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2021年06月22日

面談にて

昨日、私がすっぽかしてしまったので、今日の面談になった。
年2回の人事面談でもある。

「この半年で、私がどんな仕事をしたのか…」、を振り返ってみると、やはり、「私は働いていないのだろうな…」と思う。ただただ授業をして、部活をして、という生活の繰り返しである。

振り返ると、このところめっきり体力が落ちてしまった。
これほどまでに急降下をするものか、と体力増強について意識を払っていない自分に憤るほどだ。

この体力の衰えは、「いざ」というところで踏ん張りが利かなくなり、それが気力を萎えさせ、仕事量が減っているように思う。
それを伝えたつもりだったのだが、理解されたなかったようなので、「若手へのアドバイス」についてすこし述べてみた。

このところ若手のアドバイスについて困惑している。

どこまで言ってよいものか、分からないのである。

彼等の教育に対する貪欲さも感じられない。

アドバイスを受けようという気持ちも感じられない。

その上、自分は優れている、自分は他の人とは違う、とも思っているふしがある。

こんな風だから、私もよほどのことがないと、忠告めいたことは言わなくなってしまった。

それによって、学校としての伝統が失われ、路線が変わってしまうことも知っているが、もはや、私の手に負える状態ではなくなってしまった。

ならば、「失敗してから言うか…」、などと極めて私の生き方とは反対の状態になってしまう。

とは言っても、私の学校では、陰で皆が支え、何重にもブロックしているので、授業が崩壊したり、クラスが滅茶苦茶になったり、など目立った事件は起こりえないのだ。

だか、そのことすら、彼等は気づいていないようにも見える。

現代若者の気質だろうか…。

私は面談で、「彼等への指導が難しく、十分出来ておらず、またどうしてよいか分からないので、放置状態になっている」、と反省点を述べた。

その意味では、教頭と意見が一致した。

おかしな面談になった。




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2021年06月21日

公開授業その2

今日も公開授業を見た。
中1の英語である。

「英語では、thisのあとはitを使う」
などと赤で板書されると、「へー、そうだっけ…」、なんて思ってしまう。

「活発なクラスで、とてもやりやすいんです…。」
と、担当の先生は話されていたが、私には満足出来なかった。

こんな風に、人の授業にケチをつける私を、老害と呼ぶのだが、残念ながら感動は得られなかった。

もっともっとドラマチックでないと、今は中1だから良いが、この先は、マンネリ化して、眠い授業になってしまうだろう。

私は、「授業で、どこまで役者に徹することができるか」、かが勝負であると思っている。
その中で、生徒とのキャッチボールを行い、授業をドラマチックに成立させていく。

役者に徹するのは、生徒を一気に教員に集中させるためである。
彼等の視線と思いをひとまずぐっと集めて、そして、さっと手放す。
手放されたときに彼等は、自ら考える。
その時、その瞬間を見逃さずに新たな話で、再度引き寄せる。

指示も、全員の思いを束ねている時は、ほんのささやくほどで足りる。
授業の説明も、集中させているときには、すーっと彼等に伝わっていく。

彼等が自ら解き終わる頃、またぎゅっと彼等の思いを束ねてみる。

その時には、言葉のみならず、ありとあらゆる術を使って、心を掌握しようとする。

これが私の授業スタイルだ。

ここで言うほど大した授業ではないが、こだわりだけは持っている。
メリハリや緊張と弛緩、その波をランダムに意表をつくように畳みかけると、ドラマチックな授業に近づいていく。意外性が興味を引きつけ、「分かる」教え方で、生徒が「できる」ようにする。

みんながドラマチックな授業を目指せば、毎日の授業も楽しいものになるのだろう。
大学の授業とのギャップはますます広がってしまうが…。

授業を見て、そんな風に考えた。




2021年06月20日

幸せの日曜日

正副キャプテンが高校野球に同行することもあり、今日の日曜日は、練習をオフにした。ちょうど自主参加行事もあったので、部員たちはそれに参加させた。

私は久しぶりに部活のない日曜日を過ごし、ほんの少し心が躍った。

早朝はまだ雨が降っていたが、いつも通り4時過ぎに愛犬の散歩をする。
雨なので畑仕事もできないので、少し隠れ家でのんびり過ごしたあと、自宅に戻って朝食。それでも時間はまだ8時台。
朝が早いと、午前中の時間の流れがずいぶんとゆっくりとなる。

せっかくの休みだからと、少しゴロゴロしていたら、高3のMが尋ねてきた。
これ幸いと、Mを連れて再び隠れ家へ。
草刈りに長けているMに家の前の敷地を刈ってもらった。

「普通、人の敷地はやらないよ。」
と言われたが、昨今家の前は借り手のいない畑になって、荒れ放題になっている。
近所でも、あまりに草がひどいので、時々耕したりして整備しているのだ。
ならば私も、と空き家の隣家の前と耕運機で刈りきれなかった部分を刈ったのだ。
ちょっとすっきりした。
空は青空が見えるほどに天気が回復していた。
ほんの小一時間で再び自宅に戻る。

午後は、子どもと買い物に出掛けた。
そろそろ愛犬の餌である、豚のあばら骨と肉が無くなりつつあったのだ。

大量に買うので、荷物持ちが必要なので連れて行ったのだ。
喜んでついてくれて、ちゃんと仕事をしてくれた。

そのまま隠れ家に行き、私は裏に新たな畑を作りマルチを敷く。
ここにさらにサツマイモを植えようと思っているのだ。
これも愛犬の餌。
年間のサツマイモの消費量はかなり多く、またその経費もばかにならないので、今年こそ失敗しないでサツマイモを育てようと思っている。

一緒に愛犬の散歩に行き、彼等をやや増水した川に放り込んだ。
暑くなってきたのでちょうどいい。
いつしか喜んで川に入ってくれたらいいのだが、犬たちはあまり濡れるのが好きではないらしい。

その後、二人で近くの温泉に浸かって自宅に戻る。

こんな風に子どもと過ごせる期間も、そう長くはあるまい…。

何とも幸せな日曜日になった。




2021年06月19日

やる気が出ない、じゃと…

朝から雨の土曜日になった。
雨が降ると、グランドが使えない。
屋根のあるピロティのような場所もないので、朝からの雨で、外で練習できないときは、階段でのトレーニングになる。

部員たちはそれを知っているので、朝からの雨には嫌悪感を抱き、ずっと気分が滅入るのである。

「今日は朝から、気分が乗らなかったよ…。」
得意げに語る彼等の姿は、後輩たちに悪い影響を与えるばかりである。

「俺なんか、試験前、ほとんど勉強していないんだぜ。」
とうそぶく先輩の声を聞く後輩は、同じようなことを自分が先輩になったとき言う。

「階段トレーニングです。」
という私の指示も、彼等にはモチベーションを高めるどころか、気持ちを萎えさせ、一刻も早くこの苦行を終わらせたいと思うのだろう。

「やる気がなかなか出なくて、やばかったです。」
「自分も、雰囲気に流されてしまいました。」

彼等の日誌にはそのように書かれていた。

一番の戦犯は自らモチベーションを下げてやっていたキャプテンと、いつもだらしなくプレーするYである。

私はその姿を見て、何度練習を中断し、やめてしまおうかと思ったことか…。
こんな風だから、中1のKが、途中でトレーニングから離脱してしまうのだ。

体力的に余裕のある先輩たちは、その姿や声かけ、高いモチベーションで後輩たちを導かなくてはいけない。

今年の中3も中2も、未だにそのことが分かっていないようだ。

事実、練習後の遊びでは、彼等は生き生きとはしゃぎ回っている。
要は、体力の問題ではないのだ。

今日は、途中で体験入部の小学生が来ることになっていた。
もし、これがなかったら、私は躊躇なく、練習を中断していただろう。

なんとも後味の悪い練習になった…。




2021年06月18日

蛍の光

中1全員で蛍観察に出掛けた。
毎年この時期、時間を作って、近隣のゲンジボタルを見に行く。

私の隠れ家の裏手も蛍スポットなのだが、この辺りは、いろいろなところで蛍が見える。

生まれて初めて蛍を見た生徒もいるのだろう。
幻想的でありながら、力強く輝く蛍の姿は、人の人生を振り返させる…。

ちょうど近所の親子も蛍観察に来ていた。
だが、彼等は懐中電灯を振り回し、せっかくの暗闇を台無しにしてしまった。

私たちの安全確保のために照らしていてくれたのかも知れないが、蛍は暗闇で見る方が美しい。

田んぼの用水路に生息しているようだが、このあたりは蛍の生息に有害な農薬は使われていないのだろう。

何年か前までは、蛍の写真撮影にチャレンジしていたが、最近はやめてしまった。
もっと蛍の個体が多くないと、見栄えのする写真にはならないのだ。
それに、三脚等の機材も必要だし、その後の画像処理もやらねばならない。

写真でそのまま自然の一部を切り取ったような写真になりにくいのが、蛍の写真でもある。

だから、今年は彼等の姿をじっと見ているだけだった。
その光は、心に安らぎを生む…。

 また光った
 あの
 和らかな光
 小さな体から出る
 やさしい明るみ
 なのに
 電灯なんかより
 強いものが
 心に残る

 そう
 それは生きているあかし
 感動を与えるぬくもり
 美しくて
 そしてどこか
 さびしくて
 命をかけて
 田に
 川に
 心に
 灯をつけようという
 使命にも燃える姿

 ああ
 心の底より
 『美しい』を得たのは
 いつぶりか

 ほたるは僕に
 『感動』の一灯を残す

蛍観察後、S君の書いた詩である。




2021年06月17日

梅雨入り

ここ関東地方でも梅雨入り宣言がなされた。
例年より一週間ほど遅いという。
5月の末頃、早々に梅雨入りした地域もあったが、その後、それほど雨が続かず、梅雨前線が南下してしまったので、秋になったら、梅雨入りと梅雨明け日は、後日密かに変更されるのだろう。

「関東地方でも、梅雨入りしたと気象庁が発表しました。」
などというニュースを聞くと、気分が滅入る。
梅雨は、湿度も高く、じめじめとした曇天や雨天が続く。
たいてい梅雨入り時期は、毎日のように雨が降る。

「でも、今日の雨は、梅雨前線の雨ではありません。上空の寒気が、雷をもたらしています。」

梅雨前線がなくても、梅雨入りにしてしまうほど、気象に対して傲慢になったのだろうか。
気象庁としても、梅雨入り宣言して、その後晴ればかりが続くと、苦情が来るので、雨が続きそうなところで、宣言をする。
今回の雨は、「雷三日」、これを利用して、雨続きを予想し、梅雨入りにしたわけだ。
こうなってくると、昨今のマスコミのように、よく分からなくなってくる。

このところ、放課後の部活中、雨になった。
野球は外のスポーツだが、多少の雨ならプレーしてしまう。
試合の時だって、雨天で中断されることはめったにない。
だから、多少の雨の中練習するのは、意味がある。

だが、プレーをしない私は、この三日間、毎回、部活時にはずぶ濡れになった。
若干涼しいのだが、全身濡れるのは、あまり気分がよいものでもない。

選手たちは着替えて車に乗り込むが、私はずぶ濡れのまま運転して学校に戻る。

雨が降ると、ひと雨ごとに雑草が伸びる。
グランドの草刈りもしなくてはならない…。

練習試合も出来ないまま、最後の大会に向かっている。

中学野球は、高校野球までの通過点。
そんな思いがあるので、最近はあまり無理をさせない。

本当は、中学の実績が、次の高校で効いてくるのだが…。

空はどんより曇っている。




2021年06月16日

公開授業

若い理科の先生の公開授業があった。
私も久しぶりに少し授業を参観した。

最近は、老害と言われないためにも、あまり多くを語らない。
思えば、授業のアドバイスもあまりしていない。

かつての教員の世界は、「見て覚えろ。盗め」、というのが主流だった。
その中で、“見て覚え、盗んで自分に取り入れた授業”に対して、先輩たちが、初めてアドバイスをするというスタイルだ。

だから、いつまでも自己流に徹し、授業のスキルを上げようとしない若手には、ベテランたちは声も掛けない。
そのまま放置しておくと、生徒が犠牲になるな、となったら、雷が落ちるのだが、本人が気がつき、向上を目指そうとしない限り、アドバイスなどしないのだ。

そんな職人気質できな世界であった。

その後、授業や教授方法が法則化され、ノウハウ本も数多く出版され、新人たちにとっては大変便利になった。だが、結局は自分の努力次第。

授業にどれだけ命を賭けているかで、そのスキルは大きく変わっているように思う。

さて、若手の先生の授業。
声は響く。それなりに生徒とも言葉のキャッチボールをしている。
授業中に使用した動画教材も面白い。
プリントや資料もよく出来ている。

だが、物足りないのだ。
授業を受けての感動がないのだ。

先生が一生懸命授業しているのも分かる。
生徒たちも、それなりに授業を受けている。

決して、駄目な授業という訳ではないのだが、イマイチなのだ。

周到に準備された劇場舞台ではないのだ。

細かな部分の配慮、ほんのささやかな立ち居振る舞い。
それらが、舞台ではレベルアップにもなるし、致命傷にもなる。

結局、今回も、私は何も語らずにいるのだろう。

「私の授業だって、決していいものではないが、一度でも見学に来ればいいのに…」、と思う。

ベテランの先生の授業を見て気づくことは多いと思うのだが…。




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