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2020年10月10日

母親の寂しさ

「他のみんなも、そう言っていると聞いています。」
これが、彼女の常套句だ。
何かしら、自分の気に入らないことがあると、その根拠に「他の人」を使う。
子供はたいてい、「みんな言っているよ」、などと親をごまかすが、それがそのまま学校へのクレームに使われる。
具体的に誰なのかなどは、どうでもいい。
「みんながそう思っているのだから、これはおかしい」、という理論である。

残念ながら、みんなが思っていることが正しくないことは多いのだが、気持ちの収まらない人間にとっては、このことは重要なファクターなのだ。

母親は中高、大学時代の息子や娘たちの成長を喜びつつも、寂しさを感じている。
たとえ彼ら、彼女らが、親の手の届かないところに成長していたとしても。自分を超えられたとは決して思いたくはないのだ。
だから、どんなに成功しても、「何を言っているの? 私の子よ」、という具合。
それを祝福することは、親自身の精神的な成長が必要なのだ。

思春期の息子は母親の関わりをできれば避けたいと思う。
だから、母親から何か訪ねられても、いい加減に答える。
面倒になれば、適当に話を合わせる。
さらにしつこければ、ただただ返事をするだけになる。
だから、本心ではない場合もある。
しかし、母親は、その一言を学校にぶつける。
「息子もそう言っています…」、と。

要は、淋しいのだ。
子供が成長してゆき、自分から離れていくことに寂しさを感じているのだ。
子離れできない親、と言っては気の毒だが、残念ながらそのとおりなのであろう。

その寂しさから、「学校はどんな教育をしているのだ」、と訴えたくなるのは、分からないでもない。
だが、そうした反発する時期、離れている時期を経て、人は大人になっていくのだ。
世の母親は、それが理解できずに、苦しみ、寂しさにしがれている。

「私は母親よ。私を無視しないで。私の方を向いて!」
とばかりに、子供に執着してしまうのは、世の常ではあるが、それは不幸でもある。

よく考え見れば、親たちに「子育て講座」なる期間や機会はほとんどない。
だから、試行錯誤になるし、自分たちもそのように成長してきたことを忘れ、今現在に、心を乱してしまうのだ。

そんな視点で親の話を聞くと、「聞いてあげるだけでも、少しは気が晴れるのかな…」、と思う。
学校という場は、本来親たちへアドバイスする機関でもあるのだろうけれど、昨今はそんな余裕や、スキル、そして親たちも聞く耳を持っていないだろう。

私たち教師は、親子ともどもの成長を願って、そんな中で仕事をしている。




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