2018年09月16日
駅伝、出たくないです…
今年も駅伝のシーズンがやってきた。
私の学校では、毎年、駅伝に出る・出ないの一悶着があって、それから練習が始まるので、近隣の学校のように、夏休み前からの走り込みのような、用意周到さは一切ない。
もちろん、特設駅伝チームになるのだが、うちは、学校も、教員も、生徒も今ひとつの盛り上がりなので、なかなか思うように進まない。今年もいろいろな部活単位の参加で、ようやく練習がスタートした。
今年は英検とも重なったし、中間試験の数日前の大会もある。
ただでさえ、「できたら避けたい」と思っている駅伝、こうした環境下だと、ポツポツと不満分子が現れる。
「英検と重なっているので、駅伝に出場する人は、英検が受けられません。」
と発信しようものなら、すぐに、
「英検を優先させて下さい。」
と保護者からの一方が入る。
試験前になることを伝えると、
「うちの子には試験勉強に専念させて下さい。」
とくる。
人によって違う駅伝に対する思いが、部活単位でのチーム構成だから、顧問の先導で一律ならされてしまうわけで、当然、思いのレベルがバラバラになってしまう。
「駅伝に出るのは、学校の事情ですよね。でも、英検は個人の問題です。」
保護者の思いは、こんなところにあるようだ。
校長を始め、学校あげての一大行事という取り組みでない体勢も、こうした不協和音が出てくるの原因の一つであろう。
近隣の学校は全校態勢。応援も全校で行く。校長同士が順位を競い合う…。
一方で、我が校は、特設駅伝チームだけが参加して、他の人は学校で授業。これでは、学校代表という感覚は、他の生徒たちにもきわめて薄くなる。
「駅伝、参加したくないです…」
そう、連絡ノートに書いてきた生徒がいた。
練習も楽ではないし、走ることが好きな生徒も少ない。ましてや、学校としてもあまり協力的ではない中では、当然のことだろうが、何かが、間違っているような気がしてならない。
学校単位で参加することが義務づけられている駅伝は、もはや、参加したい人が出るイベントではなくなっている。
毎年、来年こそは変えていかねば…、と思いながらも、今年もまた、同じことの繰り返しだ。
私の学校では、毎年、駅伝に出る・出ないの一悶着があって、それから練習が始まるので、近隣の学校のように、夏休み前からの走り込みのような、用意周到さは一切ない。
もちろん、特設駅伝チームになるのだが、うちは、学校も、教員も、生徒も今ひとつの盛り上がりなので、なかなか思うように進まない。今年もいろいろな部活単位の参加で、ようやく練習がスタートした。
今年は英検とも重なったし、中間試験の数日前の大会もある。
ただでさえ、「できたら避けたい」と思っている駅伝、こうした環境下だと、ポツポツと不満分子が現れる。
「英検と重なっているので、駅伝に出場する人は、英検が受けられません。」
と発信しようものなら、すぐに、
「英検を優先させて下さい。」
と保護者からの一方が入る。
試験前になることを伝えると、
「うちの子には試験勉強に専念させて下さい。」
とくる。
人によって違う駅伝に対する思いが、部活単位でのチーム構成だから、顧問の先導で一律ならされてしまうわけで、当然、思いのレベルがバラバラになってしまう。
「駅伝に出るのは、学校の事情ですよね。でも、英検は個人の問題です。」
保護者の思いは、こんなところにあるようだ。
校長を始め、学校あげての一大行事という取り組みでない体勢も、こうした不協和音が出てくるの原因の一つであろう。
近隣の学校は全校態勢。応援も全校で行く。校長同士が順位を競い合う…。
一方で、我が校は、特設駅伝チームだけが参加して、他の人は学校で授業。これでは、学校代表という感覚は、他の生徒たちにもきわめて薄くなる。
「駅伝、参加したくないです…」
そう、連絡ノートに書いてきた生徒がいた。
練習も楽ではないし、走ることが好きな生徒も少ない。ましてや、学校としてもあまり協力的ではない中では、当然のことだろうが、何かが、間違っているような気がしてならない。
学校単位で参加することが義務づけられている駅伝は、もはや、参加したい人が出るイベントではなくなっている。
毎年、来年こそは変えていかねば…、と思いながらも、今年もまた、同じことの繰り返しだ。
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