2019年05月17日
動けない若者
今日の午後も体育祭の練習。
今日も生徒たちの元気は最高。
準備体操のラジオ体操でも、大盛り上がりとなる。
4団に分かれて、それぞれに団長がつく。高校2年生がリーダーだ。
団で動いていると、集団心理が働き、何となく面倒だと思う生徒も、周りに流され、いつしか一生懸命になる。
「先生が指示するより、よほど効果あるね…。」
先生方のぼやきが聞こえてきそうだ。
慌てて中一の学年主任がやってきた。
「F先生は見ませんでしたか? 午後は全職員で練習を見ること知っているのかなあ。」
「昨日は具合が悪いと言っていましたが、今朝はおられましたね。私は見ていませんが…。」
私は、遠目で見たり、整列の間に入ったりして、生徒の様子を観察。
時々声を掛けて、彼等の気持ちを高めて見る。
そんな感じで過ごしていると、再び中一の学年主任がやってきて言う。
「若い先生、全然動きませんね。動いているのは年配の先生ばかりですね。」
「何をしたらいいか、分からないのだと思いますよ。」
「丹澤先生は、別の学校でのお勤め経験がありますが、こんな風に若い先生がうごかない、なんてことないでしょ。」
「確かに…。そういう先生たちは見たことがありませんね。」
年寄りの戯言なのだが、私の学校でも、若い先生はどう見られているのだ。
「今、何が必要なのか。動いている先生をどうやったらサポートできるか。」
そんなことは、少し考えれば分かるし、もし考えられなくても、私ならじっとしておられず、すぐに何かしらの手助けをしているだろう。
「指示しないと、動けないだろうな…。」
そう、つぶやく我々は、「指示されて動くようなら、やらない方がましだ」、などと徹底的に教え込まれた世代だ。
彼等が、中堅の先生になるときには、自分から動くようになるのだろうか。
そんなことは露とも知らずに、生徒たちは体育祭の練習にいそしんでいる。
そんな彼等が、卒業生として戻ってきたとき、やはり、この事実は分からないまま過ごすのだろうか。
教員の仕事に限らず、すべての仕事は『思い計る』中にある。
と、私は思うのだが…。
今日も生徒たちの元気は最高。
準備体操のラジオ体操でも、大盛り上がりとなる。
4団に分かれて、それぞれに団長がつく。高校2年生がリーダーだ。
団で動いていると、集団心理が働き、何となく面倒だと思う生徒も、周りに流され、いつしか一生懸命になる。
「先生が指示するより、よほど効果あるね…。」
先生方のぼやきが聞こえてきそうだ。
慌てて中一の学年主任がやってきた。
「F先生は見ませんでしたか? 午後は全職員で練習を見ること知っているのかなあ。」
「昨日は具合が悪いと言っていましたが、今朝はおられましたね。私は見ていませんが…。」
私は、遠目で見たり、整列の間に入ったりして、生徒の様子を観察。
時々声を掛けて、彼等の気持ちを高めて見る。
そんな感じで過ごしていると、再び中一の学年主任がやってきて言う。
「若い先生、全然動きませんね。動いているのは年配の先生ばかりですね。」
「何をしたらいいか、分からないのだと思いますよ。」
「丹澤先生は、別の学校でのお勤め経験がありますが、こんな風に若い先生がうごかない、なんてことないでしょ。」
「確かに…。そういう先生たちは見たことがありませんね。」
年寄りの戯言なのだが、私の学校でも、若い先生はどう見られているのだ。
「今、何が必要なのか。動いている先生をどうやったらサポートできるか。」
そんなことは、少し考えれば分かるし、もし考えられなくても、私ならじっとしておられず、すぐに何かしらの手助けをしているだろう。
「指示しないと、動けないだろうな…。」
そう、つぶやく我々は、「指示されて動くようなら、やらない方がましだ」、などと徹底的に教え込まれた世代だ。
彼等が、中堅の先生になるときには、自分から動くようになるのだろうか。
そんなことは露とも知らずに、生徒たちは体育祭の練習にいそしんでいる。
そんな彼等が、卒業生として戻ってきたとき、やはり、この事実は分からないまま過ごすのだろうか。
教員の仕事に限らず、すべての仕事は『思い計る』中にある。
と、私は思うのだが…。
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