが、あらたな教材が必要になる。
また、下位クラスから上位クラスに変わる時は、未習の部分があるので、そのフォローは大変だ。

先日面談をしたS君。念願叶って、今回からAクラスに移った。
Bクラスでの成績が最上位だったのである。

S君は、私とすれ違う度に、ここ一年に以上、
「Aクラスに上げて下さい。」
と、言い続けた。

S君にとっては、それが挨拶代わりだったのだろう。
私も、そこまでしつこく言われると、何だか気分を害するほどだったが、こんかいようやく、解脱したわけだ。

ただ、そのままAクラスでやっていけるかどうかは、別の問題だ。
今回、それほど進度差はなかったから、追いつくのは容易なのだが、果たして初体験のAクラスのスピードについて行けるかは、分からない。

今日、初めて移動後の授業を行ったが、S君は実に静かだった。
試験前にやり残した部分の、複2次式の因数分解で、そんなに易しい分野ではない。
今日の授業で、数学Tの因数分解は終わり、次の単元に入る。

数学と英語で習熟度別授業を展開している関係上、この時期、生徒たちは、「上がった」、「落ちた」と、大騒ぎである。

中学生とは言え、クラス変更による彼らの精神的なダメージは大きいはずだ。
だが、それを乗り越えてこそ、未来が拓けてくる。

中1のBクラスのA君。成績上はAクラスに移れるのだが、本人の意思で移動を断ってきた。
「父とも相談したんですが、生徒会もあり、忙しくなるので、このままのクラスでいさせてください。」
とのことだ。

それも良かろう。

19日の三学期末まで授業を続け、このメンバーで新年度を迎える。

私も心機一転がんばろう。

2020年03月08日

低空飛行

「高3の副担が一番淋しかったな…。」
高校の卒業式を終えて、S先生がそう、高3の担任につぶやいた。

教師にとって、担任があるかないかで、ずいぶん感じが変わる。
生徒たちとの関わりの中で生きている教員は、できるだけ生徒と関わっていたい、という願望があるのだ。

私も、8年ぶりに担任を外れ、その一年が終わろうとしている。
この一年、ずいぶん楽をさせてもらった。
一方で、担任がないと、これほどまでに気持ちが楽になるのか、と驚愕した。
以前の私ならば、担任を外れることに、恐怖すら感じ、あってはならないことのような感覚があったが、この一年は、そうした思いはまったく湧かなかった。

自分自身としては、エネルギーをためる時期。次に立ち上がるための、充電期のような
つもりでいたが、この怠惰になれてしまうと、今や、担任を持つことに抵抗すら感じる。

担任がなくなり、生徒との距離は少し開いたが、実は、彼らとの関わりはあまり変わっていない。

以前、前校長から、「○○先生、担任にどうですか?」、と訪ねられたとき、「まだまだ難しいと思います」、と答えたことがある。

あれからすでに何年も経っているが、今は、結局、『やる気とバイタリティ』があれば、担任は誰でもできるだろう、と思っている。以前の私は、やはり慢心していたのだ。そして、「自分が、自分が…」、といった具合に、自己中心的だったのだろう。

「面倒なことはしたくはない。でも、生徒とは関わりたい。」
というスタンスでは許されないのだから、自分の気力が失せてきたときは、引き際なのかも知れない。

そう考えると、前のS先生。私より10歳も年上。
その中で、まだまだ気力十分な姿には、私も頑張らねば、と思う。

ほんの数年前、若手の先生の前で、堂々と自分自身の教育論を語ったあの頃の私は、何だったのだろう。今は、後進たちに経験を残すために、レポートを書いて欲しい、と依頼されても、全くその気になれないのだ。

こうやって、人は墜ちてゆくのだろうか。
再浮上するには、何が必要なのだろうか。

かつて、今の私のような教員の姿を見て、「本当に、やる気を持って仕事をしているのだろうか」、と思ったことがある。

実際、やる気を失っている方もいるのだろうが、どうして良いか分からずもがいている人もいるということだ。

これも人生の知恵なのだろう。
やはり『志』かな…。

2020年03月07日

タイムカプセル

この手紙を読む頃は、きっと卒業式直前なのでしょう。
卒後おめでとう。

君たちも、高校を卒業して、いよいよ新たな進路へと旅たちを迎えるのですね。

私は、中1と中2のときに、ほんの少しだけ君たちと関わっただけ。
その後、君たちは、自立して、成長して、大人になって…、と立派になっていることでしょう。

今、私がこの学校に勤めているかは、この手紙を書いている時点では分かりません。

本当は、君たち中入生の中学卒業に合わせて、この学校を退職しようと思っていたのです。
ですが、「もう一踏ん張りしよう」と、今、コロナウイルス騒ぎのまっただ中の、2020年3月を迎えています。

中1の入学時に、K先生と共に、学年を初め、君たちは希望溢れる学校生活を送るべく、新生活をスタートしました。

中2になって、夏に、K先生がお辞めになり、いよいよ私のキャパシティを超えてしまったようです。

きっと、3クール目の学年主任、担任に慢心していたのだと思います。
でも私は、いっぱいいっぱいになって、君たちの担任や学年主任を離れることにしました。
つまり、ある意味、君たちを見捨てたわけです。

そんな私が、卒業に際し、はなむけの言葉を贈る資格はありません。
だから、静かに、遠くから、君たちを見守るだけにしたいと思っているのです。

そんな私が、こういう手紙を書いていいのかどうかも分かりません。
本来ならば、お断りしなくてはいけないのだろうと思います。

いずれにせよ、君たちには関係のないことでしょう。
成長して立派になって卒業していく君たちに、一言捧げます。

『たくさんの愛をありがとう。』

----------

中3の生徒から、高校卒業時に明け開けるタイムカプセル用の手紙を頼まれた。

一応、作ってみた。

だが…、結局渡せなかった…。

こんな手紙を読んでも、嬉しくないだろうから…。

2020年03月06日

学年末考査

4日間の学年末考査が終わった。
試験直後に大会があったが、武漢ウイルスで中止になったので、試験前に全体練習をしなくてよくなった。おかげで、私は少し時間ができた。

普段は、毎日の部活で、放課後の時間に少しのんびりすることはできないうのだが、試験前と試験中は、そんな時間が取れる。

だが、今回は試験問題作成に手間取り、そうした時間は、ほとんどなくなってしまった。
唯一、夕方の明るい時間に愛犬の散歩ができていたので、そうした時間は取れたということになるのだが、試験直前は、ひたすら試験問題作成に明け暮れていたという記憶しかない。

学年末考査ということもあり、学年の初めから三学期までのすべての分野を試験問題に入れているというのが、時間がかかった理由だろう。
以前は、学習した分野ばかりの試験問題を作っていたが、昨今は、過去の範囲も意図的に入れている。

人間、やはり繰り返し学ばないと、記憶に定着しないようである。

世の中の学校のほとんどは休校で、学年末試験も吹っ飛んでいるのだろうが、私の学校は淡々と毎日が過ぎ、普段通りの学年末考査が行われた。

これまで怠けていた生徒からすれば、進級のかかった大切な試験だ。
成績上位者にとっては、奨学金がかかった試験になる。

そう考えると、中位層のプレッシャが足りないかも知れない。
だからであろうか、試験中でも、ゲームに明け暮れる生徒もいる。

中1の試験範囲は、三角形の合同に関する証明。
ずいぶん時間を掛けただけあって、ほとんどの生徒が、証明をきっちり書いていた。
私は、穴埋めでない証明問題を8題出したのだが、よく書けていた。
これなら、平行四辺形の証明に入っても、落ちこぼれないだろう。
習熟度の中位クラスなので、ゆっくりゆっくり授業を進めている。

中2は、数Tと数Aに入った。こちらは習熟度の上位クラス。
それでも3割から4割は難関校の高校入試問題として中学分野を出題した。
一番鍛えられた試験になっただろう。

中3は、この三学期はずっと数Tと数Aの総復習をしていたので、試験範囲は数TAの全分野。
センター試験ほどではないが、それに近い問題を大量に出題したが、ほとんどが解けていた。
例年は、数UBをガリガリ進めていたが、足踏みして良かったかも知れない。

学年末考査が終わると、部活の始まり…。

対外試合はすべてなくなったが、来るべき日のためにも、選手たちを鍛えることは必要だろう。

加えて、彼らの身体を動かすことで、免疫力もアップするかも知れないし…。

2020年03月05日

人か犬か…

久しぶりに愛犬を連れて、犬舎に行った。
彼らのふるさとの犬舎は、自動車で30分もかからない所にある。
分からないことがあったとき、すぐに相談できるのも、すぐに訪問することができるのも、近いからこそできるのであって、ありがたいし、また運命的な出会いも感じる。

私は、一ヶ月に一度くらい、豚のガラを譲ってもらうと共に、愛犬たちの里帰りを兼ねて出掛ける。

自動車の苦手な愛ねP太は、いつも自動車で粗相するのだが、今回は何事もなかった。
珍しいことだが、この先も「いい子」でいるといい…。

豚ガラは、犬舎のご主人が近県の肉屋まで買いに行って下さる。
犬たちは、骨が好きなので、毎日与えているが、あばらや背骨を格安で仕入れられる店は、なかなかないのだ。

私は、そのお裾分けをいただきに犬舎を訪ねるのだ。

「今年は、繁殖は抑えようと思っているだ。コロナとオリンピック後の不景気で、買い手がつかないだろう。」

確かに、昨年の水害で、子犬がほとんど売れなかったと聞く。
年明けにすべて売れたそうだが、何ヶ月間か、やきもきしたと聞く。
コロナ騒ぎで、犬舎の見学者もほとんどいないそうだ。

自分たちの生活で精一杯担っているのだ。

「今年は、廃業するする犬舎も多いだろうな…。」
とも…。

「俺は、67だけど、あと13年。80歳までは柴犬を飼いたいんだ…。」
まだまだやる気満々のご主人。

私もいつか、そんな生活をしてみたいと思う。
たとえ、毎日の生活に精一杯であろうとも、犬たちは人に幸せをもたらしてくれる。

最近私は、以前生徒たちに求めていた関わりを、犬に求めているようにも思える。

夕方、学年の食事があった。
こうした食事会は、試験中でないとなかなかできない。

それなり楽しかったし、おいしい食事もいただいたのだが、やっぱり夜に出掛けるのは、できるだけ避けたい。

まだまだ食事会が続くのだが、参加しようかどうか、ちょっと迷っている。

「丹澤さんのために、展覧会用の犬を2匹、残しておいたよ。どっちの犬にする?」
展覧会はコロナ騒ぎで中止になったようだが、賞をとれそうな、子犬が2匹。

どちらも私に一生懸命に愛嬌を振りまく。
少しい大きい、将来のボスタイプの犬と、次男坊タイプの少し小柄な犬。

私はさんざん悩んだ末に、小柄な犬の方を選んだ。

来月には、我が家に迎え入れだろう。

朝晩の散歩くらいしか付き合ってやれないが、それでも、すっかり犬とともに過ごす生活が定着した。

だが、もっと人と付き合わなければいけないようだ…。

2020年03月04日

学力低下

ある中3の保護者から校長宛に手紙が来た。
校長はその一部を紹介した。
言葉遣い丁寧に書かれたその手紙であったが、そこには、「三年間学校にお預けしたが、成績が上がるどころか、どんどん落ちている。今や娘は落ちこぼれ状態だ。これは、学校のシステムに何か問題があるのではないか」、というものであった。
R子の母親からの手紙である。

彼女を中1、中2と二年間担任したのは、私だ。
私は、「ただただ、申し訳ない」、という気持ちでいっぱいになった。

R子は自分の好きなことしかしない生徒であった。
中一の頃から、時間を忘れて、夜中まで好きな絵を描いていた。
そのため、遅刻の常習であり、授業中もよく寝ていた。

原則、好きなことしかしないので、当然学校の勉強をすることもなく、試験前でも好きなことをし、結局成績は不振になる。
多くの先生からも、「宿題をだしていない」、と追いかけられるも、逃げ続け、あわよくば、未提出のまま済まそうとする。

中2の時は、音楽家の父親の作曲した曲を歌い、賞も取ったが、歌うことも彼女にとっては好きなことの一つ。そういう芸術的なセンスはあるのだろう。

一方で、だらしない生活をしているR子には、母親も手を焼いていたようで、もう、どうにもならなくなったのか、学校に手紙が届いた、という訳だ。

成績の悪さを本人が気にしていないようで、実は気にしているのだが、その思いを行動に変えることができずに、この三年間を過ごしてしまった。

私には何もできなかった。
それどころか、私は、
「芸術面で、なにか特技を生かせる仕事に就ければいいんじゃないかな…。」
などと、責任逃れの言い訳をしているのだ。

父親を含めての三者面談時に、教室に現れなかったので、学校中を探し回ったら、面談を忘れて五班を食べていたR子。

彼女も、この春高校生になる。

「中学時代の勉強も分からないまま、このまま高校生になっていいのでしょうか。」
母親の手紙は、そんな風に訴えた。

学校中の皆が、R子のことを知っている。

もしかしたら、見えないふりをしているのは、母親だけなのかも知れない。
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