2019年03月10日
合同チーム最後の試合
今日は3校合同チーム最後の試合。
新人戦から組んでいた合同チームも、新年度はそれぞれの学校で新入生の入部が見込まれるため、これで解散。もっとも私の学校だけは、新年度もメンバー不足のため、どこかに「おまけ」としてくっつかないと大会には出られなくなってしまうのだが、それはのちのち考えることにして、とにかく、今日で合同チームは解散であった。
4月に招待試合を行うための、その対戦相手を決める大会。
本来ならばまだまだ雪が降ってもおかしくない季節なのだが、気候的にはすっかり野球シーズン到来だ。
こうして大会になると、近隣の学校の先生といろいろな話ができるので面白い。
話題は、昨日行われた卒業式。
「どうですか? ○○中の卒業式は?」
つまり、お互いの学校同士、何かトラブルがあったかどうかを尋ねているのだ。
卒業式が公立校の合格発表前に行っている習慣も、いわゆるお礼参り的な器物破損、暴力事件が頻発した時代の名残りである。今は、かなり平和になっている。それでも、卒業式には、奇抜なスタイルで参列しようとしたり、在校生が卒業生をわざと挑発するような髪型で参加しようとする、といったカワイイ抵抗はあるようだ。
「今年はわざと刈り上げて、カッパみたいな頭髪の生徒がいたんですよ。金髪だったら、黒く染めれば済む話ですけど、刈り上げられちゃうとどうしようもないですね…。」
「それで、どうしたんですか?」
「今の時代、式に出さないわけいかないじゃないですか。生活指導、学年主任、担任が厳重に注意して、出させましたよ…。」
そんな先生方の会話が聞こえてくる。
「明らかに格好悪いんですけどね、前日に、変な頭髪にするな、って注意しなかった担任も手落ちなんですけど…。」
「いやいや、その注意で、わざと頭髪を変えてしまう生徒がでませんか…。」
「あり得ますね…。」
頭髪など大したことではないことなのだろうが、校則で決められていたり、これまでの指導があっての学校生活なので、何も注意することなく、「そのまま」という訳にはいかない。
こんなやりとりが、評論家気取りの学校批判につながっていく。
彼らは、学校の一側面だけを見て、それを自分の意見に当てはめて、あれこれ批評する。
だから、現場で生徒たちと一緒に生活している、教員たちを無視しての発言になる。
それを、面白おかしくマスコミが取り上げようものなら、ほら管理社会だの、高圧的指導だのと、結局、毎日頑張っている先生方が非難される。
社会に知られるところとなれば、教育委員会も黙っているわけにもいかず、結局、誰かにけじめをつけさせることで、ことを収めようとする訳だ。
「まぁ、卒業式だから仕方ないですけど、これが離任式だったら、式には出しませんよ…。」
その先生のささやかな抵抗。
思春期の難しい時期の教育を行いつつ、理想にはほど遠いと感じながらも、自分自身を納得させる。
毎日が、こうした妥協の連続なのかも知れない。
試合の方だが、これまた今まで最高の試合ができた。
ここまでよく成長したと思う。
当然、野球部も皆々が、指導にからむことは極めて少ない。
「髪の毛にこだわるのだったら、もっと違う部分でこだわれ。」
奇しくも私の学校の生徒に指導した言葉が、何となくすべてを象徴しているようにも思えてきた。
新人戦から組んでいた合同チームも、新年度はそれぞれの学校で新入生の入部が見込まれるため、これで解散。もっとも私の学校だけは、新年度もメンバー不足のため、どこかに「おまけ」としてくっつかないと大会には出られなくなってしまうのだが、それはのちのち考えることにして、とにかく、今日で合同チームは解散であった。
4月に招待試合を行うための、その対戦相手を決める大会。
本来ならばまだまだ雪が降ってもおかしくない季節なのだが、気候的にはすっかり野球シーズン到来だ。
こうして大会になると、近隣の学校の先生といろいろな話ができるので面白い。
話題は、昨日行われた卒業式。
「どうですか? ○○中の卒業式は?」
つまり、お互いの学校同士、何かトラブルがあったかどうかを尋ねているのだ。
卒業式が公立校の合格発表前に行っている習慣も、いわゆるお礼参り的な器物破損、暴力事件が頻発した時代の名残りである。今は、かなり平和になっている。それでも、卒業式には、奇抜なスタイルで参列しようとしたり、在校生が卒業生をわざと挑発するような髪型で参加しようとする、といったカワイイ抵抗はあるようだ。
「今年はわざと刈り上げて、カッパみたいな頭髪の生徒がいたんですよ。金髪だったら、黒く染めれば済む話ですけど、刈り上げられちゃうとどうしようもないですね…。」
「それで、どうしたんですか?」
「今の時代、式に出さないわけいかないじゃないですか。生活指導、学年主任、担任が厳重に注意して、出させましたよ…。」
そんな先生方の会話が聞こえてくる。
「明らかに格好悪いんですけどね、前日に、変な頭髪にするな、って注意しなかった担任も手落ちなんですけど…。」
「いやいや、その注意で、わざと頭髪を変えてしまう生徒がでませんか…。」
「あり得ますね…。」
頭髪など大したことではないことなのだろうが、校則で決められていたり、これまでの指導があっての学校生活なので、何も注意することなく、「そのまま」という訳にはいかない。
こんなやりとりが、評論家気取りの学校批判につながっていく。
彼らは、学校の一側面だけを見て、それを自分の意見に当てはめて、あれこれ批評する。
だから、現場で生徒たちと一緒に生活している、教員たちを無視しての発言になる。
それを、面白おかしくマスコミが取り上げようものなら、ほら管理社会だの、高圧的指導だのと、結局、毎日頑張っている先生方が非難される。
社会に知られるところとなれば、教育委員会も黙っているわけにもいかず、結局、誰かにけじめをつけさせることで、ことを収めようとする訳だ。
「まぁ、卒業式だから仕方ないですけど、これが離任式だったら、式には出しませんよ…。」
その先生のささやかな抵抗。
思春期の難しい時期の教育を行いつつ、理想にはほど遠いと感じながらも、自分自身を納得させる。
毎日が、こうした妥協の連続なのかも知れない。
試合の方だが、これまた今まで最高の試合ができた。
ここまでよく成長したと思う。
当然、野球部も皆々が、指導にからむことは極めて少ない。
「髪の毛にこだわるのだったら、もっと違う部分でこだわれ。」
奇しくも私の学校の生徒に指導した言葉が、何となくすべてを象徴しているようにも思えてきた。
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