2018年10月19日
公開授業は面白い
私の学校では年に3回、研究授業として、各教科から代表一名が授業公開をする。また、それとは別に、新人の先生も、年に何回か公開授業をすることになっている。合わせて、授業アンケートで評価の高かった先生も、次の学期の始めに授業を公開する。だから、年間を通して、けっこういろいろな先生の授業を見ることができる。
教科が違っても、参考になることは多いし、たとえ新人先生の下手な授業でも、何かしらの学ぶべきところはある。
ちょうど今が、二学期の公開授業期間で、久しぶりに何人かの先生の授業を見せてもらった。
公開授業となると、沢山の先生が教室に来て授業を見ているので、明らかにいつも通りの授業ではななくなる。だから、授業が終わると、
「いつも、こんなに静かだといいのに…。」
なんて声が、生徒から聞こえてきたりする。
普段着の授業ではないのかも知れないが、積極的に授業公開することは、先生にも生徒にも、刺激になっていいのかも知れない。
授業公開が終わると、研究協議会と称し、その授業についての意見交換会が行われる。この場では、授業を見学した先生が、授業をした先生に、さまざまな意見を言う。
ちなみに私の学校では、マイナスのことだけを言うのは禁止されている。
人の授業の粗など、いくらでも探すことができるし、うまくいかない部分だってたくさんある。
だから、ほめるべき所を沢山探して、その上で、気になるところを指摘する、というシステムになっているのだ。
大切なことは、『お互いが授業を見学することで、学び合え、授業技術が向上し、生徒の満足度の高い授業ができるようになること』なのだ。
私は、若手の先生には、
「いつ授業を見に来てもいいよ。」
と、言っている。だから、結構授業中に先生が出入りしている。
よく他の先生が来るから、生徒もあまり気にしていない。
昔はよく、
「授業は最初から最後まで見るのが礼儀であって、途中で入ったり抜けたりするのは失礼である。授業の一部分を見て、あれこれ言うものではない。」
と言われたが、授業の全体の雰囲気は、短い時間でも感じ取ることはできるのだ。
確かに、授業は一時間で一つのドラマを作っているのだから、「切り取られて批判されては困る」、という人もいる。
しかし私は、「授業のどこを切り取っても、それなりのレベルを維持していなければいけない」、と思う。
授業に集中していない生徒が多いと、他の先生が教室に入ってきただけで、多くが入ってきた先生を気にして、後ろを振り返り、授業を中断させてしまうことになる。
だが、そういう授業ではなく、全員を集中させられる授業を目指すべきだと思う
この辺りが、教師の腕の見せ所だ。
「先生、緊張していましたね。」
なんて、生徒に言わせてはいけない。
たとえ先生自身が緊張していても、そんな素振りを見せてもいけないし、逆に生徒から、
「先生、他の先生が来ててもいつも通りなんですね。」
と思わせなければいけない。
私自身、「今日の授業はまずまずだな…。」などと思えるのは年に数回あるかどうか。
私が公開授業するときは、わざと失敗したように見せることもある。
しかし、それは予定された演出で、そのことで、生徒をさらに引きつけ、授業に集中させる狙いだ。
「この仕組み、気づいている人、いるかな…。」
などと、老獪な私はほくそ笑む。
私もまだまだ、目指すべき理想の授業にはほど遠い…。
引退するまで、精進を重ねていかねばなるまい。
教科が違っても、参考になることは多いし、たとえ新人先生の下手な授業でも、何かしらの学ぶべきところはある。
ちょうど今が、二学期の公開授業期間で、久しぶりに何人かの先生の授業を見せてもらった。
公開授業となると、沢山の先生が教室に来て授業を見ているので、明らかにいつも通りの授業ではななくなる。だから、授業が終わると、
「いつも、こんなに静かだといいのに…。」
なんて声が、生徒から聞こえてきたりする。
普段着の授業ではないのかも知れないが、積極的に授業公開することは、先生にも生徒にも、刺激になっていいのかも知れない。
授業公開が終わると、研究協議会と称し、その授業についての意見交換会が行われる。この場では、授業を見学した先生が、授業をした先生に、さまざまな意見を言う。
ちなみに私の学校では、マイナスのことだけを言うのは禁止されている。
人の授業の粗など、いくらでも探すことができるし、うまくいかない部分だってたくさんある。
だから、ほめるべき所を沢山探して、その上で、気になるところを指摘する、というシステムになっているのだ。
大切なことは、『お互いが授業を見学することで、学び合え、授業技術が向上し、生徒の満足度の高い授業ができるようになること』なのだ。
私は、若手の先生には、
「いつ授業を見に来てもいいよ。」
と、言っている。だから、結構授業中に先生が出入りしている。
よく他の先生が来るから、生徒もあまり気にしていない。
昔はよく、
「授業は最初から最後まで見るのが礼儀であって、途中で入ったり抜けたりするのは失礼である。授業の一部分を見て、あれこれ言うものではない。」
と言われたが、授業の全体の雰囲気は、短い時間でも感じ取ることはできるのだ。
確かに、授業は一時間で一つのドラマを作っているのだから、「切り取られて批判されては困る」、という人もいる。
しかし私は、「授業のどこを切り取っても、それなりのレベルを維持していなければいけない」、と思う。
授業に集中していない生徒が多いと、他の先生が教室に入ってきただけで、多くが入ってきた先生を気にして、後ろを振り返り、授業を中断させてしまうことになる。
だが、そういう授業ではなく、全員を集中させられる授業を目指すべきだと思う
この辺りが、教師の腕の見せ所だ。
「先生、緊張していましたね。」
なんて、生徒に言わせてはいけない。
たとえ先生自身が緊張していても、そんな素振りを見せてもいけないし、逆に生徒から、
「先生、他の先生が来ててもいつも通りなんですね。」
と思わせなければいけない。
私自身、「今日の授業はまずまずだな…。」などと思えるのは年に数回あるかどうか。
私が公開授業するときは、わざと失敗したように見せることもある。
しかし、それは予定された演出で、そのことで、生徒をさらに引きつけ、授業に集中させる狙いだ。
「この仕組み、気づいている人、いるかな…。」
などと、老獪な私はほくそ笑む。
私もまだまだ、目指すべき理想の授業にはほど遠い…。
引退するまで、精進を重ねていかねばなるまい。
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