2018年11月10日
拓馬篇後記−18
体験会を終えたあとの次の道場開放日。練習開始時刻がせまる午後に、拓馬は道着を片手にして道場へやってきた。今日は夏季日程の開始日ではない。指導員の研修を受けるため、通常の練習風景を見学する。拓馬が参加する予定の練習時間にあらわれる門下生は皆、拓馬の年下だ。それゆえ拓馬が新規の入門者だとまちがわれるおそれはない。
(俺がかよってたときと練習内容は変わってんのかな……)
具体的な指導要領はまだ聞かされていなかった。変更があったとしても細々(こまごま)とした部分のみであろうことは先日の体験会を見てもわかる。あまり気負いせずに入館した。
道場は人の気配がうすかった。拓馬は更衣室へ向かう。男子更衣室に入ると、室内の背もたれのない長椅子にだれかが座っていた。道着を着た大男の背中が見える。その背中からはみ出る、毛むくじゃらなものに拓馬は注目した。
(なんだ……? 鳥?)
犬猫にはない、猛禽類のような先端の尖ったくちばしが拓馬の目についた。しかしすぐにくちばしは見えなくなる。その生き物が消えたかと思うと、鳥の両翼が広がった。鳥は飛び立ち、更衣室の窓へ突進する。窓にぶつかる瞬間、鳥はすりガラスを抜けた。
(普通の鳥じゃない……)
こういった生き物はめずらしいが、拓馬はよく見聞きしている。それゆえ鳥自体にはあまり動揺しなかった。問題は、その鳥と触れあっていたとおぼしき男性だ。
道着姿の男性は体の向きを変えた。その顔は拓馬と最近関わりをもったばかりの人物だった。彼は笑顔で「拓馬くん?」と話しかけてくる。
「無言で立ってるなんて、ちょっとこわいよ」
「あ、いや……」
「なにかあった?」
拓馬はさきほどの鳥について問おうかやめるか判断しかねた。もし稔次が鳥を視認できる人ではなく、あの鳥がたまたま彼のそばにいただけだとしたら、鳥のことは話すべきでない。拓馬が正直に言うと彼を混乱させることになる。しかし何事もなかったとふるまうには、時すでにおそい。
拓馬は事実をぼやかした表現で伝える。
「ヘンなものが見えた気がしたんです。でももう見えないし、見間違いだったみたいで──」
「見間違いじゃないかもよ?」
稔次が冗談とも真剣ともとれる返答をした。拓馬はどちらの前提で会話を続ければよいのか迷い、言葉につまった。稔次は少々真面目な顔つきになる。
「きみが見た『ヘンなもの』は鳥だった?」
「なんで……」
「オレも向こうに行ったからさ」
向こう、とはこの世界ではない異世界を指すのだと拓馬は察した。その世界へ行ってもどってきた者は、この世界にあらわれる異界の生き物が見えるようになるという。しかし拓馬はここではない世界へ行った経験はない。異形の可視化は生まれついての特徴だ。
(ちょっと勘違いされてるな……)
拓馬が案じたとおり、稔次は「やっぱりなぁ」とうれしそうに言う。
「向こうに行く日本人は、オレらの時代の人が多いみたいだね」
「いや、俺はちがうんです」
「ん? そうなの?」
稔次が目を丸くした。拓馬は自身の特異な性質を明かすことに決める。
「俺はたまたま見える体質なんです。異界には行ってません」
「じゃあどうしてオレが異界に行ったって話が通じるんだ?」
「知り合いが、教えてくれました。その人もさっきの鳥みたいなのをよく呼び寄せるんです」
「その人の名前、聞いてもいい?」
拓馬はするっと答えそうになるのをこらえる。シズカに無断で情報をもらしてはいけないと思い、ふみとどまった。
「それはちょっと……本人に確認しないと」
「秘密主義な人なんだ?」
「その人は慎重なんです。あんまり情報のやり取りをしすぎると、こっちか異界の未来を知ってしまうかもしれないって……」
未来を知ること自体は害悪ではない。既知の未来を改変しようとする者が出現する、その事態が忌むべきことだという。そういった歴史の改竄者があらわれる可能性をおさえるため、異界ではこちらの世界の人同士の安易な情報交換が止められている、とシズカは拓馬にのべていた。シズカはその規則にしたがっている。具体的にどういった情報を伝えてはいけないのかという線引きはシズカが知っているはずだが、拓馬はよくわかっていない。判断しかねることはひとまず彼に聞いてみるべき、と拓馬は考えた。
「へ〜、マジメな人だな。決まりをやぶったってバレっこないのに」
「守らなくてもいいんですか?」
「うーん、気にはするけどね。オレが向こうで会ったときより年齢が若い人には、向こうのことを教えちゃまずいと思う」
「未来を教えてしまうから?」
「そう。なにより、オレのことを知らない状態だろうしな」
「それはたしかに……」
「でもいちおう、拓馬くんの知り合いにオレのことを聞いてみてよ」
稔次は長椅子から立ち上がる。
「もしかしたら友だちかもしれない」
「思い当たる人、います?」
「うん、何人かいる。いまの年齢が向こうで会ったときより上だったら、直接話しても平気だろう」
「ぜんぜん知らない人だったら?」
「オレのことを教えるだけ教えておいて、あとはなにもしない。その人が会いたがったら会おうかな」
「わかりました。そういうふうに伝えます」
稔次が「じゃあよろしく〜」と言って、拓馬とすれちがおうとする。拓馬にはまだ解消されない疑問があったので、引き止める。
「あの、ひとつ聞いていいですか?」
「なに?」
「さっきの鳥はなんでここにいたんですか」
「オレの様子を見にきたんだよ。あの鳥とオレは古い仲間だ」
「トシさんが呼んだわけじゃない?」
「そう、いまはほかの人に使われてる」
「その人はなにが目的で鳥をよぶんです?」
「人を捜してるみたいだよ。人、といっても異界の生き物らしいけど」
異界の生き物の捜索のためにあらわれる、異界の生き物──というと、拓馬には連想する存在があった。その存在も人知れず道場に来ていた。
「もしかして、忍者みたいなやつも──」
「よく知ってるな〜。忍者もお友だちにしてる人が、さっきの鳥を使ってるんだ。知り合い?」
「いや、知らない人ですけど……」
拓馬は謎の人物がシドを悪者だとうたがっていることを思いだした。眉間に力が入る。
「俺としちゃ、その人はうっとうしいな、と思ってるんです」
「そうだよねぇ。オレたちが人外を見たら知らんぷりしなきゃいけないし、神経使うよ」
稔次は拓馬とはべつの観点で不満を挙げる。それもそうなのだが、拓馬の本心はちがった。
「やめるようにたのんでみようか?」
「偵察はべつにいいんです。事を荒立ててほしくないんです」
「荒立てるって、なにを?」
「そいつは俺の身近にいる人……といっても異界からきた人なんだけど、この知り合いをわるいやつだと思ってて、こそこそ調べてるらしいんです」
「拓馬くんの知り合いはわるいことしてたの?」
「むかしはやってたそうですけど、いまはやらないと誓ってる……」
行なってきた悪事とてシドが苦しい思いを我慢してやってきたことだ。それを無神経に蒸し返す輩には好感をもてない。
「もうわるさしないのに、過去のせいでケンカふっかけてこられたら、イヤだ」
「その気持ち、鳥づたいに言っておこうか?」
「いいです、それでトシさんに迷惑かかったらまずいから」
「そう? ま、いまはやめとこう。まだ自分のこともうまくいってないからね〜」
稔次は拓馬にも当てはまる言葉をのこし、更衣室を出ていった。これから拓馬たちは他人様(ひとさま)の子を道場であずかる。その役目に慣れないうちから、他人のことにあれこれと気を揉む余裕は正直ない。
(道場にいる間は道場のことに集中しよう)
目のまえの責務に従事する。拓馬と意外な共通点をもっていた男性とは、あくまで同業の武芸家として接していくことになる。それが守らねばならない表向きの顔だ。稔次もシズカと同じ経験をしてきた者だという驚愕は心の底にしまいこみ、拓馬は着替えをはじめた。
(俺がかよってたときと練習内容は変わってんのかな……)
具体的な指導要領はまだ聞かされていなかった。変更があったとしても細々(こまごま)とした部分のみであろうことは先日の体験会を見てもわかる。あまり気負いせずに入館した。
道場は人の気配がうすかった。拓馬は更衣室へ向かう。男子更衣室に入ると、室内の背もたれのない長椅子にだれかが座っていた。道着を着た大男の背中が見える。その背中からはみ出る、毛むくじゃらなものに拓馬は注目した。
(なんだ……? 鳥?)
犬猫にはない、猛禽類のような先端の尖ったくちばしが拓馬の目についた。しかしすぐにくちばしは見えなくなる。その生き物が消えたかと思うと、鳥の両翼が広がった。鳥は飛び立ち、更衣室の窓へ突進する。窓にぶつかる瞬間、鳥はすりガラスを抜けた。
(普通の鳥じゃない……)
こういった生き物はめずらしいが、拓馬はよく見聞きしている。それゆえ鳥自体にはあまり動揺しなかった。問題は、その鳥と触れあっていたとおぼしき男性だ。
道着姿の男性は体の向きを変えた。その顔は拓馬と最近関わりをもったばかりの人物だった。彼は笑顔で「拓馬くん?」と話しかけてくる。
「無言で立ってるなんて、ちょっとこわいよ」
「あ、いや……」
「なにかあった?」
拓馬はさきほどの鳥について問おうかやめるか判断しかねた。もし稔次が鳥を視認できる人ではなく、あの鳥がたまたま彼のそばにいただけだとしたら、鳥のことは話すべきでない。拓馬が正直に言うと彼を混乱させることになる。しかし何事もなかったとふるまうには、時すでにおそい。
拓馬は事実をぼやかした表現で伝える。
「ヘンなものが見えた気がしたんです。でももう見えないし、見間違いだったみたいで──」
「見間違いじゃないかもよ?」
稔次が冗談とも真剣ともとれる返答をした。拓馬はどちらの前提で会話を続ければよいのか迷い、言葉につまった。稔次は少々真面目な顔つきになる。
「きみが見た『ヘンなもの』は鳥だった?」
「なんで……」
「オレも向こうに行ったからさ」
向こう、とはこの世界ではない異世界を指すのだと拓馬は察した。その世界へ行ってもどってきた者は、この世界にあらわれる異界の生き物が見えるようになるという。しかし拓馬はここではない世界へ行った経験はない。異形の可視化は生まれついての特徴だ。
(ちょっと勘違いされてるな……)
拓馬が案じたとおり、稔次は「やっぱりなぁ」とうれしそうに言う。
「向こうに行く日本人は、オレらの時代の人が多いみたいだね」
「いや、俺はちがうんです」
「ん? そうなの?」
稔次が目を丸くした。拓馬は自身の特異な性質を明かすことに決める。
「俺はたまたま見える体質なんです。異界には行ってません」
「じゃあどうしてオレが異界に行ったって話が通じるんだ?」
「知り合いが、教えてくれました。その人もさっきの鳥みたいなのをよく呼び寄せるんです」
「その人の名前、聞いてもいい?」
拓馬はするっと答えそうになるのをこらえる。シズカに無断で情報をもらしてはいけないと思い、ふみとどまった。
「それはちょっと……本人に確認しないと」
「秘密主義な人なんだ?」
「その人は慎重なんです。あんまり情報のやり取りをしすぎると、こっちか異界の未来を知ってしまうかもしれないって……」
未来を知ること自体は害悪ではない。既知の未来を改変しようとする者が出現する、その事態が忌むべきことだという。そういった歴史の改竄者があらわれる可能性をおさえるため、異界ではこちらの世界の人同士の安易な情報交換が止められている、とシズカは拓馬にのべていた。シズカはその規則にしたがっている。具体的にどういった情報を伝えてはいけないのかという線引きはシズカが知っているはずだが、拓馬はよくわかっていない。判断しかねることはひとまず彼に聞いてみるべき、と拓馬は考えた。
「へ〜、マジメな人だな。決まりをやぶったってバレっこないのに」
「守らなくてもいいんですか?」
「うーん、気にはするけどね。オレが向こうで会ったときより年齢が若い人には、向こうのことを教えちゃまずいと思う」
「未来を教えてしまうから?」
「そう。なにより、オレのことを知らない状態だろうしな」
「それはたしかに……」
「でもいちおう、拓馬くんの知り合いにオレのことを聞いてみてよ」
稔次は長椅子から立ち上がる。
「もしかしたら友だちかもしれない」
「思い当たる人、います?」
「うん、何人かいる。いまの年齢が向こうで会ったときより上だったら、直接話しても平気だろう」
「ぜんぜん知らない人だったら?」
「オレのことを教えるだけ教えておいて、あとはなにもしない。その人が会いたがったら会おうかな」
「わかりました。そういうふうに伝えます」
稔次が「じゃあよろしく〜」と言って、拓馬とすれちがおうとする。拓馬にはまだ解消されない疑問があったので、引き止める。
「あの、ひとつ聞いていいですか?」
「なに?」
「さっきの鳥はなんでここにいたんですか」
「オレの様子を見にきたんだよ。あの鳥とオレは古い仲間だ」
「トシさんが呼んだわけじゃない?」
「そう、いまはほかの人に使われてる」
「その人はなにが目的で鳥をよぶんです?」
「人を捜してるみたいだよ。人、といっても異界の生き物らしいけど」
異界の生き物の捜索のためにあらわれる、異界の生き物──というと、拓馬には連想する存在があった。その存在も人知れず道場に来ていた。
「もしかして、忍者みたいなやつも──」
「よく知ってるな〜。忍者もお友だちにしてる人が、さっきの鳥を使ってるんだ。知り合い?」
「いや、知らない人ですけど……」
拓馬は謎の人物がシドを悪者だとうたがっていることを思いだした。眉間に力が入る。
「俺としちゃ、その人はうっとうしいな、と思ってるんです」
「そうだよねぇ。オレたちが人外を見たら知らんぷりしなきゃいけないし、神経使うよ」
稔次は拓馬とはべつの観点で不満を挙げる。それもそうなのだが、拓馬の本心はちがった。
「やめるようにたのんでみようか?」
「偵察はべつにいいんです。事を荒立ててほしくないんです」
「荒立てるって、なにを?」
「そいつは俺の身近にいる人……といっても異界からきた人なんだけど、この知り合いをわるいやつだと思ってて、こそこそ調べてるらしいんです」
「拓馬くんの知り合いはわるいことしてたの?」
「むかしはやってたそうですけど、いまはやらないと誓ってる……」
行なってきた悪事とてシドが苦しい思いを我慢してやってきたことだ。それを無神経に蒸し返す輩には好感をもてない。
「もうわるさしないのに、過去のせいでケンカふっかけてこられたら、イヤだ」
「その気持ち、鳥づたいに言っておこうか?」
「いいです、それでトシさんに迷惑かかったらまずいから」
「そう? ま、いまはやめとこう。まだ自分のこともうまくいってないからね〜」
稔次は拓馬にも当てはまる言葉をのこし、更衣室を出ていった。これから拓馬たちは他人様(ひとさま)の子を道場であずかる。その役目に慣れないうちから、他人のことにあれこれと気を揉む余裕は正直ない。
(道場にいる間は道場のことに集中しよう)
目のまえの責務に従事する。拓馬と意外な共通点をもっていた男性とは、あくまで同業の武芸家として接していくことになる。それが守らねばならない表向きの顔だ。稔次もシズカと同じ経験をしてきた者だという驚愕は心の底にしまいこみ、拓馬は着替えをはじめた。
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