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2018年10月20日

拓馬篇後記−9

 体験会の初日は無事おわった。参加者たちがぞろぞろと退室していく。大畑と師範はその見送りに外を出る。受付では希望者に入門書の配布もやるそうだ。それらに関わらない拓馬と神南は一足先に清掃に取りかかった。まず二人で練習場内に客の忘れ物がないのを確認する。そのあと、持ち場を分担した。神南は下足箱の掃除にいく。拓馬は今日使用したミットを拭く。どうせ使った道着は洗うので、着替えないまま掃除の支度をした。
 拓馬は今朝使った掃除道具一式を用意し、練習場へもどった。そこにヤマダがいる。彼女はまだ帰らずにいた。拓馬はこの場に私物がのこってないのを知りながらも「わすれものか?」とたずねた。
「ううん、話したいことがあって。タッちゃんはいまからマット拭くの?」
「これはミット用だ。あとでマットもきれいにするけど」
「わたし、どっちかやろうか?」
「べつにいい。言いたいことをとっとと言ってくれ」
 拓馬は道場で長話するつもりはない。ものの数分程度の会話でヤマダを掃除に付き合わせても、いろいろ中途半端になるだけだ。もし長くなるようなら、昼食後にどちらかの家にあつまって話せばいいと考えた。
 二人は使用したミットを立てかけた壁付近にすわった。拓馬が水をはったバケツに雑巾をつっこみ、両手でしぼる。掃除の姿勢を見せたところでヤマダが本題に入る。
「でさ、だれかきてた?」
 彼女の言わんとすることは他言無用の話題だ。拓馬は顔をあげた。この場にはほかに人がいない。しかしいつ大畑や神南がくるともしれないので、手短に話す。
「頭巾を覆面みたいにかぶってる人が、窓からのぞいてた。こいつで合ってるのか?」
 ヤマダは首をかしげる。
「フクメン? だれだかわかんないね」
 彼女が知らないとなると、あれは不審者だったようだ。それも人外の。
(あやふやな忠告を聞けてて、よかったな)
 拓馬が人外をほぼ無視した態度をつらぬけたのはかえって幸運だった。あからさまに注目すれば覆面も拓馬の特性に気付いたはず。あれが行動理由をもった人外ならばあとあとめんどうに巻きこまれたかもしれない。
(俺が見えてるのをバレたおかげで防げたことも、あるけど)
 拓馬が人ならざる者を見える性分だから起きた被害は最近遭ったばかり。だが見えなければさらに甚大な被害が発生していた。良し悪しではあるが、避けられるトラブルは避けておきたい。
「お前はだれがくると思ってた?」
「シド先生かエリー、もしくは二人とも……」
 その予想は拓馬もなんとなく察していた。この二人は銀髪の異邦人、いや異世界人だ。その身は普通の人間とはちがい、幽霊のような精神体で活動できる。シドというあだ名の教師はもっぱら肉体を具現化して人間のふりをし、拓馬たちの高校へもぐりこんできた。つい最近になって正体を明かしたが、真実を知る者はすくない。
 彼らが道場にくる目的は拓馬にはわからない。ただ、ヤマダが事前に到来を知りうる珍客というと、その二人しかいなかった。
「ぜんぜんちがうやつがきてた……のか?」
「先生たちの知り合いなのかな。あとで聞いてみる」
「なるべく早く聞いてくれるか。先生が知らないんなら、シズカさんに連絡しておきたい」
「そうしたいんだけどね……」
 ヤマダは室内の掛け時計を見た。現在は正午まえ。まだ日曜がおわるには早い。
「聞けるのは夕方ぐらいになるかも」
「なんで?」
「先生は午後から大事な用事があるんだって。まだタッちゃんには言ってなかったね」
「大事な、用事……」
 先日、シドは直近のすべきことを拓馬たちに告げていた。彼は目的の遂行のため、障害となりうる他校の不良少年を病院送りにした。その悪事への罪滅ぼしをするという。
「金髪に会いにいくのか?」
「うん、お話ししてくるって」
「話すだけ……じゃないんだろ? あの人の性格的に」
「そうだね、ただの見舞いじゃおわらないと思う」
 シドは少年との面会を一度きりにするつもりがない。素行のわるい少年を指導する、とまで宣言した。
「金髪くんは入院中、期末試験を受けられなかったから、その穴埋めをして、ちゃんと登校できるように手伝ってあげる……本人が二学期以降に学校にいくかどうかはべつとしてね。そこまでやってはじめて、先生が金髪くんにしたことの責任をとったことになる」
 かの少年はおよそ一ヶ月の入院をしている。その間、学校へいけなかったのはシドのせいだ。この強制的な不登校期間によって少年が落第する事態になれば、シドがひとりの人生をくるわせてしまったも同然。その不本意な未来を変えるべく、奮闘することは当然の責務である。しかし、これはあくまでシドと少年の二人の話だ。この二人の中で合意がとれたとしても、少年の学校の者が賛同せねば、シドは門前払いにされるだろう。
「そんなこと、他校の教師ができるのか?」
「どうなんだろうね。金髪くんの学校の人にとっちゃ、問題児の見守りをしてくれるのって、ありがたいと思うけど」
「先生がまともな教師だっていう信用があるんなら、な」
 彼は実績のない新人教師。そのうえ出自は偽称だ。風貌が奇異なこともあいまって、頭の固い人たちには受け入れがたい存在である。端的に表現すれば不穏分子だ。異様な外部の教師を招いた結果、厄介事をさらに増やしてしまうのではないか、と学校側に警戒されかねない。事がスムーズにすすむには、後ろ盾がいる。
「せめて金髪の学校の先生に、うちの高校をいいふうに思ってる人がいればな……」
「その学校、本摩先生の知り合いがいるみたいだよ」
 本摩は拓馬たちの担任、かつ新人教師であるシドの補佐をしている。拓馬たちの味方にあたる教師がキーマンになる。その好都合な伝聞を拓馬はにわかに信じられない。
「え? そんなこと知らないが……」
「わたしもあまりしっかり聞いてなくってね、たしかなことは言えない。でも本摩先生に口利きをたのんでみていいと思う。部活の連携あるし、まったく面識ないってことはないよ」
「部活……ああ、うん……」
 拓馬は去年の部活動を連想した。高校生を対象とした空手の大会で、とある生徒に因縁をもたれたことを人づてに聞いた。
「金髪くんの学校にはタッちゃんのライバルくんもいるでしょ?」
「むこうが勝手にそう思ってるだけだ」
 この話題は拓馬に不快感を呼び起こした。名前もさだかにおぼえていない人から強い情をもたれても、うれしくなかった。徐々に会話内容が雑談になってきたのをふまえ、拓馬は会話を切り上げる。
「いまの先生は金髪のことで手一杯だとわかった。だから覆面の件は俺がシズカさんに聞いてみる。ムリにお前から先生に話さなくてもいい」
「うん、先生に無理はさせない」
 会話の目途がついた。ヤマダは拓馬が拭きおえたミットをもつ。立ち上がり、ミットを並べた棚の空いたスペースにミットを置いた。後片付けに参加しなかった、せめてもの手伝いのようだ。彼女の帰宅を察した拓馬はふっと湧いた疑問を口にする。
「そういや、先生はなんで体験会を見にこようとしてたんだ?」
 シドは拓馬が知りうる武道家の中で最強と評していい猛者だ。彼が入門の希望をするわけがない。むしろ教える立場こそふさわしい。
 ヤマダは「ん?」と不思議そうに、突然な問いに振り返る。
「それね、他人に武術を教えるやり方を勉強したかったんだって」
「意味あんのか? 自分よりよわい人のうごきを見ても」
「先生は一般的な教え方を知りたいんだよ。先生に武術を教えた人は、技が我流で教え方も独特だったらしいから。わたしに合わないかもしれないって思うんだろうね。わたしと先生じゃ体格も腕力もぜんぜんちがうし」
 ヤマダはシドによる武術の稽古を所望している。その希望はシドみずからが引きだしたことだ。彼が拓馬たちに迷惑をかけた詫びとして、なにか自分にしてほしいことがないか、と彼からたずねてきた。その折にヤマダがシドの本職とは異なる教導を望んだ。彼女の思いに応えるためにシドが一般武術の指導方法を勉強しにきた、というのは妥当な経緯である。
「で、先生がフツーな武道の教え方を知ったら、お前に教えるってわけか?」
 ヤマダは笑んで「わかんないね」と首を横にふる。
「わたしは先生の技を教えてほしいから、先生がよその武道を勉強しなくたっていいの。でもそれじゃ先生はうまく教える自信がないみたい」
「マジメだな、あの人は……」
 シドは過去に悪行を重ねてきた者とはいえ、その性格は誠実で几帳面だ。自身に悪事を強制してきた主人の呪縛から逃れたいま、彼の長所はいかんなく発揮されている。
「先生が空手の指導を見たいってんなら、体験会じゃなくて普通の練習を見にきてもいいと伝えておいてくれるか。お前も見たとおり、体験会はかなりやさしめな内容だ。実際の指導にはあんまり役に立たない」
「うん、なにかのついでに言っておく」
 用件のすんだヤマダは拓馬に別れを告げ、練習場を出た。拓馬もミット拭きに使った道具を片付けに移動した。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 03:00 | Comment(0) | 拓馬篇後記

2018年10月19日

拓馬篇後記−8

 最終的に、参加者は三十人ほどあつまった。拓馬の予想以上の集客ぶりだ。ただし子どもの付添人もふくむので、実際に門下生候補となるのは全体の半分程度におさまる。そのうちの何人が入門するかはわからない。これだけの人たちがこの道場に関心をもってくれた、という事実はよろこばしいことだった。
 体験会の開始には大畑が冒頭説明をおこなった。彼は師範代である。名目上、道場の長を補佐する立場にある。こういった場の演説者は師範が適役だと拓馬は思っていた。
(世代交代、かな……)
 拓馬の門下生時代では師範が練習場に顔を出すことがよくあった。それもいまはむずかしいのだろう。大畑が主動する様子は、彼が実質的な師範になっていることのあらわれのようだった。だが完全に身を引く予定はないようで、体験会の後半に師範が参加することになっている。
 説明の次は慣例の準備運動をする。部屋の前方にお手本となる拓馬たちがならび、大畑の解説とともに体をほぐす。まるでラジオ体操のようだ。うごき自体も体育の準備運動と似た部分が多く、未就学児以外の客はわりとすんなり模倣していった。小さな子どもは親の補助つきでそれらしいポーズをとる。子どもはあたらしい遊びをやっているかのように、はしゃいでいた。拓馬は他人事ではないような、なつかしさをおぼえる。
(俺もああだったのかな)
 拓馬はかなり小さいときに道場に入門した。まだ小学校にかよっていなかった時期だ。当時の記憶はおぼろげになっているが、親に連れられて、空手にはげんでいたことは思い出にのこっていた。
 準備運動ののちはやっと武道らしい形(かた)の指導に入る。指導形式はさきほどと同じ。道場の者がやるうごきを皆が真似る。拓馬にとっては準備運動とひとしい、なんでもない修練だ。やり方は体がおぼえている。詰まることなくスムーズにできるはずが、視界に妙なものが入ったとたん、ぎこちなくなってしまった。
 練習場の窓から人の顔がうつった。頭巾を覆面のごとく巻いて、目元だけを露出している。常人ではなさそうな風体だ。窓が見えているはずの大畑と神南は覆面の者に気付いていない。
(これが「かわった客」か?)
 ヤマダが直前に珍客の到来を拓馬に告げていた。その客なのかもしれない。拓馬が予想した人物とはちがったが、一時窓辺の不審者を無害なものと見做し、無視することにした。ただしあやしい行動を起こさないか、警戒はおこたらない。無関心をよそおい、目の端で対象をとらえつづけた。
 覆面の者は締めきったガラス窓に顔をつっこむ。その顔はガラスをするっと通過した。生身の生き物ではない証だ。幼少時から人外を見続ける拓馬にとって、おどろくような怪奇現象に値しない。
 頭部しか見えなかった覆面の者の首回りが可視化される。着物の衿が見えた。和風な装束のようである。
(忍者の幽霊……?)
 覆面で和装、そして偵察行為といえば忍び装束を髣髴した。のぞき魔の衣服は頭部周辺しか見えないので、正確なことはわからない。衣装以上に、スパイ活動のような動作の影響で忍者らしいと感じた。
 覆面の者は窓辺で数秒ほどとまっていた。その後は顔をひっこめ、姿を消した。なにかをさぐっていたのだろうか。目当てのものはないと判断して、どこかへ去ったようだ。
(なにをしたかったんだ、あいつ)
 こんな平凡な道場に幽霊がこのむようなシロモノがあるはずがない。目的は道場でなく、この場にあつまった人にあるのか。
(ヘンなの……シズカさんに聞いてみるか)
 シズカとは拓馬が人ならざる者について相談できる知人だ。その知人は本業の警官で忙しい身だが、拓馬にふりかかる難事にはいつも親身になって対応してくれる。今回の件もこの知人に伝えるか──と拓馬は思ったが、べつの方法を思いつく。
(いや、いまはもっと手軽に聞ける人がいるんだった)
 その人物は拓馬がこの場にくると思っていた「かわった客」だ。この人物もまた拓馬を援助してくれる好人物。こちらのほうが近所に住む人なので、会うのも話すのも気安い。
 それ以上に気楽に話せるのはヤマダだ。彼女が本当の訪問客の姿を知っている。もしその姿と拓馬の目撃した覆面が別人であったと知れたとき、知人らにたずねる。その段取りを体験会終了後にやると決めた。
 形の練習がおわる。最後の指導はミット打ちだ。師範代たちが持ったミットに、体験会参加者が順番に打つ流れである。まず大畑と神南が手本を見せた。人間の胴を隠せる大きさのミットを大畑が両手にかかげ、そのミットに神南が打つ。右こぶし、左こぶしを当てたら蹴りでフィニッシュ、という動作をこなした。拓馬が門下生時代に経験したミット打ちはもっと複雑だった。客に幼い子どももいるので、おぼえやすくやりやすいうごきに絞ったようだ。
 デモンストレーションに際して、師範が練習場へあらわれた。ひとめで別格な空手家だとわかる、濃い灰色の道着に身を包んでいた。黒っぽい格好とは反対に、髪とヒゲは真っ白である。老人な風貌だ。とはいえ、背すじが伸びていて足腰はしっかりしている。その動作に老いをにおわせなかった。
 師範をふくめた四人が室内の前方に立つ。皆が同じミットを持ち、横に等間隔に離れた。大畑の指示で、それぞれのミットのまえに人を並ばせる。なかば強制的に人を配分したせいで、ほかと風格がことなる師範の列についた子どもはビビった。保護者にだきつく子もいる。
 師範はいつもの空手家モードでいるせいで、必要以上に子どもを威圧した。その態度が幼い子どもに不評だと知ると、わざと笑み、
「こわがらんでもいい。じぃじはなーんにもせんよ。ほれ、手をグーにして、ここに当ててみい」
 師範は片ひざをつき、視線の高さを子どもに合わせた。祖父モードに入った師範の言うことには子どもがすんなり応じる。神南が実践したうごきを、みじかい手足で真似た。つたないうごきであっても師範は「よくやった」とほめる。ほめられた子どもは屈託のない笑顔を見せた。
 一連の動作を二回繰り返すと、列の先頭にいた者は列の最後尾へまわり、ミット打ちを交代する。全員が三順ほどできたところでミット打ちは終了した。その間、拓馬にのみ感知できる生き物はだれもあらわれなかった。

タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 01:30 | Comment(0) | 拓馬篇後記
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