2018年11月22日
拓馬篇後記−*1
シズカは実家として表向き称する寺にいた。今日は囲炉裏のある部屋をひとつ、客人の応接間として間借りし、ひとりの男性をまねく。男性客の送り迎えには特殊な方法をとる。シズカが異界で仲間にした鳥の怪物が送迎を担当するのだ。もちろん鳥も搭乗者も常人には見えないように配慮した。空中遊泳を経てきた男性は開口一番「たのしかったね〜」と言い、まるで主目的がシズカとの会合ではなく飛行にあったかのようにお気楽な反応を見せた。その言動はシズカをほっとさせる。
(歳は食っても、中身は変わってないな)
知人の少年の紹介どおり、男性の外見年齢は三十代。かつての友はシズカと世代がずれていた。しかし会話の調子は以前と同じようにできそうだった。
男性はシズカの案内を素直に聞き、囲炉裏のそばにある座布団に座った。あぐらをかいて、シズカがすすめた冷茶と茶菓子を遠慮なく飲み食いする。甘い菓子のほかに彼の好物だという醤油せんべいを用意しておいたら、案の定その好物の消費量が激しい。本当にただ遊びにきただけといった雰囲気を出していた。このまま客人の食べっぷりを鑑賞していてもどうにもならないので、シズカから話を持ちかける。
「トシ、おれに話したいことってあるの?」
「そりゃ〜あるよ」
そうは言うが彼の視線と手はコップと茶の入ったポットにあり、空になったコップに冷茶を注いでいる。
「過去をほじくり返されない職場はない? とかね〜」
声の調子は明るい。だがその言葉には深刻な経緯がうかがい知れた。シズカは積極的に疑問をぶつけにいく。
「そもそも、いままでどうしてたんだ?」
シズカが異界からこの世界へもどってきて以来、こちらでの稔次の消息はまったく知れなかった。彼の住所がシズカの行動圏内から外れていたのならば気付かなくとも当然であるが、そうではないことがはっきりわかっている。
「拓馬くんの周りにはときどきシロやウーちゃんを派遣させていたけれど、トシのことはちっとも引っ掛からなかったぞ」
シロとは老人口調の猫、ウーちゃんはその相方の猫の愛称だ。その名のことを稔次は知っているので、シズカからはとくに説明をくわえなかった。稔次はポットを床に置く。
「あの町には長いこといなかった。最近になって、帰ってこれたんだよ」
「どこにいた?」
「ムショ」
ぽつんと出た言葉には重みがある。そして彼のなごやかな表情とは大いに差があった。
ムショとは刑務所の略語だ。稔次が長年監獄にいたとなるといろんな辻褄は合う。彼の居場所をシズカが気付けなかったこと。彼のほうがさきに異界へ訪れ、それから十年以上経過しているのに、彼からのアクションがこれまで一切なかったこと。
「どうしてだ? だれかに罠にはめられた?」
シズカは稔次がみずから罪を犯す人間ではないと信じている。彼はめったなことでは怒らない、やさしい男だ。短慮を起こして他者を傷つけることはまずない。考えうる欠点は人がよすぎるところ。そこに付け込まれたのではないかとシズカは推測した。
稔次は首を横にふって「罠じゃない」と言う。
「オレの意思で……そうしたことだ」
彼の顔からは苦悶が見えた。具体的になんの罪を被ったのか言わない様子を察するに、服役したという告白までが稔次の言える事実なのだとシズカは感じる。
「どんな理由があって、犯罪をやった?」
「それを知って、どうなる?」
「おれの気持ちがおさまる」
シズカは利己的な思いをさらけ出した。かつての仲間が好きこのんで人倫に外れる行為をするとは認めがたい。その気持ちに整理をつけるための問いなのだと正直に答えた。しかし稔次は応じず、「言いたくない」とそっけなく返した。
「おれが信用できない?」
シズカは考えうる稔次の秘匿理由をさきんじて言う。
「おれに言ったら、拓馬くんにバラすかもって──」
「そうじゃない。言い訳がましくなると思うから、言いたくないんだ」
「言い訳のなにがわるい?」
「見苦しいだろ?」
「言うとカッコわるくなるっていうのか?」
シズカが微量な憤りをあらわにする。稔次が友情よりも見栄を優先していると思うと、落胆が生じる。
「トシはそんなカッコつけ方をするやつじゃないと思ってたぞ」
「すまない。オレは自分のわがままばっかり言ってるね……」
稔次はうなだれた。彼の大きな体が急にちぢこまる。謝罪の念が明確になったいま、シズカの憤怒も委縮する。
「……どうしても言えないのか?」
「いまは、まだ……最初に教えたい人がいる」
彼の中に物事の順序があることをシズカは知り、さきほどの傷心が一気に吹き飛ぶ。
「なんだ、それを言ってくれてよかったのに」
「でも、その気持ちがなくてもきみに言う気になったかどうか……」
「こまかいことはいいさ。いったい、だれにいちばんに言いたいんだ?」
「オレの子ども」
シズカは驚愕と納得とを同時に感じた。相手は人のよい男前なのだ。特定の異性と親しい関係をきずけていて、当然である。
「結婚、してたのか」
「もう別れた。『犯罪者の家族』だなんて他人に責められたら、かわいそうで。オレが離婚を言い出した」
稔次は家族を守るための離別を果たした。その悲愴な決断に対する感想をシズカはどうとも言えず、押しだまる。
「あのときは一生子どもに会わないと決めていたが……いまは子どもにだけは会おうかと思ってる」
「その子に、父親が犯した罪を教えると?」
「そう……言うつもりだ。『知らなきゃよかった』と後悔されてしまうかもしれないけど……オレの子なら、きっとわかってくれるんじゃないかって、思うんだ」
彼の子どもであれば親同様に度量が大きいだろう、という予想をシズカは自然と立てた。
(歳は食っても、中身は変わってないな)
知人の少年の紹介どおり、男性の外見年齢は三十代。かつての友はシズカと世代がずれていた。しかし会話の調子は以前と同じようにできそうだった。
男性はシズカの案内を素直に聞き、囲炉裏のそばにある座布団に座った。あぐらをかいて、シズカがすすめた冷茶と茶菓子を遠慮なく飲み食いする。甘い菓子のほかに彼の好物だという醤油せんべいを用意しておいたら、案の定その好物の消費量が激しい。本当にただ遊びにきただけといった雰囲気を出していた。このまま客人の食べっぷりを鑑賞していてもどうにもならないので、シズカから話を持ちかける。
「トシ、おれに話したいことってあるの?」
「そりゃ〜あるよ」
そうは言うが彼の視線と手はコップと茶の入ったポットにあり、空になったコップに冷茶を注いでいる。
「過去をほじくり返されない職場はない? とかね〜」
声の調子は明るい。だがその言葉には深刻な経緯がうかがい知れた。シズカは積極的に疑問をぶつけにいく。
「そもそも、いままでどうしてたんだ?」
シズカが異界からこの世界へもどってきて以来、こちらでの稔次の消息はまったく知れなかった。彼の住所がシズカの行動圏内から外れていたのならば気付かなくとも当然であるが、そうではないことがはっきりわかっている。
「拓馬くんの周りにはときどきシロやウーちゃんを派遣させていたけれど、トシのことはちっとも引っ掛からなかったぞ」
シロとは老人口調の猫、ウーちゃんはその相方の猫の愛称だ。その名のことを稔次は知っているので、シズカからはとくに説明をくわえなかった。稔次はポットを床に置く。
「あの町には長いこといなかった。最近になって、帰ってこれたんだよ」
「どこにいた?」
「ムショ」
ぽつんと出た言葉には重みがある。そして彼のなごやかな表情とは大いに差があった。
ムショとは刑務所の略語だ。稔次が長年監獄にいたとなるといろんな辻褄は合う。彼の居場所をシズカが気付けなかったこと。彼のほうがさきに異界へ訪れ、それから十年以上経過しているのに、彼からのアクションがこれまで一切なかったこと。
「どうしてだ? だれかに罠にはめられた?」
シズカは稔次がみずから罪を犯す人間ではないと信じている。彼はめったなことでは怒らない、やさしい男だ。短慮を起こして他者を傷つけることはまずない。考えうる欠点は人がよすぎるところ。そこに付け込まれたのではないかとシズカは推測した。
稔次は首を横にふって「罠じゃない」と言う。
「オレの意思で……そうしたことだ」
彼の顔からは苦悶が見えた。具体的になんの罪を被ったのか言わない様子を察するに、服役したという告白までが稔次の言える事実なのだとシズカは感じる。
「どんな理由があって、犯罪をやった?」
「それを知って、どうなる?」
「おれの気持ちがおさまる」
シズカは利己的な思いをさらけ出した。かつての仲間が好きこのんで人倫に外れる行為をするとは認めがたい。その気持ちに整理をつけるための問いなのだと正直に答えた。しかし稔次は応じず、「言いたくない」とそっけなく返した。
「おれが信用できない?」
シズカは考えうる稔次の秘匿理由をさきんじて言う。
「おれに言ったら、拓馬くんにバラすかもって──」
「そうじゃない。言い訳がましくなると思うから、言いたくないんだ」
「言い訳のなにがわるい?」
「見苦しいだろ?」
「言うとカッコわるくなるっていうのか?」
シズカが微量な憤りをあらわにする。稔次が友情よりも見栄を優先していると思うと、落胆が生じる。
「トシはそんなカッコつけ方をするやつじゃないと思ってたぞ」
「すまない。オレは自分のわがままばっかり言ってるね……」
稔次はうなだれた。彼の大きな体が急にちぢこまる。謝罪の念が明確になったいま、シズカの憤怒も委縮する。
「……どうしても言えないのか?」
「いまは、まだ……最初に教えたい人がいる」
彼の中に物事の順序があることをシズカは知り、さきほどの傷心が一気に吹き飛ぶ。
「なんだ、それを言ってくれてよかったのに」
「でも、その気持ちがなくてもきみに言う気になったかどうか……」
「こまかいことはいいさ。いったい、だれにいちばんに言いたいんだ?」
「オレの子ども」
シズカは驚愕と納得とを同時に感じた。相手は人のよい男前なのだ。特定の異性と親しい関係をきずけていて、当然である。
「結婚、してたのか」
「もう別れた。『犯罪者の家族』だなんて他人に責められたら、かわいそうで。オレが離婚を言い出した」
稔次は家族を守るための離別を果たした。その悲愴な決断に対する感想をシズカはどうとも言えず、押しだまる。
「あのときは一生子どもに会わないと決めていたが……いまは子どもにだけは会おうかと思ってる」
「その子に、父親が犯した罪を教えると?」
「そう……言うつもりだ。『知らなきゃよかった』と後悔されてしまうかもしれないけど……オレの子なら、きっとわかってくれるんじゃないかって、思うんだ」
彼の子どもであれば親同様に度量が大きいだろう、という予想をシズカは自然と立てた。
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